元禄大地震の津波記録
- nishiaki15
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@ubitw 家の構造について述べているので、恐らく建築用語か部材の名前だと思います。原文は「いたミわれ伏なり」なので、木組みのことかもしれませんが、詳細は不明です。
2011-03-25 22:44:11@kin_mokusei 約300年前ですら「古の津波の話」があるんですね。今なら記録も多いでしょうがびっくり。ところで高崎浦ってどのあたりでしょうか。
2011-03-25 22:44:25@kin_mokusei ありがとうございます。あの高崎でしたか。ここまで克明に状況が記されてるものがあるんですね。こっちの方の津波の資料とかもちょっと読んでみたくなりました。
2011-03-25 22:48:16@kin_mokusei えぇ、木更津の友人宅から今度訪ねようと思っていた場所なのです。あのあたりでそういう津波の大被害があったというのは全然知りませんでした。
2011-03-25 22:50:31@kin_mokusei: 「かんめ」ではなく「ぬきめ」と読むのかな。「ぬき」=軸組み構法の建物で、柱と柱をつなぐ横木のことだそうです。何か関係があるかも知れませんね。> @aurora_lummox そのようです。>貫目 和風建築に詳しい方なら分かるのかも知れませんが…
2011-03-25 22:51:08@aurora_lummox あ、それで分かりました。「貫」の「目」ですね。たぶん柱と貫の嵌合部のほぞ穴が痛んだり割れたりしたのでしょう。
2011-03-25 22:54:14@kin_mokusei: 合点が行きます!> @aurora_lummox あ、それで分かりました。「貫」の「目」ですね。たぶん柱と貫の嵌合部のほぞ穴が痛んだり割れたりしたのでしょう。
2011-03-25 22:55:26@kin_mokusei 津波記録、興味深く読ませていただきました。デマが飛んだりするところは昔も今も大して変わってないですね。この津波のもとになった地震は特に前兆現象があったようには書かれていないようですが、直下型地震だったのでしょうか? 自分でも調べてみようと思います。
2011-03-25 23:02:33@kin_mokusei 元禄大地震を調べてみたら、熱海では津波のために500戸がほぼ全滅、鶴岡八幡宮まで津波が押し寄せたなどすさまじい被害だったようですね。関東大震災と同じタイプと言うのも驚きました。
2011-03-25 23:18:04300年前も今と変わらない打ちひしがれようだったはずである。そこから営々と、つまづきながらも努力を重ね今日に至った。色々と困難もある思うけど、もっぺん積み上げて将来につなげる他ない、などとか。
2011-03-25 23:32:47@kin_mokusei 映像もあるし、ツイッターのまとめもありますが、記録に意味づけできるのは、今を生きている人がどう考え、どう感じ、それを語り継ぐことでしょうかね。重責です。
2011-03-25 23:42:17