- hououdouko
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@genjibosi 救児の人々も読んだし、娘は首すらすわらない3歳児だけど、当事者として熊田さんに違和感を感じる。治療方法や価値観に独特の世界観があるのはなぜかを、金との比較にさせることによって難しくしている。親が、金を理由にするような目線を持ったら子供はどうなるのだろう。
2011-06-22 06:21:59@genjibosi 仰る通りで、打ち消すのでなく乗り越えなければならないのでしょう。相当根気良く、多様な意見を聞き、否定も批判もせず、良い点を吸収し、総意をまとめる作業になると思います。相手の言葉ではなく、その向こうにある真意を理解する努力を一人ひとりがきちんとする事が大切。
2011-06-22 04:35:17RT @geppeeee: 現代社会は未だ重度障害者を社会の一員として迎えるのに充分なほどの豊かさを備えていない、というのならわかるのだけど。
2011-06-22 03:19:04RT @geppeeee: いや、「おかしいのは現代社会のほう」も何も、最近豊かになってようやく重度障害者を社会の一員に迎え入れられるようになったのであって。
2011-06-22 03:18:44苦痛を数値化することはできないし、それこそ第三者が勝手に「生きているほうが苦痛だ」と判断することも出来ないけれども、医療が、医療の進歩が、誰かに苦痛を与えていないだろうかという問いをもつことは、忘れてはいけないのではないでしょうか
2011-06-22 03:02:48そんな風におもって人生幸朗師匠風に「責任者出てこい!」っていったら、ヒポクラテスくらいが出てくるかしら。ヒポクラテスの誓いのどこまでが、ヒポクラテス自身によるものなのかわからないけど、ヒポクラテスの誓いの基本のきは「Do not harm」ではないかと考えます。
2011-06-22 02:57:55「医療にどこまでもとめるのか」この問題は、現代の問題だけじゃなくて、人間が、呪い祈祷から一歩踏み出した「治療」を手に入れたときからはじまっているんじゃないでしょうか。それまで治せなかったものを治し、救えなかったものを救った、その時からずっと問われてきたんじゃないかと
2011-06-22 02:53:21RT @DrinkJoinJuice: @kkabe「価値がなければ死んでもいい」と「どんな価値があるか考えよう」というのは裏表ではなくて、視点がずれてるだけなのではないかとも思います。なんか偉そうにすみません。先生の弱者の側にどこまでも立とうとする姿勢に、心から尊敬しております。
2011-06-22 02:48:47RT @DrinkJoinJuice: @kkabe こんばんは。今日の先生の発言をお聞きしました。難しくて僕には分からないことも多いですが、僕は「救児」の著者のメッセージは「生きる価値の線引きをしましょう」ではなくて、「生きる価値の見つけ方をみんなで考えよう」ではないかな?と好意的に解釈しています。
2011-06-22 02:48:37RT @majimajinet: 一部メディアでは超重症児の在宅導入が困難であることを「NICUの出口問題」と表現していますが、私は「社会への入り口問題」と考えます。おかしいのは、障害をもって生まれてきた命の存在ではなく、障害を持って生まれた命を仲間として受け入れることの出来ない現代社会の方なのだと感じます。
2011-06-22 02:32:13RT @majimajinet: 先天異常を持つ児の人生について、物思いにふけっています。小児科医の私は児のadvocatorでありたいと思い、だからこそfamily centered careを実践する必要があります。しかし私達の住む社会は彼らの消え入るような命の灯火に、あまりにも無知で無関心であるようです。
2011-06-22 02:31:58RT @majimajinet: @kkabe 私はまだ駆け出しのイチ臨床医です。しかし、先生方の語る姿や呟きを同じフロアの末席で聞いています。黎明期の苦悩や想い、現在の周産期医療、行く末。また、それぞれの時代に生まれ天に帰って行った小さな命を思いながら、無理せずこつこつ出来ることからひとつずつ、と考えています。
2011-06-22 02:31:43RT @majimajinet: @kkabe 「医療」とは所詮、人間社会が生み出したものと私は考えてます。生み出した人間社会そのものが、そのプロダクトに「何を求めるか」を問うから、論点がぼけるのだと思います。むしろ、我々は「何のために、誰のために、医療を生み出したのか」に立ち返ることが必要なのでしょう。
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