- osito_kuma
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これが、大体今から五十年くらい前の話しなんだけれど、ここで覚えておいて欲しいのはイランは当時ものすごくアメリカやヨーロッパとは仲がよかったんだ。何しろ、石油の産出国だし、イスラム圏の国々の中で、もっとも強く「西洋化」を推し進めていた国家だったからね。
2012-03-06 23:38:04だけど、一方で強大過ぎた皇帝の権力と、一方的な西洋化の改革には国内からも次第に反発の声が強くなっていった。そこで、登場してきたのが後にイラン・イスラム革命を起こすことになるイスラム教の重要な指導者の一人だったホメイニー師(ホメイニ師)なんだ。
2012-03-06 23:42:31ここで、少し注意をしておかないといけないんだけれど、日本ではよく「イスラム原理主義」という言葉が使われていたんだけど、これは本来「イスラム教徒はイスラムの教えに従うべきだ」という考え方であって、けして自爆テロのような過激な行為をイスラムが奨励しているわけではないということだね。
2012-03-06 23:44:54ここでまたイスラムの話に戻ってしまうんだけれど、シーア派がムハンマドの後継者としていた人々は、十二代で止まってしまった(最後のイマームは「末世までお隠れになった」といわれる)。そして、現在のシーア派の指導者は、学識豊かな人物の中から選ばれたとくに優秀な宗教学者たちなんだ。
2012-03-06 23:47:38だから、ここからの話しではホメイニ師のことが中心になるんだけれど、それはあくまでもホメイニ師の立場であって、同時にまたシーア派の指導者の中でも様々な政治や社会に対して、あるいは宗教者が政治に関わることに対してかなり考えの違いがあることも忘れないで欲しいんだ。
2012-03-06 23:49:56西洋化を推し進めてイランの皇帝にとって、もっとも強力な抵抗勢力となったのは当時の宗教指導者たちだった。だから、皇帝は徹底して彼らを政治の場から遠ざけようとはしていたんだけれど、もともと民衆の中にも支持者の多かった宗教指導者たちの影響力は以前として強かったんだ。
2012-03-06 23:52:10とくに、ホメイニ師はその当時貧困の格差が問題になっていたイランの人々と、聖職者を志している若者たちに強力に呼びかけていた。それは「イスラム法を正しく守ることこそがイスラム教徒の務めであり、それを指導して正しい知識で導くのが本来の宗教指導者たちの役割である」ということだった。
2012-03-06 23:54:10ここが、日本人や欧州人からすると「政教分離」とか「近代の法概念」と合わないと思うところなんだけれど、ホメイニ師はあくまでも「イスラム教徒はイスラムの教えに忠実であるべきだ」と説いた。そして、欧州の思想に感化されることこそが、イスラムにとっては本当の脅威だと主張した。
2012-03-06 23:56:12いってしまえば、イランの近代化は西洋の手先になっているような連中が行なっていることであって、それはもともと政治や司法にも強い影響力を持っていたはずの宗教指導者たちを追い払って、結局は西洋人が儲けるための仕組みを作っているに過ぎないということみたいだね。
2012-03-06 23:58:00とくにホメイニ師がすごかったのは、当時の皇帝に対する攻撃だった。中でもアリー(シーア派の初代指導者)はその立場であったときですら、質素倹約に努めて王宮なんてもたなかったのに、今の皇帝や独裁者たちはどうなのか! という言葉はかなり強烈に民衆に響いたみたいだね。
2012-03-07 00:01:27さらにホメイニ師はイスラム圏の国でも独裁者や王政をとっている国は、イスラムの教えに反していると、自分の著書の中で明言してしまったんだ。それが後で、サウジアラビアやヨルダンとの対立にも繋がることになっていった。あくまで「イスラムの宗教学者が導くべきだ」という考えだったみたいだね。
2012-03-07 00:04:35結果的に、ホメイニ師を中心とした改革派はついに革命に成功して、イランから皇帝を追放してしまうことになる。当時、かなり日本からいっていた学者がイランにはいたんだけれど、まさか革命が起こるなんて、ほとんど考えられてもいなかったみたいだよ。それだけこの革命は特殊だったんだ。
2012-03-07 00:06:35さて、もちろんイランの革命はホメイニ師を中心にして起こったものだから、革命後のイランではホメイニ師が最高指導者ということになった。今はハーメネイー師がその地位にあるんだけれど、国の中心にイスラムを置くべきだというホメイニ師の主張はほぼそのまま通った形になったといえるんじゃないかな
2012-03-07 00:09:44ところが、そのホメイニ師の主張はあまりにもイスラムより過ぎていた。さっきもいったように、王政や独裁制を否定してしまうと、ほとんどのイスラム圏の国々とは対立してしまうことになる。その結果、イランは中東諸国の中でもかなり孤立した状態になってしまったんだ。その上さらに別の問題が起きた。
2012-03-07 00:11:41ここからが、今起きている問題だね。イラン革命の影響を受けて、周辺の各国では同じようにイスラムを中心にした国家を作るために戦おう、という運動が起こるようになったんだ。たぶん有名なのは「ハマス」じゃないかな。パレスチナの過激な組織として有名なんだけれど。
2012-03-07 00:14:31ここで、今の中東の問題になるから少し整理をしておくと、去年アラブの春という革命運動が様々な国で起きたのは、twitterでも話題になったからたぶんもキミたちも知っているよね。その革命後の国で、いずれも勢力を増しているのが、イスラム系の勢力であるのがかなり問題になっているんだ。
2012-03-07 00:16:21イスラム「原理主義」という言葉を聞くと、どうしても過激なイメージがあるんだけれど、一方でイスラムの教えの中には「社会的な弱者を救済すべきだ」という部分も多いから、そういった組織は非常に社会福祉や貧困層の手助けには熱心なものも多いからね。だから民主の支持は結構あるんだよ。
2012-03-07 00:18:20そして、これは今パレスチナが抱えている問題なんだけれど、パレスチナで強い勢力を持っているハマスはイランと近い関係にある上に、イスラエルに対しては徹底抗戦すべきだ、という立場にある。それがアメリカやイスラエルからすると、とても厄介なのは当たり前だよね。
2012-03-07 00:20:09パレスチナの内部ではアッバース議長のように国連に加盟したり、とにかく一つの国として独立すべきだという考えもあれば、一方でハマスのようにイランのように、徹底してイスラムの教えに従おうとする勢力もある。最近、アメリカやイスラエルが警戒しているのはおそらくその部分じゃないかな。
2012-03-07 00:22:14イランはさっきも書いたように、外交関係なんかは革命当時に比べればだいぶ軟化した部分もあるんだけれど、いまだにホメイニ師の考えは強い力を持っているからね。そして、それはイランという国の歴史、民族、宗教性とも密接に関わっているといえるんじゃないかな。
2012-03-07 00:24:00さて、今回はやけに長くなってしまったね……なんだか、付き合ってもらってもうしわけないくらいなんだけれど、最後に今回ボクが読んだ本をいくつか並べておくからよければ参考にしてもらえると嬉しいよ。今回も付き合ってくれてありがとう。感謝するよ。
2012-03-07 00:25:30@QB0 可能でしたら現地の民衆の情報源(ITとか)や感情なども交えてお願いします。それと、過去のムハマンドの教えから分岐する様子も。(希望ですが)。無理でしたら自分で探します。
2012-03-07 00:26:59清水学訳 岩永博解説『ホメイニ わが闘争宣言』 1980年 ダイヤモンド社、蒲生礼一著『イラン文化』 昭和三十一年 アテネ文庫、前島信次著『アラビア民族史』 昭和十六年 丸岡出版社、エム・ナハイ著 杉浦正一訳『イラン近世史』 昭和十七年 葛城書店
2012-03-07 00:30:42サーデク・ヘダーヤト著 中村公則訳『盲目の梟』 1983年 白水社(イランの現代文学)古い本が多いんだけれど、その他に今回はまだ読むのが間に合わなかったけれど、一部読んだものも書いておくよ。八尾師誠『イラン近代の現像』 1998年 東京大学出版会
2012-03-07 00:34:14大野盛雄『イラン農民25年のドラマ』 平成2年 NHKブックス。大体こんな感じじゃないかな。とくに、蒲生礼一の『イラン文化』はボクもほとんど予備知識がなかったけれど、短い分量できちんとまとまっていてすごく勉強になった。図書館か何かにあれば読んでみてよ。
2012-03-07 00:36:11