「論述 vs. 実証?」 論述系における「濃い記述」の話
経験的な内容に超越論的価値を付与したり、経験的な内容を構成的な主観性の側に位置づけたりする際に、少なくとも密かに何らかの人間学に訴えずにいることは恐らく不可能だろう。-言葉と物-
2011-04-27 08:18:35なにかの学問の知識や技術を「独学する」ことは可能だと思うが,なにかの学問で「研究を行う」ことは独学ではできない。それは「研究を行うのに本質的な能力」は本や論文には書いてなく,正統的周辺参加によって学ぶしかないからだ。
2011-04-27 08:58:44濃い記述とは何か?Contextual Design(1998)を著したHugh Beyer とKaren Holtzblattがcontextual inquiry という方法を導入したときも、経験をwrap upしてそれを5つのモデルに分析するとだけ書いてある。
2011-04-27 09:58:54contextual inquiry は民族誌の手法を師匠・弟子モデルとして導入しているのだが、そこの説明は比較的単純である。だがユビキタスコンピューティングの登場で状況は変わってくる。民族誌の手法である参与観察を強調する必要が出てきたのだ。
2011-04-27 10:05:17参与観察(participant observation)とは観察する対象の日常生活に観察者も参加する。師匠を捜して弟子として入門するというcontextual inquiryは参与観察を要求しているので入門者にとっては使いやすい方法である。
2011-04-27 10:07:26またこの方法の良さは、弟子入りをするというプロセスを行うことで、観察者と観察される者のあいだにラポールを構築するプロセスも要求していることだ。この二つの点に注意しながら民族誌調査を行う。そしてデータを得るわけだが、ここで濃い記述の問題が出てくる。
2011-04-27 10:08:57濃い記述を書くためには自分が経験したことを覚えている限りすべて書く。コツ読者をその場にいるような気持ちにさせることだ。自分の経験だけを書くのではなく、必要であれば背景となるコンテキストも書き記す。観察した行動を記すだけではなくて、こうした行動がどういう意味を持つかも書く。
2011-04-27 10:12:39ってことになっちゃいますよねえ?RT @Kelangdbn: 学問でなく文学 QT 上野千鶴子「社会科学や人文科学はアイデアやコンセプトが優れているというだけでは不十分。言語的なパフォーマンスのデリバリーの能力の差なんです。」 http://j.mp/hbjoJr
2011-04-27 10:39:27ちょっとちがう.RT 上野千鶴子先生の分野だとレトリック勝負でしょう。研究成果が何かの役に立つわけでもないのでそれ自体がコンテンツとして「おもしろい」事が必要でそれ以外は不要。それは文学。
2011-04-27 10:46:11いまデータといわれてるものは単に数字などの抽象言語に直したものにすぎんよ。もちろんそこでバイアスを濾過するために重回帰やらなんやらで何回も濾過する。でも…それはいちお汎用なやり方にすぎない。その前の前の恣意性問題はある
2011-04-27 10:54:37実証と論述のひとはきちんと普段からお話ししたり、両方の方法を試して見たりするべきではないかね?( ^ω^)・・・タバコ部屋みたいなとこで
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