@amnkLibya さんによるリビア情報
- yoshi_kasa
- 87353
- 7
- 298
- 52
とはいえ、革命から間もない70年~80年代には、「ジャマーヒーリーヤ思想」に代表されるラディカルな思想を国民に押し付け、思想統制や焚書を行い、多くの政治犯や亡命者、さらには革命の同志までもを処刑したことも事実です。
2011-02-22 20:33:53実際、近年では09年のNYでの国連総会における演説や「テント騒動」、WikiLeaksで暴露されたような言動に代表されるカダフィの「予測不能」な振る舞いに、リビア国民自身が辟易していたのは確かでしょう。
2011-02-22 20:38:43ただし、チュニジア同様リビアも国民の5割近くが25歳以下であり、つまりリビア国民のほとんどは、カダフィによる弾圧の嵐が吹き荒れ、国連や欧米による経済制裁によって物資が困窮していた時代を経験していません。
2011-02-22 20:41:15例えばJETROは1981年の報告書で、「カダフィは「北アフリカの空隙地帯」「存在しない国」と言われていたこのリビアから、まさしく存在する国家を作り上げ、リビア人に地域主義や部族主義よりも一国の国民としての感情を優位に立たせることに成功した 」と述べています。
2011-02-22 20:43:35砂漠で生まれ育ち、幼い頃から遊牧民の伝統とイスラームの教理に従って生活し、成長するにつれ旧王制の腐敗と外国勢力による搾取を糾弾し、ついには若くして革命を実行したカダフィ青年は、当時のリビアの人々が強い共感を得る要素をふんだんに兼ね備えていたといえます。
2011-02-22 20:45:17「指導者に特別な思考能力や実行力があるということは別にして、普通指導者の性格構造は、彼の主張を受け入れるひとびとの特殊な性格構造を、より端的にはっきりと表していることが多い。指導者は、その支持者が既に心理的に準備している思想を、よりはっきりと率直に述べているのである」E.フロム
2011-02-22 20:46:5280年代に顕在化した米国との対立も、結果的にカダフィによる支配の正統性を高め、権威の確立に貢献したといえます。野田正彰は、リビア国民の間に「世界最大の国アメリカにこれほどまでに叩かれる国もまた、偉大に違いない」という「取り入れ」の心理機制が働いていたと述べています。
2011-02-22 20:49:45カダフィとリビア政府は弾圧によってリビア国民を苦しめてきただけではありません。カダフィが断行した石油産業の国営化と石油価格のつり上げは、国家収入を劇的に増加させました。革命前の5年間の石油収入合計は約6000億円であったのに、革命後の5年間の合計は2兆円となったのです。
2011-02-22 20:53:51政府は民衆の側からの自発的な組織と発言を厳しく禁じる代りに、オイルマネーによって家、自動車、病院、工場など国民が必要とするものを整備し、民衆の生活は確実に向上しました。教育制度も整備され、授業料は無料となったために識字率は大きく上昇したといわれます。
2011-02-22 20:56:32で、某ハッシュタグを眺めていると、例えば以下のようなTweetが流れて、拡散されているわけです。(注:原文のまま。ツイートした人の名前は伏せます)「リビヤはアフリカ最大の産油国/最高のGDP、PP。にもかかわらず国民の3分の2は貧困層の一日$2以下の生活水準。」
2011-02-22 21:00:28しかし以下のグラフを見て頂ければ、それが真実からかけ離れている、ということが分かるかと思います。「リビアの一人当たりの購買力平価ベースのGDP推移(1980~2010年)」http://bit.ly/hqK2cV
2011-02-22 21:04:16いまや「カダフィ大佐」の名と切り離してリビアを語ることはほぼ不可能であるほどに、カダフィと現代リビアが結びついているのは事実ですが、カダフィ個人をリビア社会の“突然変異分子”や”悪性腫瘍”として、彼自身が抱える文脈から切り離して捉えることはできません。
2011-02-22 21:10:57さらに、そのようにして文脈から切り離され「アラブの狂犬」「狂った独裁者」とレッテル付けされた「カダフィ大佐」の動向をリビア人全体の表象として捉えてしまうと、そこからは極めて一面的なリビア像しか描かれ得ないと考えています。
2011-02-22 21:11:38WW2後の1951年、リビア西部のトリポリタニア、東部のキレナイカ、南部のフェザーンの3つの自治州から構成されるリビア連邦王国が独立します。当時はまだ石油も発見されておらず、独立したものの先進国の援助なしには国家財政を運営していくこともできないような北アフリカの最貧国でした。
2011-02-22 21:21:01当時の首都はベンガジ、つまり現在反政府運動が最も激しい都市におかれ、リビア東部を拠点とする有力部族が政府高官となったわけですが、政治の実権を握った王族と一部の有力者は、彼らの支配力と権益の維持のため、政党や議会を禁じました。つまり現政権と全く同じことをしていたわけです。
2011-02-22 21:25:151960年に世界銀行は、リビアの経済発展の障害は、公職への任命に関する一般的傾向として、しばしば個人の実績よりも個人的親交や部族のつながりが重視されることであると報告しています。これも現政権とほぼ同じですね。
2011-02-22 21:27:58このように、リビア東部における一部の特権階級が政治権益を操ることで、その利益を享受することのできない大多数の国民は、体制からの疎外感を強め、それが1969年の革命の支持に結びつくことになったのです。現政権におけるベンガジ・リビア東部の疎外には、このような背景があるわけです。
2011-02-22 21:29:31王制時代、リビア社会は教育に見放され、独立後数年経っても住民の90%以上は文盲であり、ほんの一握りのリビア人が大学か職業訓練施設で勉学の機会を与えられたに過ぎませんでした。教育制度が真に発展するのは1960年代の石油発見後です。
2011-02-22 21:32:56油田が発見されると、旧王制は国際石油資本と結びつくことで、王政存続の経済的基盤を獲得しましたが、その利益は王族と一部の有力者に独占され、国民は石油利益の恩恵を受けることができませんでした。
2011-02-22 21:34:521962年、在リビア米国大使館からケネディ大統領宛に秘密メモが届けられています。「石油による巨額な収入が見込まれているにもかかわらず、王族たちは、行き当たりばったりの大浪費と公金横領に目がくらんで、たちまち現金不足に陥り、結局、我々のところに泣きついてくることになる」
2011-02-22 21:36:10これ、現在のカダフィ政権の話じゃありませんよ。カダフィと同志達が打倒した王国政府のことです。そして繰り返しますが、当時ベンガジは王族や有力者の基盤として繁栄の極みにあったわけです。
2011-02-22 21:38:31そしてリビア東部の人々は、革命直後から現在に至るまで、現政権に対して決して無抵抗であったわけではなく、様々な形で抵抗を試みてきたわけです。
2011-02-22 21:47:40主要な例としては、1993年、有力部族のワルファッラ(Warfalla)家によって引き起こされたカダフィ暗殺計画があります。反乱の理由は、ワルファッラ家メンバーの政府と軍部への部族出身者の登用において、彼らが到底満足し得ない冷遇を受けたというものでした 。
2011-02-22 21:50:48