- Uroak_Miku
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2)武満が作曲し録音した曲を、いざ映画にあててみたら、黒澤が「うーん何か違うんだ」と言い出して、録音ぶんに機械であれこれ手を入れだした。武満の目の前で。それで彼は「そんなにいじりたかったら好きなように!だけどぼくの名前は絶対映画に出さないでくれ!」と宣言してその場を立ち去った。
2016-09-23 16:50:153)黒澤はどうして武満がキレてしまったのかわからず不思議そうな顔をするばかりだったという。「俺の映画なんだから俺がどうして手を入れてはいけないんだ」と。
2016-09-23 16:51:384)ふたりともその時は気づいていなかったのでしょうが、著作権法の問題が背後にあったのです。いえ映画監督が音楽を勝手にいじってはいけないという条項があるわけではなくて、もっと法思想的な問題です。
2016-09-23 16:53:025)著作権という考え方はヨーロッパで生まれたものです。フランス革命で「人権」が宣言されましたよね。「王様の権力は神から授かったものだから絶対だ」という理屈に対抗するために「どんな人間にも神は等しく『人権』を与えたもうた。その権利を踏みにじるものは王であっても神の意志に背く」と
2016-09-23 16:56:026)理屈をこねるために「人権」を言い出した。それがやがてヨーロッパ各国で法理論の基本となっていった。今はあちこち省略して語っているのでこの分野に詳しい方はあまりつっこまないように。
2016-09-23 16:57:237)で著作権という考え方も、人権思想の延長で確立していったのです。この説に異論を唱える向き(岡本薫先生とか)もありますがここでは省略します。絵画とか小説とか音楽とか、本来全然違う芸術表現を、ひとくくりに「著作物」と考えるようになりました。その作者は「著作者」であると。
2016-09-23 16:59:528)音楽のほうが映画よりずっと昔から「著作物」と認定され「著作権」や「著作者人格権」が認められていました。映画が発明されるのはフランス革命よりずっとずっと後だし、娯楽として広まるのは20世紀に入ってからでした。つまり音楽より若輩なのです著作権法のなかでは。
2016-09-23 17:01:289)武満がこういう法思想にどこまで詳しかったかはわかりませんが、それでも音楽が映画より格下だとは思っていなかったでしょう。一方で黒澤にすれば映画のほうが音楽より上位と考えていたはずです。映画を構成する部品のひとつにすぎない、と。
2016-09-23 17:03:0710)黒澤と武満の衝突は、才能ある芸術家と芸術家の衝突だったわけですが、それだけではなく背後に著作権法の思想があったともいえます。法という釈迦の手のひらの上で芸術家どうしが自己主張しあったのです。
2016-09-23 17:06:2811)芸術家としての誇りなるものも、実は法律という味も素っ気もない取り決めの産物である、と言ってしまったら、すでに鬼籍に入られたこの二人は怒るのかな。
2016-09-23 17:07:4212)赤信号を渡ると罪の意識がわくのは、赤信号で渡るのを禁じる道路交通法があるからです。信号機も道路交通法もなかった時代の人間をタイムマシンで連れてきて赤信号を渡らせても、そのひとは何の罪悪感も抱かないでしょう。
2016-09-23 17:10:04