「アホか」-2
いわゆる“ねこぱんち”が起こる原因の一つに藁人形論法があるんだけど、その中で典型的なパターンの一つは、陳述形体の誤解だと思う。具体的に言えば、個人の「感想」と「断言・断定」を混同して藁人形論法始めるパターン。
2011-06-21 04:19:23例、「どうしてそう断定できるんです?」「いやそもそも感想だから。」「いや断定だ」「初めに個人的な経験といってますけど?」こんな感じ。私もよくこのパターンに遭遇して辟易する。「感想」を「断定だ」といわれても対応の仕様がないので、そこは区別してほしい。
2011-06-21 04:19:32一応、私の中ではこのように整理している。断定:合理的正当化されまたはされる必要がありかつ発言根拠が客観的に実証可能または、実証されるべきである陳 述。感想:主観的な感情や経験、感覚、印象、イメージ、信条等に対する、客観性も合理的妥当性もそもそも目的ではない陳述=文字通り呟き。
2011-06-21 04:19:42それで、これが有効かどうかは人によると思うが、私はこの混同をされるとそれを指摘しなければいけないので時間の無駄と考えるので、あらかじめ感想の場合はそれとわかる限定詞を付けている。例えば、個人の経験では、個人的には、主観では、感覚、印象、イメージなど。それでも誤解する人は諦めてる。
2011-06-21 04:23:11だから、議論になりうるのはそもそも、断定であって感想ではない。感想は人それぞれ違うので、正しい、正しくないという問題ではない。それを誤って根拠など求めてしまっても全く話にならない。陳述形体も目的も違うので。「XはYだと思う」という感想は「XはZと思う」という感想を否定していない
2011-06-21 04:27:37だからそもそも議論すべき話題とそうでない話題というのはあらかじめわかるし、仮にそれに気が付かないとしても、相手は感想なのに自分は断定だと思ってしまったら途中で相手に確認すればいいというだけの話、だけどそういう最低限の作業すら怠る人がいるから”ねこぱんち”になってしまう。
2011-06-21 04:36:28しかも感想だという言ってる相手に対して、科学的根拠とか論理的整合性とかいいだしたら、それこそ暴力になるわけで、(無理に相手に自分の対話形態にあわさせようと要求していることに等しいので)、そこは十分に気を付ける必要がある。
2011-06-21 04:39:39あなたはそう思うのですね。それはそれでいいでしょう。ただ、私は個人的にはそれは価値があることだと思います。RT @hyakkun とりあえず、他人の発言に感想か断定かという疑問を抱いてその人に聞くことはくだらないことだと思うがね
2011-06-21 05:30:51即ち、意識・経験・感情・感覚のうちすべてが一致する二人の人間がいないとするならば、その個人の思考は思考が他者に提示された時点で独自の思考ということができる結果に関わらず。だから独自の思考かどうか?という問い自体がナンセンス。すべての人の思考過程の選択・思考作用が独自なので。
2011-06-21 05:47:36.@yutakioka 他人の発言が何によってもたらされているか(貴方の言葉で言えば感想か断定か)を問うことは、考えることを放棄して放棄した分をその人に向けているようにしか思えない。
2011-06-21 05:52:08それは構いませんが個人で考えること、と他者と考えを基に対話することは行為として別の問題です。RT @hyakkun 他人の発言が何によってもたらされているか(貴方の言葉で言えば感想か断定か)を問うことは、考えることを放棄して放棄した分をその人に向けているようにしか思えない。
2011-06-21 05:57:36@hyakkun 私は対話の目的は自分の考えを押し付けることではないので、意見の相違ということでしたら、それはそれで構いませんので、この辺にしましょうか?あなたにとって考えを放棄する様に思えることは、私にとってはそう思えないので、それでこれは価値観の問題ですので議論はしません。
2011-06-21 06:01:42「他者と考えを基に対話すること」が出来るってのは「個人で考えること」をやってきた人じゃないと出来ないRT @yutakioka: それは構いませんが個人で考えること、と他者と考えを基に対話することは行為として別の問題です。RT @hyakkun 他人の発言が何によってもたらされて
2011-06-21 06:03:47それは当然ですね。というより前提ですね。RT @hyakkun 「他者と考えを基に対話すること」が出来るってのは「個人で考えること」をやってきた人じゃないと出来ない
2011-06-21 06:05:50バカほど議論を纏めたがるんだよ。議論を人間単位で切り分けるのは簡単。RT @yutakioka: @hyakkun 私は対話の目的は自分の考えを押し付けることではないので、意見の相違ということでしたら、それはそれで構いませんので、この辺にしましょうか?あなたにとって考えを放棄する
2011-06-21 06:06:56と議論を理性でも合理でもなく感情的な罵倒により纏めている”賢者”の方を発見。その上自らの主張の正当性を自ら証明しているというおまけつき。
2011-06-21 06:10:19昨夜の「差別用語」に関する連投ツイート、Togetterにまとめました。よかったら、ご覧ください♪ http://togetter.com/li/152112
2011-06-21 12:40:02乙武さんの考えに同意、用語が差別的かどうかよりも実際にどのように差別をなくしていけるかを考える方が大切に思います。RT @h_ototake 昨夜の「差別用語」に関する連投ツイート、Togetterにまとめました。よかったら、ご覧ください♪ http://t.co/4imJ9qW
2011-06-21 13:01:03@h_ototake むしろ差別用語と言われている用語を差別的ではない文脈で使うことで用語と概念をリベラル化(=その用語が差別的機能をしなくさせる)すればいいのではないかと思います。乙武さんがカタワという言葉を使用したのもそのような意図があったからではないかと私は思いました。
2011-06-21 13:04:00まあ結局は言葉は記号でそれ自体には意味がないという事実に立ち返ってみれば差別用語なるものが存在しないということはわかる。意味は付加されるもので、しかもその付加された意味をどうとるかは結局話者依存だから、Xは差別用語ということ自体に意味はない。
2011-06-21 13:24:36きちがいといわれるよりも背が低いといわれるのが嫌な人もいるし。前者は”差別用語”で後者は”中立的”だけど後者の方が傷つく人もいるので、自分が対話する相手にとって何を言ったら傷つくか、何を言ったら傷つかないかを判断すればいいということ。用語が差別的かどうかじゃなくて。
2011-06-21 13:26:14