- Uroak_Miku
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⇩以下の続きです
まんがとは飛行機のコクピットである - Togetterまとめ http://togetter.com/li/1037352
16)さてここでいわゆる「映画的手法」について論じてみます。手塚治虫は『新宝島』で映画的手法を確立させて当時の少年少女のどぎもを抜いたという、例のお題です。
2016-10-16 12:15:1617)のちに藤子不二雄に進化することになる中学生男子の二人はこんな風に出会った。 pic.twitter.com/jWOpuRacqS
2016-10-16 12:16:1718)「映画的手法なんて戦前日本にもうあったよ」といちゃもんをつけるのが今では知識人のたしなみとなって久しいのですが pic.twitter.com/gyCfaIPMjt
2016-10-16 12:17:2619)私はというと「映画的手法」ではなく「キャラクターの強度」においてこの『汽車旅行』と『新宝島』のあいだに大きな断絶があるとみます。
2016-10-16 12:18:3620)この男の子は車に乗っている。走行中という記号がどのコマにも施されているから高速移動しているとみてすぐわかる。こんなに高速移動したら「キャラクター」が零れ落ちてしまうではないかといわんばかりの勢い。 pic.twitter.com/xvpNvORiXl
2016-10-16 12:21:0221)このまんが(1897年)ではカメラも人物もフィックス。同一人物だと読者が視認できるよう、描き手が気を使っているのがわかる。 pic.twitter.com/X1UxSHOjfa
2016-10-16 12:22:3622)これは違う。右ページはカメラがフォロー、左ページ1コマ目は左に付けパン、2コマ目はカメラ走行に車がにじり寄っていく感じでつまりカメラがやはり高速移動、4コマ目は望遠つけパンかフォローかあいまいな構図。 pic.twitter.com/e0YlMQc44E
2016-10-16 12:24:5623)地面に対してカメラが移動→固定(パンはする)→移動→移動か固定(パン)か判断できないけれど左に画面が流れる躍動感 こういう風にメリハリが工夫されています。
2016-10-16 12:26:4724)ということはひとによっては各コマに描かれた人物が同一人物だと認識できなくなってしまうおそれも理論上はありうるのですが、実際にはそうはならない。なぜなら「乗用車を駆る」というわかりやすい指標があるからです。「同じ車だな」と見てわかるから運転者も同一人物だと認識される。
2016-10-16 12:28:4125)この男の子は車とコミで「キャラクター」なのです。構図もなにも違うコマが続くのに同一の存在と誰が見てもわかる、つまり「キャラクターの強度」が高い(または強い)のです。
2016-10-16 12:30:1726)この二十年以上前にアメリカの新聞漫画ではもう同種のことが行われています。 pic.twitter.com/nFBt8KHvs6
2016-10-16 12:31:2227)走行する乗用車はキャラクター強度がとても高いので、コマごとに構図が大胆に切り替わっても読者は「同じ車だよな」と認識してちゃんとついてきてくれる。
2016-10-16 12:32:4128)「キャラクターの強度」というのは私の造語です。過去に同じ言い回しがあるいは使われている可能性はあるのですが、ニュアンスは違います。
2016-10-16 12:35:19…と、もし『テヅカ・イズ・デッド』の改稿を私にやらせてもらえるならいじり倒すのですが。映画『アマデウス』のあのシーンみたいですね。youtu.be/-ciFTP_KRy4
2016-10-16 12:48:55