『科学はどこで道を誤ったのか?』(2)原始時代~古代オリエント~古代ギリシャまでの自然観を辿る。

原発事故に端を発して、近代科学の問題性を再考する旅- 前回の勉強成果はコチラ 『科学はどこで道を誤ったのか?』(1)プロローグ~「科学技術は万能」という幻想を打ち砕いた福島原発災害~ http://togetter.com/li/241611 続きを読む
0
T.A @ando_tai

本日は次の2つの記事を参考にしながら、原始時代から古代オリエントさらには古代ギリシャまでの自然観≒科学観を勉強してみようと思います。当時の人々がどんな状況に置かれて、それを解決するために、どんな世界観を求めたのか?というところを(自分の見解も挟みながら)つぶやいていきます。

2012-01-21 20:42:25
T.A @ando_tai

『科学はどこで道を誤ったのか?』(2)古代オリエントの時代~全てが共認対象として一体であった精霊信仰から精神を上位とし物質を下位とする二元論へ http://t.co/MhQi0ZwX

2012-01-21 20:42:49
T.A @ando_tai

『科学はどこで道を誤ったのか?』(3)古代ギリシアの時代~人工集団を統合するための分配の原理から数学的自然観をつくりだした古代ギリシャ http://t.co/neCGXuh5

2012-01-21 20:42:57
T.A @ando_tai

2-1.(重要)科学認識の祖というべき、精霊信仰とは?洞窟暮らしの原始時代、自然は圧倒的な存在感を持つ畏敬の対象であり、絶望的な状況に追い込まれた人類は自然へ祈りを捧げた。地球上に普遍的に存在する精霊信仰は、自然も含めて万物に精霊が宿ると考え、自然も人も一体だった。

2012-01-21 20:44:00
T.A @ando_tai

2-2.精霊信仰が発展し、変化を遂げたと考えられるのは、古代オリエントにおける科学認識である。そこには、精霊信仰の流れを汲む部分と変質した部分が同居していること、とりわけ、その変化は古代ペルシア、つまりアーリア人において引き起こされた。

2012-01-21 20:44:13
T.A @ando_tai

2-3.古代オリエントの自然観-その第一は、人間と自然が対立していなかったということである。言い換えれば、人間は自然の中にあって自然と一体であり、自然は人格的存在なのであった。彼らにとって無生物は存在しないのである。

2012-01-21 20:44:23
T.A @ando_tai

2-4.第二に、彼らにとって自然は客体でなくて主体である。人間と自然を対立させる立場は人間を主体と見、自然をどこまでも客体とみる立場である。古代ギリシャ以降現代まで続いている科学思想の主流はこの立場をとる。

2012-01-21 20:44:31
T.A @ando_tai

2-5.第三に、そこでの自然像は法則に支配された一般的関係ではなくて、誰によってこのようになったかという創造の物語である。天も地も風も海も混沌でさえ人格を持った意思的存在である。

2012-01-21 20:44:48
T.A @ando_tai

2-6.古代エジプトの自然観-エジプトで人口が集中しているのはナイル河沿いの南北に帯をなす地帯のみである。東西の砂漠地帯が外からの侵入の防壁となって長期間平和な独立していた時代が続き、独自の自然観の形成と共に思想上の寛容さをも育て上げた。

2012-01-21 20:44:58
T.A @ando_tai

2-7.エジプトはその豊かさゆえの寛容さ故に、他地域の考え方も柔軟に取り入れることができたが、進化あるいは変化というよりも回帰あるいは時間軸を持たない思想性を生んでいた。

2012-01-21 20:45:07
T.A @ando_tai

2-8.古代メソポタミアの自然観-チィグリス河とユウフラテス河の氾濫はナイル河と似ていない。ナイルでは毎年規則正しく増水したが、チィグリス河・ユウフラテス河ではいつ氾濫が起きるかわからなかった。

2012-01-21 20:45:14
T.A @ando_tai

2-9.(重要)エジプトでは全てが「ナイルの賜物」として感謝されたが、メソポタミアでは河は恐怖の対象であり、混沌を再生させるものであり、人間の無力さを意識させるものであった。

2012-01-21 20:45:25
T.A @ando_tai

2-10.(重要)気まぐれなチグリス河・エウフラテス河にはさまれたメソポタミアでは、エジプトよりも、神への従順さが強調され、それが後に反転して人間と自然が対立するようになった。

2012-01-21 20:45:48
T.A @ando_tai

2-11.(重要)古代ペルシアの自然観-善と悪を純粋化して別の場所に置き、この善と悪が光と闇、霊と肉、生と死、建設と破壊、正義と不正義に重ねあわされている。そして現実を両者の闘争に見ている。

2012-01-21 20:45:58
T.A @ando_tai

2-12.現代人は通常、魂と肉体、精神と物質、心と物という対立において物事をとらえているが、それはここに起源のひとつを持っている。つまり、自然を物質的なものとして不可視な存在と対立させる思想はペルシアの宗教思想によって導かれた。

2012-01-21 20:46:06
T.A @ando_tai

2-13.その背後には、牧畜という生産様式が大きく関係していたと思われる。「原牛・原人を殺したところから人間と金属と植物と動物が誕生し、戦争が始まった」という神話は牧畜を起源として戦争にまで発展していったアーリア人の歴史を物語っている。

2012-01-21 20:46:14
T.A @ando_tai

2-14.(重要)牧畜とは動物を飼い馴らすということであり、動物を管理していくことは自然の摂理に反する行為である。原始時代は自然は畏敬の対象であり、生命をいただく代わりに感謝の念を捧げていたが、その自然を人間が飼い馴らすという転換が起きた。

2012-01-21 20:46:25
T.A @ando_tai

2―15.牧畜のもつ残虐性は人間と自然を分け、自然を物質的なものとして人間とと対立させる思考法が登場していたと考えられる。 http://t.co/A8mNy8fo

2012-01-21 20:46:37
T.A @ando_tai

2-16.(重要)古代ギリシャの自然観は、紀元前12世紀~7世紀の暗黒時代、つまり、海の民たちの侵略による共同体の解体と、彼ら山賊・海賊たちによって新たに作られた私有制度・人工集団を基盤にしたポリスの誕生によって引き起こされた。

2012-01-21 20:46:45
T.A @ando_tai

2-17.山賊上がりのギリシャ人同士によるポリス内部での対立問題が発生し、この対立を解消するために、市民を均質化する努力が各地で行われる。

2012-01-21 20:46:54
T.A @ando_tai

2-18.共同体を失ったギリシャ人は、それを補う形で密儀宗教が発達した。その教義はエジプトやペルシアやスキタイの影響も見られるが、それらと基本的に異なる点は個人の救済を目指すものだったことである。

2012-01-21 20:47:02
T.A @ando_tai

2-19.(重要)個人的救済を目指す密儀宗教を母体としながら、分配の公平性を目指して、公共の場での議論、討論が研鑽されることになる。こうして前6世紀に哲学者たちが登場することになり、自然哲学も、ポリスにおける秩序と正義の根拠をなす自然秩序とその原理の探求へと向かった。

2012-01-21 20:47:25
T.A @ando_tai

2-20.自然秩序とその原理へと進んだ人々はメソポタミアのような「誰が自然を創造したか」という問いの立て方をしない。彼らは「アルケ」=原理を求める。 http://t.co/2KA1dCP1

2012-01-21 20:47:41
T.A @ando_tai

2-21.つまり混沌から秩序へという政治課題は、特権的な一人の専制君主では解決できず、秩序化の根拠となるような普遍的な根拠を求めたように、自然的秩序の成り立ちも、誰かがそれを創造したということではなく、自然の過程そのものの中に、根拠をみようとした。

2012-01-21 20:47:57
T.A @ando_tai

2-22.自然を生成されるもの(ピュシス)とみなして、その始原を探求し、自然の統一性・共通性に重点が置かれ、原理からの論理的演繹が学問の方法となった。これらがとくにオリエントの自然観と比較して見た顕著な特質であり、現代まで続く科学の自然に対する態度の原型である。

2012-01-21 20:48:04