無隣館若手自主企画 小林企画『アンダーグラウンド』と“観客参加型演劇”について
- chaghatai_khan
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『アンダーグラウンド』、アフタートークで大事なことを言い忘れたので誤解されてるかも。「これ参加型じゃないよね」というツッコミは、「これ、参加型と銘打たなくていいんじゃない?」という意味です。別の言い方をすれば「参加型と銘打つことで損をしたのではないか」。
2016-10-08 16:26:12フィクションと能動の相性の悪さの話をアフタートークでしましたが、決して必ずしも能動を称えたかったわけではなく、たとえばあの上演を、参加型と銘打たずにやることで守られるフィクションがあり、それがあることでフィクションの崩壊(最後寺山だねと言ったやつ)が達成されることもあるのではと
2016-10-08 16:27:00ちょっと私も上演で結構疲れてしまってきちんと話せていなくてかたじけないのですが、だってそもそも、引用元の太田省吾は 暗喩=海の目=かなたにあってこちらを向かぬもの を演劇に求めたのですから、 直喩=海のような目=かなたからこちらに手をあげるもの は演劇に求めていないのです
2016-10-08 16:31:27@mannafore これは私は太田省吾『プロセス』で読んだけど元はなんだったか忘れてしまった(『プロセス』は3つの本の内容が入っている)
2016-10-08 16:32:54@mannafore 勿論そこを求めていたわけではないこともわかってはいますが、まあだからあれだ、私が言いたいのは「参加にこだわらなくてよかったんじゃない?」て話です。参加型にしなくても観客との関係性は作れるしひらける。塩田君がドラマトゥルクでついてるお布団とかそうだし。
2016-10-08 16:38:21無隣館若手自主企画「アンダーグラウンド」。ホスピタリティの低い参加型はしんどい。「自由度を上げたかった」と言い訳するかもしれぬが、導入部のゆるい統一性のせいで、フィクションを立ち上げるのに観客に負荷がかなりかかる。登場人物たちにあんな意図があるなら、導入はもっと上手く乗せなきゃ。
2016-10-08 16:22:08小林企画「アンダーグラウンド」 #拝見 。仮想弱者、仮想難民となり架空社会へ旅をする。やがて演者と観客は混じり合い、そしてその立場をすり替えるように逆転する。行き着いた先は結局は現代かもしくはごく近い未来なのか。クライマックスは演じる役者の方をやりたくなった。照明とても良かった。
2016-10-08 17:36:08「アンダーグラウンド」僕は『もっと来てよ、絡まさせてよ』って思ったけどお友達はあれでいっぱいいっぱいだったらしい。こういうのは匙加減が難しいね。
2016-10-08 17:41:01@theycallmeNOMOO スマートフォンでは応答しにくいので、詳しくはのちぼど。野村さんは「参加型」といえども、ホスピタリティ不要、と考えるということですか。本人たちが参加型と言ってたのでそう書きましたが、もっと正確に言えばわたしは「客いじり」だったと思ってます。
2016-10-08 20:20:34野村さんから訊かれて、丁寧に考えたら、「参加型」に必ずしもホスピタリティが要るとは思っていなくて、つまり無隣館の「アンダーグラウンド」は(作り手が「お客様参加型」と言っているものの)「客いじり」で、客をいじるならホスピタリティ要るだろ、と思ったんだな。あなざーわーくすのように。
2016-10-08 20:29:53注:@theycallmeNOMOO はサンプルなどでドラマトゥルクを務めてきた野村政之さんのサブアカウント(鍵付き)です。
この作品です。春風舎に机と椅子を運び込んで高校の教室を出現させた。→ seinendan.org/link/2011/01/2…
2016-10-08 20:49:52小林企画『アンダーグラウンド』見ました。観客参加型演劇。 私は参加形式が苦手ではないものの、人より馴染むのが遅いし、考えたり浸ったりするの時間がほしい人であることが分かった。 (それは作家の言葉の妙なのかもしれない。) 続
2016-10-08 21:32:20無隣館若手自主企画小林企画『アンダーグラウンド』。観客参加型の多くが無意識に孕んでいる傲慢さみたいなものが嫌なのだけど、今回の作品はそれがかなり強く感じられて、でもそれ自体が戯曲にあらかじめ組み込まれているところはちょっと面白かった。という話をしました。
2016-10-08 21:44:42観客参加型演劇にありがちな構造を戯曲が批評的に捉えているという点において戯曲がむしろ演出の役割を果たしているというか。
2016-10-08 21:55:39@theycallmeNOMOO 「ホスピタリティ」という言葉に込めているものに少しズレがあるかも。野村さんは「おもてなし」とか、なんか客に媚びるというくらいの感じみたいですが、わたしは招いた客に敬意を払う「歓待」という感じ。カントの「永遠平和のために」などが念頭にあります。
2016-10-08 21:46:03@theycallmeNOMOO 今回の作品は「参加型」を装って観客も作品の一部として奉仕させられているとわたしは捉えていて、一緒に作品を創るというより、作り手のためにパーツとされるという感覚がありました。
2016-10-08 22:00:52でも、やっぱり要るよ。客に媚びろといっているのではなくて、カントの「永遠平和のために」を念頭においた「歓待」。招いた他者は敵にもなりうるのだが、関わり方次第でちゃんと巻き込めたはずなのに。一緒に作品を創るというより、一方的にパーツとして扱われたという感じ。作り手はどこにいるんだ?
2016-10-08 22:08:01社会問題に対する自らの「気づき」を追体験させてあげるというようなありがた迷惑な作品に時おり出くわすが、そういうのはおしなべて作り手が神の位置にいる。
2016-10-08 22:13:12@shirotamasahiko わあすみません…これらのツイート、お目汚ししたと思っておりました。 反応していただいてありがとうございます。
2016-10-08 23:20:16@shirotamasahiko なるほど、 私は見ていて、観客になる時と、エレベーターの乗客になる時、私の場合は思考停止のフワッと浮いた状態の時とかグラデーションがありました。 そして本番・トーク後は、そのまま皆で宴会へ移行出来そうでした。(作品に肯定的な人だけではない上で)
2016-10-08 23:57:06ユン・ハンソル「Saitama Frontage」。客いじりしんどい…がどうしても個人的な感想になる。もちろん、廃車になる電車を利用したこのパフォーマンスが、完全に客いじりを回避することは事実上不可能ではあった。しかし、異性の俳優にいきなり自分の膝に座られて(セクハラ)と思った。
2016-10-08 23:54:50