カオスラウンジにまつわるツイート(2010/4/18)
村上隆・東浩紀などの先行世代は後続にゲタを履かせたいのに、履いてくれる若手が現れない。黒瀬陽平は履こうとしている。誰も履かないより状況はずっとマシ。だがなぜかゲタのサイズがうまく合わない。きのうの個人的まとめ。 #geisai_k #chaos2010
2010-04-17 14:07:20カオスラウンジは「展示の名前」という嘘くんの一貫した発言はその通りであって欲しいと思っていて、単語を言えと迫った村上隆や東浩紀に対して黒瀬さんが「嘘くん単語ください」って投げた態度も悪くはないとおもうんですよ。最後の「再編」の流れには残念だけど
2010-04-17 15:33:25クラスタってよくわかんない言葉でまとめるから「カオスラウンジ」っていう集団がアートシーンを塗り替えるみたいな話に持っていかれちゃうわけで、クラスタじゃなくてインフラでいんじゃないかなと思う。こういうあり方でみんな発表の機会があるんだとか実践できる環境を整えてくれた的な意味で
2010-04-17 15:39:52「ギャラリーに所属する」って状況もサラリーマンと変わらない状態にいる作家が多いと思う。でもカオスラウンジの作家見てると「納得してないからこれには参加しない」とか「これには参加したい」とかいたりして、この環境が個人的にはオモシロイと思います。
2010-04-17 15:44:10アーティストはだいたい2・3年で消えるというのも?。「ギャラリーとかで発表してないから消えたね」って「mixi終わったね」みたいな事を言ってるのと一緒じゃないですか。終わったのはあんたの中でだけでしょって。作るって事を肯定してあげる環境あれば表現者として認めてあげてもいいじゃない
2010-04-17 15:50:45そういう事を実践していった人って今までは個人で一騎当千していくしかなかったのが今まで。でそういう人達が無数に存在してて一見好き勝手やってるけど嘘くんとかが「これって集めてみれば面白いんじゃね」的なのりで集めてみたら実はまとまってたのがカオスラウンジ展だったんじゃないのかな
2010-04-17 15:56:25これは黒瀬さんもおんなじ事いってたか。でもそうやって集めてきた人の中で梅ラボみたいなスーパースターが現れたんだし今後も期待できるんじゃないですかね。で梅ラボが西欧のアートシーンに挑めるかどうかって言うのはカオスラウンジが決めることでも無いような気がする。これで梅ラボが西欧でも戦え
2010-04-17 16:00:48るってなればスーパーフラットを倒したってことでもいいんじゃないかと。勝ち負けの基準がそもそもわかんないけど。なんか言いたいことが破綻してきたあー
2010-04-17 16:04:19ああつまりカオスラウンジ自体に決定権ができてしまうとせっかく面白かった「反抗してもいいよ」「出さなくてもいいよ」「来なくてもいいよ」「媒体なんでもいいよ」「とりあえず面白いからきてね」みたいなノリもなくなっちゃってカオスラウンジ派対反カオスラウンジ勢力みたいな対立構造ができて.
2010-04-17 16:13:07行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し。RT @erimi_erimi カオスラウンジ行ってきた。なんだろう、このヒリヒリ感は……。「そして、自らがひとつのアーキテクチャとなって、新たな演算を開始するのだ」(「カオスラウンジ宣言2010」より)。サイボーグ化が加速されつつある。
2010-04-17 22:21:27遅ればせながら聴講終了。予想通り、3〜4見繕いタグ付して取敢えず纏めました学生レポート状態。あらゆる意味で浅く練不足で説得力無い。>GEISAI大学:黒瀬陽平「カオスラウンジとは何か」http://bit.ly/aTFDkV
2010-04-18 00:50:17別のもっとスゲーもんこさえるんでなしに、既存のあえてするゲームをあえてするゲームの死の隠蔽失敗。んで聴講者に判ったのは、へたれに篭る自慰学園祭育てゲーへの釣り?ってことかな。
2010-04-18 00:52:35虚構と現実を何度も往復しフィードバックを得ての作品結晶化が新しい独自スタイルだというが、既にそれはネット上溢れてるのに対し、当該展で示されてるのは1往復の1例だけというのはどーしたものか。。。
2010-04-18 00:53:42「ニコ動タグすげー」「pixivすげー」なら、それを使うプレイヤー作品よりも、そゆツールまたはアプリそのものを創作すること(=アーキテクチュア?生成)またはそれ包括したスタイルのほうがが、はるかに高度で深いアート営為なんじゃないのか?
2010-04-18 00:57:04「ニコ動は完璧」と構造を自明固定化してしまってる時点で、世界が想像力が終わってる。交換可能な客体プレイヤーで居続けるならなにも「カオスラウンジ」成員個々(刷新有無に関わらず)である必然性がない。また、キューレートされて画廊に陳列展覧されなければならない説得性に欠ける。
2010-04-18 00:59:52暗黙の了解で成り立つ同好の士での展示会というなら、キューレーターをわざわざたてる必要がない。そもそもそれがフォロワー向けの集まりというのならコンセプトを明らかにする必要はない。
2010-04-18 01:01:17通常コンセプトとは企画段階で主催者が明確にして、出品者を含めた関係者の合意形成につかうもので、展覧会オープン後に「コンセプトを出せ」というのも、問われて答えられない方もおかしな話。
2010-04-18 01:01:34だが、コンセプトを問われても情況説明ですり替えようとし毎回ぐだぐだになるのは、まったくもって他者との相互関係性飛んだ受動的状態。関係性芸術を批判してる場合ではない。
2010-04-18 01:03:04自己現状に都合良い既存情況をピックアップし微細説明しつくしても、核になるコンセプトがなければ独自構造は立ち上げらない。独自構造が立ち上がってないから、ビジョンも観えない。他者には切断排除化した脳内萌えだけしか観えない。
2010-04-18 01:03:39村上隆曰く「展覧会は興行である」。確かにね、日本の芸術発祥は見世物→展覧会からであり、興行のすそ野は芸術よりもはるかに広く深い。興行ナメんなよ。濱野智史のよりもマシではあったがしかし。到底デザイン学部卒美術家のプレゼンとして、表現方法が全然考えられていない。
2010-04-18 01:05:37後で村上隆が言ったキューレーターとしてではなく1アーティストとなる従来方策の他に、単独講義の場を設定出来得たのならば、批評パフォーマーとして独自表現講演する独自方策が「カオスラウンジ」としても考えられたのではないか?どーせ後で詰められることが解ってて逃回るおもちゃ芸人化でなしに。
2010-04-18 01:11:31「不安の時期における根本問題のひとつは、如何にして客観的必然性を主体化し得るかということ」を考え続けた哲学者・三木清は、「時代が政治色を帯びると哲学が芸術に逃げ込む」と戦前指摘したが、今再び同様の現象で手前勝手なオレ様タームで侵食された各業界はもっと反論してしかるべき。
2010-04-18 01:14:05言葉は生き物なのでタームによる文脈読替が直ちに悪いというのではない。一方的に侵食されるのではなく、改めて個々の存在意義というものをもう一度教養の俎上にあげ、かつその責務を問い問われるという対話を通して、個々たこ壺進化ではない社会活性化に繋がるのではないだろうか。
2010-04-18 01:16:12カオスラウンジの録画を見て、現代イラストレーションに思うところが色々あったのでブログに書いたなう。第二期オレ始動宣言w >現代イラストレーションへの不満=カオスラウンジ http://is.gd/bx9kD
2010-04-18 02:04:35