吉田健一、「東京の昔」 読書メモ

「東京の昔」で気に入った箇所をてけとーに写経(抜き書き)していくメモ。ハッシュタグついてないものは関連した自分の感想とか連想とかそういうの
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m_um_u @m_um_u

それでおでんも有り難ければ熱燗の酒も旨かった。そうしていて外に聞える凍り付いた砂利道を人が通る下駄の音も冷たそうで寒さが空から東京にのし掛っている感じだった。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:39:06
m_um_u @m_um_u

勿論それだからおでん屋の店の中も寒かった。それを温めるという観念もなくておでん屋の主人が立っている前には鍋が煮えていて暖かくて帳場にいるおかみさんの脇には火鉢が置いてあったが客は酒とおでんで温まることになっていて #tokyo_memories

2010-05-19 22:41:04
m_um_u @m_um_u

事実それで飲んでいるうちに温かくなったのだから冬の気分が薄暗い電燈の明りとともにゆっくり味えた。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:42:18
m_um_u @m_um_u

それは鍋から昇る湯気かと匂いにも漂っていてその頃は冬というものそれ自体に匂いも手触りもあると思っていたものだった。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:43:17
m_um_u @m_um_u

あの頃はウイスキーというものを随分飲んだものである。このもともとはスコットランドの濁酒に近い地酒だったものが多少の工作をして色が済んだりした所で今でも余り旨い飲み物とは思えない。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:45:32
m_um_u @m_um_u

併しその焦げ臭い匂いもどこか喉を刺す味もあっさりしているという風にも取れて一晩を改めて飲んで過ごす気分の時にはその色が澄んでさえ見える。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:50:05
m_um_u @m_um_u

勘さんと二人でそこの剥げ掛った凝い皮の背の椅子に腰を降してそのウイスキーでやっているとそこの店はガスが燃えていてその火がそれが冬の晩であることを知らせた。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:50:52
m_um_u @m_um_u

併し相当に飲んだ後で夜中に大きな盆に運ばれて来た酒とビールを一本ずつ片付けていくのは決してご苦労なことではない。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:52:42
m_um_u @m_um_u

その仲居さんがビールを注いで行ったのはこれも勘さんに訓練されてのことだったのに違いなくて一晩飲んでいれば妙な具合に喉が渇くから先ずビールということになる。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:53:40
m_um_u @m_um_u

その辺から勘さんが本式の酒飲みであることが解って来た。これは強いことを示してただがぶ飲みするというようなことをしない人間を意味してそれでも盃、或はコップは離さず、その上下がゆっくり時を刻んで行く。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:55:11
m_um_u @m_um_u

又そんな風に落ち着いて飲むには深夜に他に入れてくれるところがなくなって辿り着いた当時の待合の座敷でやるのが一番向いているかもしれなくて人間はこうして酒と相対になる。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:56:32
m_um_u @m_um_u

そこに一緒に飲む相手がいてもそれならばその数の人間が酒と相対になっているので呼吸が乱れないから同じ人間である親みが生じて自分以外のものがいるのが邪魔にならない。 #tokyo_memories

2010-05-19 22:58:15
m_um_u @m_um_u

「これからの時代っていうようなことがあるのかね、」と勘さんが言った。「そういうことを聞くけれど。それがどんな時代でももっと分かり易い所で自転車が売れなくなるとか誰もが車に乗るとか、そして戦争が起るとか、」 #tokyo_memories

2010-05-19 23:04:03
m_um_u @m_um_u

「もしそういうことになったらそれがこれからの時代っていうものなのだろうか。もしその三つがその通りになったらそれは何時代っていうのだろう。」 #tokyo_memories

2010-05-19 23:04:37
m_um_u @m_um_u

「何時代でもないだろう。」こっちは雑誌に付いている題以上に時代というものが信じられなかった。 #tokyo_memories

2010-05-19 23:05:22
m_um_u @m_um_u

「実は丙種だからね、先ず戦争が起っても取られないだろう。もし取られればもう日本の負けだよ。併し仮にそういうことがあってもそれでそのこれからの時代がどうにもなるものじゃないだろう。やはり負けても何でもその戦争が終わればこっちは胸を撫で下ろすだろうし」 #tokyo_memories

2010-05-19 23:06:58
m_um_u @m_um_u

「そういうことになって時代なんてことを思うかね。そしてそれを思わないのがどうかしてるんじゃないんだ。貴方だって、誰だってきっとそうだよ。その胸を撫で降すんだって自分がもと通りの人間だからじゃないか。」 #tokyo_memories

2010-05-19 23:08:26
m_um_u @m_um_u

「それで自分はもと通りでこれからの時代なんていうことを考えたって何の足しになるのか。それよりもこれから自分がどうするかで自分の一生は時代じゃない。」 #tokyo_memories

2010-05-19 23:09:41
m_um_u @m_um_u

「時代っていうものはないのか、」と勘さんがそこまで話を進めた。 「ないさ。」どうもそんな気がした。「例えば石器時代っていうものはあった。それから、」と幾つかの時代の名前が頭に浮かんだのをどれも知識人を匂わせるものなので凡て消した。 #tokyo_memories

2010-05-19 23:11:50
m_um_u @m_um_u

「或る長い期間をずっと後になって振り返って見ればそこに時代があるということになるけれど、そのどの時代だって今は今だったんだよ、この今が今なのと同じで。」何だかそういう話をしているのが滑稽になって来た。 #tokyo_memories

2010-05-19 23:13:32
m_um_u @m_um_u

「現に我々はこうして飲んでいて今から三百年前の人間もやはりこんな風にして飲んでいたんだ。それでいい筈だと思うんだけれど。」 #tokyo_memories

2010-05-19 23:15:55
m_um_u @m_um_u

誰でも外国語の文法を習って字引を引くことは出来るが海で距てられた所が自分がいる所と地続きになるのでなければ、それをもっと具体的に言えば自分の頭に銀座のような所が生じるのでなければ外国という言葉からその或る特殊な響きがいつまでたっても消えないでいる。 #tokyo_memories

2010-05-22 23:40:25
m_um_u @m_um_u

併しそれならばどうしても外国に行ってそこを外国でなくす他なにのだろうか。 「その解るというのがただその所謂、解るということだけじゃないんじゃないでしょうかね、」とこっちは折衷説を試みた。 #tokyo_memories

2010-05-22 23:42:15
m_um_u @m_um_u

「例えば肉体と本と鳥と重吹(しぶき)と波と古い庭という言葉の意味とその結びつき方が解ってもそれだけじゃ何も見えやしないでしょう。それが見えて来れば西洋の海で庭も西洋のですよ。」 #tokyo_memories

2010-05-22 23:44:08
m_um_u @m_um_u

本郷までは電車でかなりの時間が掛って降りた頃にはもう夕方だった。それで思い出すのが店の軒燈というものである #tokyo_memories

2010-05-22 23:47:38
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