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Yuusisaitou
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映画「若おかみは小学生!」が先日Eテレで放送され、物議を醸している 私は公開初期から絶賛、応援し原作も全巻(短編集以外)読んだ人間で、今作を巡る賛否両論は当時から見てきた。 評判が良いという今作だが、当時から決して絶賛一色ではなかった。反発する声もそれなりに確かにあったのである。 pic.twitter.com/J1qqWPtgBz
2020-05-22 02:51:01


“キング・オブ・アウトロー”瓜田純士、アニメ『若おかみは小学生!』を見て本気で怒る「おっこが可哀想だろう!」 cyzo.com/2018/10/post_1… 『若おかみは小学生!』は家族を人為的被害で亡くした経験のある人にはつらすぎる説 togetter.com/li/1517721
2020-05-22 02:51:02
これらの意見を僭越ながら要約すると ・おっこがひたすら可哀想な目にしかあっていない ・大人の理想(責任)を押し付けている ・職業選択の自由すらない ・PTSDの克服描写に納得出来ない といったようなことであると見受ける。
2020-05-22 02:51:02
で、こうした批判点は実は絶賛派の私も観賞初期の頃には確かに感じたものだった。 『一見イイ話っぽいけど、結局事故で両親を亡くして、家庭の事情でオンボロ旅館を継ぐことになって、色々あって小学生の女の子が若おかみになるって、本当に良いことなんだろうか?』と。 pic.twitter.com/WoAy4eFm6w
2020-05-22 02:51:02

今回の地上波放送はツイッターでもトレンド入りを果たす等大変な盛り上がり。これは「若おかみ史」として初の出来事といえる 劇場公開時(興行収入3億)やソフト発売時はここまで多くの人の眼に触れることはなかったように思う だので、これを機に改めて今作をレビューしてみようと思う。
2020-05-22 02:51:03
題して 『若おかみは小学生、ホントに"感動的"な映画なのか?』 ※注意※ 当然ネタバレあり。 本レビューは私の独断と偏見と憶測で当然公式見解でもなんでもなく、内容の信憑性は保証出来ません。あしからず
2020-05-22 02:51:03
私が思うに、まず今作のこうした「ある角度から見た印象の悪さ」は、今作のあらすじが基本的に「喪失の物語」であるということが大きな要因だと考えている。 今作を単純化しておっこの身に起きた出来事のみを羅列した場合、おっこは多くのものを「失っている」 pic.twitter.com/pKvz1b3yHO
2020-05-22 02:51:03

おっこが可哀想な目にしか合っていないとは言っても、物語のセオリーにおいて主人公が冒頭、悲惨な目にあうのは常識でもある。 物語は基本的に「マイナス」から始まるものである。 スターウォーズ:両親殺される 千と千尋:両親豚にされる 若おかみ:両親死ぬ pic.twitter.com/LGFWicBE2V
2020-05-22 02:51:04



両親に限らず、「マッドマックス」では身ぐるみ剥がされ拘束されたりする。 物語とは、大抵ラスト(ハッピーエンド)の「真逆の状態」から始まるものである。まず負の方向に振らないと正の方向への跳躍が出来ないからである。 これらは皆「獲得の物語」である。何かを得るための前フリとして何かを失う pic.twitter.com/VxkVJkiXHz
2020-05-22 02:51:04

だので、主人公達は一時的に悲惨な目にあっても最終的に何かを獲得し(SWではメダル、千尋では髪留め)大成しているので文句が出にくいわけである ルークは仲間を獲得し宇宙に平穏をもたらす 千尋は両親を無事取り戻し帰還する。 マックスは信頼を勝ち得て平穏をもたらす。 では「若おかみ」はどうか? pic.twitter.com/kjhLOdjNyH
2020-05-22 02:51:05


若おかみでは、喪失した代わりに得るものが非常に少ない。確かに新しい人間関係は構築するが、むしろ失い続きと言ってもいい。 今作は根本的に「喪失の物語」なのである。 pic.twitter.com/8abSShRq1z
2020-05-22 02:51:05

「喪失の物語」は物語類型の一つで、これは主に悲劇に用いられる構造である。 例えばゴッドファーザー三部作はシリーズの大枠で「喪失」の話である。 SWのルークも「実は何も良い目にあっていない」という声が昔からあり、その解釈を採用したのかEP8ではしょぼくれたジジイに成り下がってしまっていた pic.twitter.com/qW12CJJpAJ
2020-05-22 02:51:05


つまり物語のセオリーでは通例的に「喪失=悲劇、不幸」という側面が昔から強い なので大枠で喪失の物語である「若おかみ」に違和感を抱くのはある意味当然なのである。「物語慣れ」している人ほど納得感が薄いところもあると思う。
2020-05-22 02:51:06
ちなみに今作が「喪失の話」だというのは監督ご自身も認められている。 「自分なくしの旅」 「自分という主体が消えていく」 「私という主体がなくなる」 しかし、問題は「喪失は悲劇」というのはただの「セオリー」で普遍的な真理ではないこと。喪失を描いてるからと言って不幸な話とは限らない。 pic.twitter.com/HNgr1tw4C4
2020-05-22 02:51:06


では「若おかみ」が描いたこととは何だったのか? ここで本レビューの要である「制作発表時の監督の所信表明」を引用する。 この解釈を巡ってもひと悶着あっているようだが、今作の解釈における齟齬は端的に言ってこのインタビューで語られた理念によるところが大きいと思う。 pic.twitter.com/Zygeebc3vv
2020-05-22 02:51:07

文字でも引用しておきましょう。 『物語は11~2歳の女の子が超えなければいけないハードルが有り、今時の娘には理不尽に映るかも知れない作法や接客の為の知識、叡智を身に付けて行く主人公の成長を周辺の人々も含め、悲喜こもごもと紡いで行く。』
2020-05-22 02:51:07
『この映画の要諦は「自分探し」という、自我が肥大化した挙句の迷妄期の話では無く、その先にある「滅私」或いは仏教の「人の形成は五蘊の関係性に依る」、マルクスの言う「上部構造は(人の意識)は下部構造(その時の社会)が創る」を如何に描くかにある。』
2020-05-22 02:51:07
『主人公おっこの元気の源、生き生きとした輝きは、春の屋旅館に訪れるお客さんに対して不器用ではあるが、我を忘れ注がれる彼女の想いであり、それこそがエネルギーなのである!』
2020-05-22 02:51:08
『ある役者が言っていた。役を演じている時に生きている実感があり、家に帰りひとりになると自分が何者か解らなくなると。詰り自分では無い何かになる。他人の為に働く時にこそ力が出るのだと!』
2020-05-22 02:51:08
はっきり言って今作の理念はここで全て語られているのだが、これが分かりにくくて解釈の助けになっていないところがある。 これは監督が後に雑誌のインタビューでも反省されている。その全文も引用しておきましょう。 pic.twitter.com/pOmz5EJ5ug
2020-05-22 02:51:08

監督が言いたいことを僭越ながら要約すると ・自分探しなんてのはハッタリだ ・人の意識は社会が作る ・文化論としての「主体(自分)の喪失」がテーマである ということ。順を追って説明していきます。
2020-05-22 02:51:09
まずここで引用されているマルクスの「上部構造」「下部構造」について。 マルクスは19世紀ドイツの哲学者で、近代思想に多大な影響を与えた人物。主に政治・経済論方面への影響が強いが、哲学は元々「人間という存在はどうあるべきか」を論じる分野で、マルクスも元々はこうしたことを論じている pic.twitter.com/YRzlf6K7p0
2020-05-22 02:51:09

で、マルクス以前の思想では「人間は理性によって決定される生き物だ」というのが古代から続く一つの潮流で、これは今も理解しやすい話。 でも実際に「理性」とやらを物質のように確認出来た人間は歴史上居ない。人間の意思決定の原理は未だナゾに包まれているのが現状。
2020-05-22 02:51:09
で、マルクスはこの「理性の生き物」ということに異を唱えた人物で、ようは「人間の性質は社会(仕事)が決めるんだよ」という説を唱えた。 (これについても解釈が諸説あるが、ここでは監督が言いたいであろうニュアンスを汲み取ってそれのみ問題とします)
2020-05-22 02:51:10
例えば、 1.「全体責任」が掲げられている職場 と 2.「個人の成果」のみが重視されている職場 の二つがあったとする。 1に所属する人達は自分だけでなく他人の領域もカバーしようとするだろうけど、2の人達はどこまで言っても個人主義のままであると想定出来る。 この性質の違いの話
2020-05-22 02:51:10