宮城県沿岸自治体史の災害記事を読んでみた
昭和30年から刊行され始めた『塩竈市史』をのぞけば、他の宮城県沿岸自治体史は、いずれも昭和35年のチリ地震津波を経験した後の刊行である。それだけに「津波」のキーワードはいずれの自治体も重視したと思いきや、ここまで見てきたようにかなりばらつきがある。あと一つ、残された自治体史がある
2014-04-12 19:27:33『河北町誌』の災害記事
実は、宮城県沿岸でリアス式海岸を持ちながら近代の津波被害にほとんど触れていない自治体史が一つだけあった。これには愕然としてしまったのだが、『河北町誌』下巻(昭和54年)である。災害の記事はたくさんある。しかし、そのほとんどは追波湾に注ぐ北上川による洪水記事なのであった。
2014-04-12 19:34:34『河北町誌』では「北上川の改修工事」が特筆的な記事として採り上げられ、100年近くにわたる北上川との闘いを詳述している。地域全体の災害対策と関心が「いかにして上流からの水を制御するか」に向けられていたことがよく分かる。対岸の北上町に比較すれば近代津波の人的被害は少ない地域だった。
2014-04-12 19:40:01昭和8年の津波による追波湾周辺の人的被害を示した地図。『宮城県昭和震嘯誌』(昭和10年)の付図を拡大。緑の丸が犠牲者数を示す。北上川の左岸、相川近辺の犠牲者数が多く、後の河北町となる右岸エリアに被害が無いことが分かる。 http://t.co/WtuJnFC1Hi
2014-04-12 19:51:41同じ宮城県民でも、この町を知らない人が『河北町誌』だけを見て災害事情を判断したとすると、少なくともこれらの記事から河北町が津波常襲地体に隣接していることは伺えないに違いない。洪水が毎年のように起きていることは分かるのだが。。。 この河北町が、大川小学校の所在地なのである。
2014-04-12 20:04:58ああ、『河北町誌』を見ると、水との闘いは「山の水」(内水)もあったと。町の総面積の56%が山地なので、豪雨があると一気に山から水田に水が落ちてきた、と。これも辛いなあ。川の本流の洪水と山からの水とダブルパンチ。
2014-04-12 20:18:02しかも、直接北上川から取水することは近代になってからできたことなので、それ以前は干ばつ被害も何度かあったという河北町。これはもう、何というか。。。
2014-04-12 20:19:45結語
何度も同じ問題に立ち戻るが、歴史記録を残すことの責任というか、問題点を災害史は歴史家に突きつける。日本にいる限り、災害はあらゆる方面から何種類もの形を取って襲ってくる。どれかを特筆することで他の災害を軽微であると錯覚させてしまう危険性は常にあるし、楽観論は厳に慎むべきなのだろう。
2014-04-12 20:24:24補足事項:今回総覧した沿岸自治体は北から順に唐桑町・気仙沼市・本吉町・歌津町・志津川町・北上町・河北町・雄勝町・女川町・牡鹿町・石巻市・矢本町・鳴瀬町・松島町・利府町・塩竈市・多賀城市・仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町でした。
なお、『自然の輝き 志津川町誌』(1989年)は自然環境の解説として津波を概説し、防災に対する注意喚起をしています。
『利府町誌』(昭和61年)は、山火事のみ言及していました。