映画レビュー「若おかみは小学生!ってホントに"感動的"な映画ですか?」

映画「若おかみは小学生!」のレビューです。ネタバレあり
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

つまり 「理性が人を作っている」 という理念と 「社会が人を作っている」 という理念の対立。 これは誤解を恐れず言うと「多くの物語は理性(合理)的な作劇法である」ということも指していると、私は考える。

2020-05-22 03:15:21
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

理性(合理)的な作劇というのは、要は因果関係を重視した話作りのこと。 例えば「両親が不具にされたので何とか行動しなければならない」とか「仲間を獲得して勇気を得て、試練を経て成長する」というようなこと。 でも、よくよく考えればこれもただの「セオリー」なわけです。

2020-05-22 03:15:21
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

別に両親が死んだり豚になったからといって宇宙に旅立ったり元に戻そうとしなければならないことはない。いじけてその場に留まることだって選択肢としては十分ありうる。 「〇〇があれば△△する」というのは「理性的に考えた道理的道筋」でしかないわけです。 pic.twitter.com/jH22gmoowc

2020-05-22 03:15:22
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

これは、ある意味では恣意的で。 「試練を克服したから宇宙に平穏をもたらすパワーを手に入れてもいいよね!」という暗黙の了解があって、厳密にはそこに因果関係はない。ただのお話の王道展開なだけです。 「若おかみ」はこうした通念を否定していると私は見受けます。 pic.twitter.com/I6nJ1bGkwZ

2020-05-22 03:15:22
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

それが件のインタビュー「あらゆる方面で言われている主体の喪失」「人の意識は社会が作る」なわけです。 今作の作劇では、おっこの成すことにとことん因果が与えられていない 例えば「試練を経て若おかみ業を会得する」だとか「通過儀礼を経てトラウマを克服する」といったことです。 pic.twitter.com/alW3lZbTlQ

2020-05-22 03:15:22
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

本作に批判的な、違和感を覚える方は主にここが引っかかるのだと思います。 「おっこはなぜ両親の死を克服出来たのか」 とか 「なんでこんな辛い目にあいながら若おかみ(辛い労働)なんか出来るんだ」 という疑問点。今作はそこに「因果(セオリー)」で説得力を与えていない。

2020-05-22 03:15:23
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

例えば、実は原作は真っ当な「因果による成長の話」でして。 おっこが若おかみになる経緯も丁寧に「理性的にそうするであろう」という「誘導」を計っています。 まず原作のおっこは、映画にも微かにある「煽り耐性ゼロで怒りっぽい」という、この手の子供向け作品にあちがちな性格がある。 pic.twitter.com/DCU2GdesaT

2020-05-22 03:15:23
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

この性格を持ってると話が動かしやすいので色んな作品の主人公がこれを持ってます。 原作では映画と同じく若おかみ業を周囲に打診されますがおっこははじめこれを拒否します。 でも、真月とその母親が映画と同じ理屈で「こんなボロ旅館w」と煽りに来て、

2020-05-22 03:15:23
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

あかねにも「へぇ君若おかみやるんだ。僕にあんな説教したし、ちゃんと出来るよねw」と煽られます。 更に同時期におばあちゃんが倒れたりしていよいよ「おっこは若おかみをやることを余儀なくされる」わけです。 これは、ある意味で理性的に突き詰めた結果の話作り。 pic.twitter.com/YOK0hmXatA

2020-05-22 03:15:24
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

そして原作では数々の失敗を経ておっこが若おかみ業の心得を習得していき、幽霊達は超常パワーを使って様々なサポートをします 原作ではウリ坊に憑依能力がありおっこを手助けします (ちなみに映画版にも最後まで設定は残っていてコンテの未収録パートでそれを説明する場面もありますが削除されました) pic.twitter.com/m5Nni9qbda

2020-05-22 03:15:24
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

今作のウリ坊ら幽霊達を「イマジナリーフレンド」と解釈する意見もあるようですが、今作の幽霊達は意図的にイマジナリーフレンド的機能(主人公を影で癒す)を排除してあります ですからおっこがトラウマを克服出来た理由に幽霊達もあまり関係していません。特に何かしてくれてるわけじゃないですからね pic.twitter.com/R9gzDUEmQD

2020-05-22 03:15:24
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

ちょっと話を整理しましょう。 ・監督は理性(因果)による理由付けを否定している(と私は見受ける) ・おっこは原作のように試練によって成長するわけでもなく、イマジナリーフレンドによって癒されるわけでもない であるなら、終盤の選択をしたおっこの強靭なメンタリティはどこから来るのか?

2020-05-22 03:15:25
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

ここで出てくるのが、監督が所信表明でも触れられている今作の重要理念「滅私奉公の精神」です。 これは、今作否定派の方が特に毛嫌いするポイントだと思います。 「ブラック企業礼賛映画だ!」といった意見は公開当時も結構見かけました。

2020-05-22 03:15:25
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

もう一つ重要な点として、本作に頻出する「仏教的モチーフ」についても触れておきましょう。所信表明でも仏教に触れられています。 まず教室の習字の文字が仏教用語が多いと聞きます(詳しくないので私にはわかりませんが) pic.twitter.com/Vqd1ZjXE9F

2020-05-22 03:15:25
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

印象的な挿入歌の「ジンカンバンジージャンプ」は「人間万事塞翁が馬」という言葉のダジャレで、「不幸や幸福は予測ができないものだ」という意味らしいです。 歌詞は、ジャスラックが怖いので転載しませんが輪廻転生についてのものと思われます。

2020-05-22 03:15:26
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

こんなツイートも。 twitter.com/sanpouji_ise/s…

2020-05-22 03:53:52
釋浩水@三法寺【浄土真宗本願寺派】 @sanpouji_ise

映画「若おかみは小学生!」を振替休日の娘と鑑賞。私が僧侶だからそう感じるのか、何か凄いものを見た。死にどう向き合い、どう受け容れていくのか、これはまさに仏教的な救いの物語だ。大人もぜひ映画館に足を運んでほしい。

2018-09-26 11:21:46
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

仏教では「この世はあらゆる苦しみに満ちているという基本理念があります。で、仏教の教えはそれを克服することを目的にしている。 宗教と思われがちですが、元々は哲学的思索の側面が強く、釈迦も哲学者としてカウントされます。

2020-05-22 03:53:52
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

仏教で苦しみを生む原因というのは端的に言って「自我です。 自我が生む執着を払拭すれば悩みも消える。ベストセラーになった「反応しない練習」はこうしたことを説いています。 pic.twitter.com/xOpWBvxdBB

2020-05-22 03:53:52
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

例えば人の眼が気になる、人に嫉妬する、人に言われたことが気になる、といったものは元は「心の反応」で、この反応さえ無くしてしまえば人間関係を巡る悩みの一切から解放される、大雑把に言えばそういうことです。 仏教でいわれる「滅私」はこうした理念。 つまり「悩みを消すための手段」なのです。

2020-05-22 03:53:53
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

こうしたことは仏教以外でも言われていて。例えば心理学者のアドラーの説もほとんど同じです。 アドラーは「人間の悩みは全て対人関係(自我)から起因している」とし、それを解消するためには自我への拘りを捨てることだとしていました。 これらが説いているのはつまり人間の「幸福論なのです。 pic.twitter.com/XkVZfnRmWD

2020-05-22 03:53:53
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

今作に否定的な感想を抱く人の多くが誤解してるのはここで。 今作は決して「労働や客のドレイになれ」「若おかみ業をこなして立派であれ」と推奨しているわけではありません。 「滅私奉公」とは、「自分を救う手段」だと仏教等では考えられてるからです。

2020-05-22 03:53:54
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

ちなみに今作が「赦し」を描いた話だとする解釈もありますが、私はそういう側面は薄いと考えています。 そもそも今作の例の客は厳密には加害者ではなく「被害者同士」なので、許しようがないわけです。 ただお互いにとってツラいことを想起させる、顔合わせしたくない存在。

2020-05-22 03:53:54
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

それを解消する(救う)手段が「滅私」、つまり「私は関織子でなく春の屋の若おかみです」であり、客はただの客として心を込めてもてなす(奉公)ことで、自分も他者も救われる。 今作がクライマックスで描いたのはそういう「決断」、大局的な幸福論だと、私は考えています。 pic.twitter.com/ElEeTWfzi1

2020-05-22 03:53:54
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齋藤 雄志 @Yuusisaitou

だので、本作の批判でよくある「おっこがひたすらガマンして加害者すら許すことが感動的なのか。大人のエゴだ。可哀想だというのは、正直言ってこれは的外れだと確信しています。本作が描いてるのはそういうことではない。 哲学史を鑑みた「幸福論」の一つの体現が、あのクライマックスなんです。

2020-05-22 03:53:55
齋藤 雄志 @Yuusisaitou

ただ、映画観賞の印象として初見の印象があまりよくないというのは分かります。 両親との死別という強制的な選択肢の剥奪から、「接客」という、職業の中でも特に隷属的ニュアンスの強いものに従事することを余儀なくされ、さらに初見ではわかりにくい加害者っぽい人を涙を堪えて許したように見える pic.twitter.com/B6u6PVR8lE

2020-05-22 03:53:55
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