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2014年4月12日

宮城県沿岸自治体史の災害記事を読んでみた

「宮城県南の津波に対するイメージを巡って」(http://togetter.com/li/651176)の続編です。 平成の大合併以前の宮城県沿岸部自治体が編纂した自治体史の災害関連記事を総覧して「津波」の採り上げ方を比較してみました。
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『女川町誌』と『牡鹿町誌』から

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

今、『女川町誌』の記事を読んでいる。チリ地震津波(昭和35年5月)の約1ヶ月後、NHKの全国放送ラジオで女川を舞台としたドキュメンタリードラマが放送されたらしい。偶然とはいえ、女川はこの津波の時もドラマの舞台になっていたんだ、と不思議な気持ちになった。

2014-04-12 15:47:56
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

昭和35年のラジオ放送だと、録音があるかどうかは微妙な時期だろうか。シナリオが残っていればありがたい。

2014-04-12 16:17:43
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

『女川町誌』の劇的な側面はもう一つ。この本が刊行されたのが、まさに昭和35年だったこと。チリ地震津波は5月に起きたが、急遽、津波被害や復旧対策に関する記事を書き加えて巻末に付したと予想されるのだが、8月には早くも刊行されている。ものすごい仕事である。

2014-04-12 15:51:17
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

宮城県沿岸部の自治体史を総覧しているが、津波災害に関する記事の取り扱いの濃淡は、自治体によって本当にまちまち。宮城県海嘯誌の記述を単にまとめた町誌があるかと思えば、『牡鹿町誌』のように当時の村会議事録に遡って地元情報を盛り込んだ町誌もある。この話題は後日、情報をまとめようと思う。

2014-04-12 16:46:00

自治体史の編集方針と防災への展望

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

全国的に共通しているだろうが、自治体史の編集方針には幾つかのパターンがあることが見えてくる。災害関連情報をどの分野に位置付けるかにもパターンがある。(1)全く記載しない、(2)歴史記録として掲載、(3)気候・自然条件の一部として掲載、(4)消防・警察の活動記録として掲載。

2014-04-12 16:58:21
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

『気仙沼市史』の津波記事は(3)のパターンで「自然編」(昭和61年)に収録。その中で、「一千年という単位を考えると、予測のできないような、あるいは予想外といわれるような大きな津波が起こりうるから、現在実施されている対策が万全であると過信してはならない。」→

2014-04-12 17:17:43
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→「波源の位置・規模と津波進行途中の海底地形によって、三陸沿岸における観測史上最大といわれる明治津波より大きな津波が、起こるかもわからないからである。」と述べられている。このような自覚と実際の防災体制整備が市にあっても、2011年の津波は、やはり過酷だったのである。

2014-04-12 17:19:27
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

自治体史の書き手の立場・経験、時代状況によって、災害のとらえ方が変わるのは致し方ない。我々は2011年の津波を経験してしまった以上、それ以前の津波に関する記録や認識の仕方に厳しい目を持ってしまうこともその1つの表れであろう。例えば、昭和61年に刊行された『歌津町史』には →

2014-04-12 17:26:08
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→ 詳しい明治以来の津波記録が書かれていながら「チリ地震津波以降国土保全事業が国策として打ち出され、海岸保全事業が強力におし進められ防波、防潮の施設も逐次整備を見るようになった。。。沿岸の様相は一変しつつあるので今後においては昔日のような惨状を見ることはあるまい」と記されている。

2014-04-12 17:29:30
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

自治体史の災害関係記事で、将来の防災について「希望的観測」を述べることは、やはり細心の注意を払わねばならないのだろうなあ、と思わされる。地域住民に向けたメッセージでもあるわけだから。

2014-04-12 17:46:10

『仙台市史』の宮城県沖地震記事

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

『仙台市史』(平成6年)も津浪と地震の記載は「特別編Ⅰ自然」の中にまとめられている。津波の記載としては「明治以降に目を転じると・・・仙台における[津波の]被害の記載が認められない(被害があったにもかかわらず、他地域に比べて被害が小さいために記載がないという可能性はある)」 →

2014-04-12 17:52:43
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→「わずかに、1901年に水田の被害があるにすぎない。地震と津波の被害からみると、1978年までの約100年間...仙台は静穏であったと評してよいかもしれない。翻って、1978年の2度の地震とくに宮城県沖地震による被害の大きさは、まさに特筆に値する」としている。

2014-04-12 17:54:43
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

『仙台市史』の記述の重心は、どうしても1978年の宮城県沖地震に向けられている。これは被害の大きさからいっても、市史として採り上げるべき優先順位が高いことも納得できる。結局、歴史的な記録に基づく以上、起きなかった津波災害、記録に残らなかったことを市史には書きようがないのである。

2014-04-12 17:58:43

再び宮城県南部の津波記事へ

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

先日も話題にした昭和37年『宮城県史』(災害)では仙台湾の津波被害の想定を次のように述べる。「仙台湾沿岸は。。。遠浅で、砂丘の発達が見られる。。。砂丘裏には、海岸線に並行して瀉湖が細長い形で分布しているし、貞山堀や北上運河がある。従って津波の襲来には三陸海岸ほどの不安はない」

2014-04-12 18:12:29
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

宮城県南の自治体史で採り上げられている津波記事がやはり軽い扱いになっているのは否めない。例外は『七ヶ浜町誌』。本巻・増補版でもチリ地震津波のことを詳細に採り上げている。隣町の塩竈市の被害も併せて記録しているが、肝腎の塩竈市史には、その津波情報は記載されていない。。。

2014-04-12 18:36:19
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

チリ地震津波で4名の行方不明者が出てしまった名取市であるが、昭和52年の『名取市史』にはそもそも「災害」の独立した項目が無い。『亘理町史』下巻(昭和52年)はチリ地震津波を記す。山元町、岩沼市も同様だが、やはりページ数は僅か。三陸沿岸自治体が数十ページをあてているのとは対照的。

2014-04-12 18:42:37
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

内陸の自治体史に津波の記載がないのは自然であるが、宮場の沿岸部であるからといって、必ず災害項目の中に津波を入れていたとは限らない。特に宮城県北の場合は河川の洪水が災害として一番強烈に意識されていたこともあり、鳴瀬町・矢本町の町誌はほとんどの記述を洪水対策に宛てている。

2014-04-12 18:50:17
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

『鳴瀬町誌』(昭和60年)を見ると、チリ地震津波の時に野蒜・宮戸に被害が出たので対策本部を設けたという記載のみがあって、具体的な記述がない。。。平成の大合併前の石巻市を扱った『石巻の歴史』(平成元年)だと、津波被害の概説的な記述はあるが『歌津町史』と同様に将来展望はやや楽観的。

2014-04-12 18:58:03

リアス式海岸沿岸自治体の場合

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

昭和43年の『唐桑町史』は津波被害の概説とともに、年表記事に註釈を加える形で町内の被害をさらに詳述する。(『本吉町誌』もこれに倣っている。)また、『唐桑町史』は刊行時点までに津波を含めた海難で犠牲になった町民の名簿を掲載している。海で生きることの厳しさを突きつけられる記事である。

2014-04-12 19:07:39
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

『雄勝町史』(昭和41年)も相当詳しい記述を津波被害に宛てている。『北上町史』(平成17年)は十三浜の近代の津波被害を概説している。宮城県沿岸自治体のうち、全国的に歴史・文化方面で知名度が高い塩釜・松島・多賀城の市史・町史にはほとんど災害記事はない。関心の方向性が明確と言えば明確

2014-04-12 19:22:00
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コメント

澤正宗 @Osiziga_ni 2014年4月12日
志津川町は旧本吉郡の郡庁があったところなので、結構資料を残しておりますよ。「自然の輝・Ⅰ」では自然からの観点。「生活の歓・Ⅱ」では「大津波で水がここまで来た境(界)から”水界峠”や、入大船沢はここまで船が押し上げられたからでは」などの地名考、「歴史の標・Ⅲ」では復旧対策と本吉疑獄(義捐金問題)など。
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澤正宗 @Osiziga_ni 2014年4月12日
また、「生活の歓・Ⅱ」では”チリ地震と三陸津波”に関しても触れておりますです。
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