都市伝説の検証:石原慎太郎はウェンウェンと泣きながら「人格あるのかね」と語ったか
約束どおりRTしますよ。これは田中康夫が石原慎太郎について語っているインタビューですね? @mottina69 twitter.com/mottina69/stat…
2016-07-28 01:04:24「こんな子に生きる権利があるのか」と彼(石原慎太郎)は言ったわけです。 これを『朝日』は血も涙もないと書き立て(略)、 でも実は、その時にウェンウェンと泣きながら彼は語っていた ~田中康夫「しなやかな革命」(河出書房)P25・26 pic.twitter.com/Uuqp8d4l9z
2016-07-27 23:57:23
── ここに伝説が誕生した。
石原慎太郎は
ウェンウェンと泣きながら
「こんな子に生きる権利はあるのか」
と語った。
1. 預言者*たちの主張
* 預言者:天からの啓示を語る者。未来を語る者は予言者。
── 石原慎太郎は泣きながら語った ──
田中康夫の主張 ──『しなやかな革命(2001)』
車座集会in横浜⏩https://t.co/wEVBiGQjPn アーカイヴ⏭@lottayassy⏩@bot_trane Ya’ssyの想い⏩https://t.co/xGIJxeHylE Lotta写真館⏩https://t.co/PKUzcGqwRj
- T0)以前
- T1)石原慎太郎は、無脳児の子供とかが入院している病院に出かけた。
- T2)石原慎太郎は「こんな子に生きる権利はあるのか」と言った。
- T3)朝日新聞は、石原慎太郎を、血も涙もないと書き立てた。
- T4)石原慎太郎は、ウェンウェンと泣きながらT2の発言をした。
- T5)石原慎太郎は、保育器の中で生き長らえる子供を見た(かもしれない)。
- T6)朝日新聞は、石原氏がウェンウェンと泣いたのを恣意的に報道しなかった。
もっちーなさんの主張
この国の政治や社会、現象を毎日考えています。立場としては、保守右派かな。あるいは、右の穏健派。核保有には反対(ただ、議論はあってもいい)。政治家という以前に「人間」石原慎太郎に惚れてます。 党派性に依拠しない意味においての弱者への視点は、絶えず、持ち続けながら暮らしています。 できるだけ、自分の言葉で語っていきます。
- M0)ウェンウェン泣くとは、誰が見ても分かるくらいに強く泣くことである。 †
- M1)現場の記者は、石原氏が泣いたのを見たのに、それを悪意で書かなかった。 †
- M2)視察・会見に同行したのは朝日・東京の二社くらいだった(のではないか)。 †
- M3)記者が少人数だったから「泣いた」という話が外部に漏れなかった。 †
- M4)田中康夫が嘘をつくはずがないので、彼の証言は事実である。 † † † † †
- M5)町山智浩さんとそのフォロワーも認めたので事実である。† † † † †
もっちーなさんの主張(1〜5)の「根拠」は二種類に大別できます。
1)同語反復:田中康夫は事実を語っているから、彼の発言は事実だ。
2)権威論証:田中康夫や町山智浩さんたちが認めたのだから事実だ。
いずれも論理的には誤謬であり、検証対象として無意味です。
また、もっちーなさんは事実に基づいた根拠をまったく提示しません。
よって、以降の検証では、もっちーなさんの主張を対象としません。
2. 事実
以下に記す事柄は、全て確実なソースが存在し、曖昧な伝聞情報や憶測は含まれない。
-
F1)1999年9月17日の午前、石原都知事が府中療育センターを視察した。
-
F2)この視察には少なくとも朝日・読売・産経・日経・東京の5紙が同行した。
-
F3)同日午後に、石原都知事は米軍施設「キャンプ多摩」を視察した。
-
F4)一連の視察後、石原都知事は都庁に戻り定例記者会見を行った。
「都庁に戻っての記者会見では」東京新聞 1999.09.18
「視察後の定例記者会見で」産経新聞 1999.09.18
「視察後の記者会見で」読売新聞 1999.09.18 -
F5)この会見には少なくとも朝日・読売・産経・日経・東京・毎日の6紙が参加した。
-
F6)この会見で石原都知事は「ああいう人ってのは人格あるのかね」と発言した。
朝日新聞 1999.09.18
朝日新聞 1999.09.23
朝日新聞 2000.12.01
東京新聞 1999.09.18
毎日新聞 1999.09.22
東京都議会 1999.09.21
衆議院・憲法調査会 2000.11.30 -
F7)翌日の朝刊で6紙が、視察と記者会見について報道した。
産経新聞: 社会面と地域面の二ヶ所で合計1408文字、写真付き。
読売新聞: 421文字、写真付き。
日経新聞: 253文字、写真付き。
東京新聞: 903文字、写真なし。
朝日新聞: 553文字、写真なし。
毎日新聞: 会見の「杉並病」関連部分を報じ、視察関連は22日に報じた。 - F8)「泣いた・泣きながら語った・涙」などの記述が、上記6紙には一切ない。
3. 検証
── 田中康夫の主張についての検証 ──
T0)以前
「以前」とは、1999年9月17日である。
証言が証拠能力を有するためには「いつか」が最低限必要となる。
日付も情報源も不明な田中康夫の証言には信頼性がまったくない。
T1)石原慎太郎は、無脳児の子供とかが入院している病院に出かけた。
虚偽である。府中療育センターに無脳児はいなかった。
無脳症とは、大脳が完全に欠損しているか、一部のみしかない奇形症である。 無脳症の胎児や乳児を無脳児という。原因は不明で治療法は発見されていない。
無脳症の75%は死産し、出生した25%のほぼすべても一週間以内に亡くなる。一年以上生きると奇蹟だと言われる。
[参照:Wikipedia - 無脳症 - Anencephaly]
つまり、府中療育センターに 無脳児がいた確度は低く、仮にいたとしても嬰児または乳児である。
産経新聞によると、当時、府中療育センターには「二歳から七十四歳までの」入所者がいた。つまり、年齢的に考えて無脳児がいた確率はゼロである。(120歳の男性がいたというのと同レベルにゼロである)
「無脳児の」は、ミスリード
無脳児かどうかにかかわらず、生まれたばかりの赤ん坊に「人格」が備わっていないのは当然であり、赤ん坊を見て石原慎太郎が「人格あるのかね」「自分がだれか分からない、生まれてきたか生きたかも分からない」などと発言するはずがない。
「子供とかが」は、ミスリード
当時、府中療育センターの入所者のほとんどが成人であり、平均年齢は36.5歳である。子供は入所者のごく一部であり、よって「子供とかが」という表現はミスリードである。
T2)石原慎太郎は「こんな子に生きる権利はあるのか」と言った。
虚偽である。石原慎太郎は「ああいう人ってのは人格あるのかね」と言った。
「人格」と「生きる権利」は、別の概念であり、障害者の「生きる権利」に疑問を呈することは明白な差別である。障害者に生きる権利がないならば死しか残されていない。
1999年9月17日から2016年現在までの、五大紙+全国の地方新聞のなかで、そのような発言を掲載した記事は一つもない。
「こんな子に」という言葉に、基本的な事実に関する無知が表れている。
「こんな子に」というのは、目の前にいる子供を指す言葉である。すなわち田中康夫は、石原慎太郎が「病院」でこの発言をしたと誤解している。
しかし「人格」発言があったのは、視察から数時間後、20km以上離れた都庁での記者会見である。だから、石原慎太郎は「ああいう人ってのは」と言った。
この点について、もう一人の預言者Mも「石原は、その病院で泣いていたのだ」と主張しているが明確な間違いである。
また、石原氏の発言は「子」についてのものではない。石原慎太郎は「ああいう人ってのは」と語った。
「ああいう人」とは、2000年3月に亡くなった視察当時24歳のメンケス病の男性である。[産経 1999.09.18][衆議院 - 憲法調査会 - 5号 平成12年11月30日]
T3)朝日新聞は、石原慎太郎を、血も涙もないと書き立てた。
虚偽である。石原慎太郎を血も涙もないと書き立てたメディアはない。
1999年9月17日から2016年現在までの、五大紙+全国の地方新聞のなかで、「血も涙もないと書き立てた」記事は一つもない。預言者Mが主張する「『非人間的』な鬼畜として記事にした」という事実も一切ない。
また、「朝日は「血も涙もない」とは書かなかったが、そう思わせるように印象操作した」とも預言者Mは主張しているが、朝日は石原氏の発言を取捨選択しつつも客観的事実を正確に伝えている。
(石原氏は「ある新聞が、現場にも同行せずに、この発言を意識的に曲解し」と語ったが、事実を捏造されたり歪曲されたとは言っておらず報道内容そのものを否定してもいない。また、その石原氏の発言が事実ならば「ある新聞」は朝日新聞ではない。朝日新聞は確実に現場に同行していた。「ある新聞」が朝日新聞を意味するなら、石原氏こそが事実を歪曲・捏造し「印象操作」をしたことになる)
発言の取捨選択を「印象操作」と呼ぶならば、これを報じた6紙すべてが印象操作をしたことになる。とくに産経・東京の2紙は、主観的な「心理描写」を多用しており、それは一般的な意味で印象操作と言える。
朝日の批判内容は、23日の「詳報・石原都知事『人格』発言」に、客観的事実とは区別し、論考として明示されている。「障害者とその家族への配慮が足りなかったのではないか。」それが主旨である。
T4)石原慎太郎は、ウェンウェンと泣きながら
「こんな子に生きる権利はあるのか」「ああいう人ってのは人格あるのかね」と語った。
虚偽である。
この主張T4は、当該都市伝説の核心部分なので、より重点的に徹底して検証する。 そのため、まず言葉を明確に定義し、つぎに前提事実を確認し、最後に論証する。
● 言葉の定義 ── 「ウェンウェンと泣く」とは
大声で泣くこと。号泣。おもに幼い子供が泣くさま。
事実として泣いたと田中康夫は主張しているので比喩表現ではない。
ええん、うえん、うえん、うえん、うおん、うおん、うおんといふ号泣が益々高く鳴り出してゐた。
──── 坂口安吾『竹薮の家』(1931)
「私は彼の胸の中で、子供のようにウェンウェン泣いちゃった。」
──── 家田荘子『極道の妻たち』(1986)
小さな弟はうえんうえんと泣きじゃくり、その横で幼稚園の年長ほどの兄が、風呂敷包みを片手に提げ、途方に暮れていた。
──── 万城目 学『鴨川ホルモー』(2006)
※ その他の用例は資料集に整理しました。
● 前提事実 ── いつ・どこで
1999年9月17日(金曜日)視察後(午後)
東京都庁の定例記者会見で
● 前提事実 ──「定例記者会見」とは
東京都知事の定例記者会見は、報道各社が加盟する都庁記者クラブ主催が主催し、原則として毎週金曜日の午後2時から開かれる。
東京都は、国家予算に匹敵する経済規模を有し、都市圏人口・政治的影響力においても世界最大の都市である。
その最高権力者の定例記者会見には、当然、記者クラブ加盟メディアの大多数が参加する。記者が二人しかいないということはありえない。
当日の定例記者会見には、五大紙と東京新聞を含む少なくとも6紙が参加し、それを翌日の朝刊で報道した。
1999年(平成11年)東京都知事・定例記者会見
※ 出典は資料集「定例記者会見」に詳しく整理しました。
● 石原慎太郎の「涙」の報道価値
メディアは、これまでに何度も石原慎太郎の「涙」を報じてきた。五輪招致失敗のときの涙、消防庁隊員らに感謝を述べたときの涙、弟・祐次郎氏の葬儀での涙、など。石原慎太郎の「涙」には十分な報道価値がある。
※ 出典は資料集「石原慎太郎の涙」に整理しました。
● 論証
世界最大の都市の首長が、
考えうる限り最も公の場である定例記者会見で、
報道を目的として集まった多数の記者に向けて、
報道を前提として発言した。
その発言の最中に大声をあげて泣いていたのであれば、
十分な報道価値があり、
いずれかのメディアが必ず報じる。
しかし、この会見を翌日に報じた五大紙全社と東京新聞は、「泣いた」ことには一切ふれていない。
2016年現在に至っても、それを報じたメディアは一社もない。
報道を前提とした公の場で、石原慎太郎が「泣いた」という事実を、 全社が一致団結して17年以上も隠蔽しつづけることは不可能である。
● 結論: 石原慎太郎はウェンウェンと泣かなかった。
T5)石原慎太郎は、保育器の中で生き長らえる子供を見た(かもしれない)。
虚偽(に基づいた空想)である。府中療育センターに「保育器で生き長らえる子供」はいなかった。
保育器とは「未熟児や呼吸障害などを伴う異常新生児を収容する容器(ブリタニカ国際大百科事典)」である。施設にいた入所者は2歳以上なので、保育器を利用していた「子供」は一人もいない。
保育器は身長49cm・体重2.5kg未満の新生児のために設計されている。
平均的な2歳児の身長は新生児の1.8倍、体重は5倍である。
保育器は2歳児には小さすぎる。
T6)朝日新聞は、T4(泣いた)を恣意的に報道しなかった。
虚偽である。
仮にT4「泣いた」が事実だとしても、朝日以外の新聞5社も一切報じていないので、朝日が恣意的だったとは言えない。写真付きで1400字を費やし、細かな心理描写もした産経新聞が「泣いた」についてだけは一切ふれなかったことのほうが「恣意」だといえる。
以上、田中康夫の6つの主張すべてが虚偽であることを論証した。
預言者は基礎的な事実について完全に無知である。
かれは、それが「いつ・どこで」起きたのかも知らない。「以前・病院で」と彼は言うが、正しくは「1999年9月17日午後・東京都庁の定例記者会見で」である。
こういった基礎的事実についての無知から鑑みるに、預言者は「現場にも同行せずに」、朝日新聞の記事を読んでもいない。あやふやな伝聞をもとにした創作を語っていると推察できる。
同じく、もうひとりの預言者(M)も朝日の記事を読まずに批判している。
── このような預言者たちの態度を言い表すのにふさわしい言葉がある。
粗野だよ。粗野極まりない。
── (田中康夫・作家=政治家 2001.05)