伊藤俊一氏による中世日本荘園史概説

日本中世史研究者の伊藤俊一氏 @toshiitoh による、日本の荘園の沿革整理。荘園制にまつわる誤解の指摘と現行教科書の記述についての問題点も少し。
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まとめ管理人 @1059kanri

大河で清盛が院政の時代を「腐った世の中」って連呼しているけど、実は摂関政治から院政に変わることで、それまで摂関家に抑えつけられていた才能ある下級貴族が院に取り立てられ、院近臣として活躍できるようになったのがあの時代なんですね。平氏もその手の人達の一つ。むしろ風通しの良くなった時代

2012-03-19 22:23:39
ITO Toshikazu @toshiitoh

荘園制の仕組みが確立したのも院政期だ。でも、その歴史的意義については、まだよく考えられてないと思う。

2012-03-19 22:35:01
ITO Toshikazu @toshiitoh

いい加減、荘園制を武家が崩して行ったという誤解はどうにかならないものか。荘園制が確立したのは鳥羽院政期で、それを武家が崩して行くのだったら、荘園制は50年も保たないことになるんだが。

2012-03-19 23:45:29
ITO Toshikazu @toshiitoh

今でも一つの土地の上に市町村・県・国という権力が重なっていると思うのですが。その市町村・県・国が私有財産化するのが荘園制かと。RT @giteki: @toshiitoh だって荘園公領制って分かりにくいですもの。それに、近代的所有権に慣れてると「一つの土地に対して異なる権利が重

2012-03-19 23:51:25
ITO Toshikazu @toshiitoh

難しいですね。拙著『室町期荘園制の研究』の中で見通しは示していますが、通説とはとても言えないし。RT @NamahamuMaroon: @toshiitoh 勉強になります。平安~中世は全くの門外漢でして、ご教示願いたいのですが、荘園制の崩壊はいま中世史ではどのように位置付けられ

2012-03-20 00:00:14
ITO Toshikazu @toshiitoh

10世紀に律令制下の耕地は荒廃し、その再開発に民間活力が導入されるが、摂関期には律令国家の体制を放棄せず、受領国司への権限委譲による活用に止まる。その中で荘園も生まれるが、開発地を認定するのに止まる。しかし院政期になると、未開発地も含めた領域を荘園として認め、国土の分割が進む。

2012-03-20 00:26:17
ITO Toshikazu @toshiitoh

なんて、荘園史概説をtweetし始めたが、成立期の専門家から文句が付きそうだなあ(^^;;。

2012-03-20 00:31:07
ITO Toshikazu @toshiitoh

ちなみに国土を分割して「私有」できるのは王家たる天皇家と、準王家たる摂関家のみ。教科書で「本家」と呼ばれる地位は、この二家しかない。

2012-03-20 00:34:54
ITO Toshikazu @toshiitoh

荘園と国衙領は半々ぐらいだが、国司の役職自体が知行国制の普及によって私有化されるから、国土の分割という点では似たようなもの。

2012-03-20 00:38:12
ITO Toshikazu @toshiitoh

摂関期には受領におべっかを使いながら、ちまちまと開発地を増やしてきた在地領主も、院政期になって院近臣あたりと組めば、広大な未開発地まで自分のシマになってラッキー。近臣は領家になって上前をはねる。

2012-03-20 00:54:57
ITO Toshikazu @toshiitoh

シマが大きくなった在地領主は(実際には京都から下った者も多い)、うるさい受領にじゃまされなくなったから頑張る。耕地も年貢も増える。院近臣も潤う。上皇も寺院建て放題、熊野参詣し放題。

2012-03-20 01:07:38
ITO Toshikazu @toshiitoh

しかし、ここで在地領主はふと考える。この荘園は俺たちが開発したのだから、俺たちのものじゃないか。シマを割り当ててくれた院近臣や上皇の恩を忘れて...

2012-03-20 01:21:16
ITO Toshikazu @toshiitoh

現代でも、都道府県や市町村を株式会社化し、そこから上がる税を「売上」とするとおもしろいかもしれない。住民も会社も移動の自由があれば(中世にもあった)、無理に徴税すれば逃げられるだけ。

2012-03-20 01:33:50
ITO Toshikazu @toshiitoh

今の荘園制の研究水準から見て、教科書に欠けている記述は、院政期の「立荘」と領域型荘園の成立。これに比べたら、摂関期の不輸・不入なんて教えなくても良いぐらいだ。

2012-03-20 02:38:16
ITO Toshikazu @toshiitoh

「寄進地系荘園」なる用語も、在地領主が後の世から振り返った幻想。初めに荘園があって、後から寄進したのではない。

2012-03-20 02:43:59
ITO Toshikazu @toshiitoh

寺社領は宗教法人による「私有」です。私有に「」を付けているのは、近代的な私有と違い、原則的に売買はできず、上位の領主による没収もあります。RT @Satsuki_1963: @toshiitoh はじめまして。すみません、「私有」の概念がよく判らないのですが、寺社領はどう考えれば

2012-03-20 10:28:12
ITO Toshikazu @toshiitoh

すいません、違います。天皇家や摂関家の子弟が寺に入って門跡となり、そこに寺領が集積されます。寺領の本家も天皇家・摂関家と言えます。RT @Satsuki_1963: @toshiitoh ご説明ありがとうございます。宗教法人領による「私有」だから「本家」の概念には当てはまらない

2012-03-20 10:42:38
ITO Toshikazu @toshiitoh

「本家」が天皇家・摂関家のみとは言ったものの、実際には複雑で、天皇家領も御願寺の所領や皇女の所領の形を取るし、延暦寺や興福寺の門跡の所領になった場合は、ろくに「実家」の統制はきかない。

2012-03-20 10:50:57
ITO Toshikazu @toshiitoh

誰も現地調査しようと思わないような泡沫荘園(失礼)でも、行ってみると何かあるものだ。特に「三代起請地」は他とは違う何かがあるような気がする。今のところ、気がするだけだが。

2012-03-24 00:13:23
ITO Toshikazu @toshiitoh

三代起請地とは、白河・鳥羽・後白河の三代の上皇によって立荘された荘園で、荘園の中のエリート。中世を通じて臨時課役免除などの特権を享受した。

2012-03-24 00:15:39
ITO Toshikazu @toshiitoh

先週調査に行った遠江国原田荘は、璋子の法金剛院領から出発した三代起請地(史料には宝金剛院とあるが書き誤りと思う)。

2012-03-25 22:56:02
ITO Toshikazu @toshiitoh

「富の集中した地域の中心部や基幹交通路を国衙領として維持しながら、荒廃の激しい周辺部等の管轄を中央貴族や有力寺社に委ね、彼らの有する巨大な財力を危機からの離脱に活用する」(西谷地晴美、民衆史研究55号):荘園公領制の本質を突いた記述

2012-03-27 12:42:18
ITO Toshikazu @toshiitoh

「王朝国家の危機復興への長期の過程が、現実には白河院政期の国衙領整備と鳥羽院政期の荘園認定として実行されたのである。」(前同):荘園公領制はむしろ摂関期の話だよなあ。院政期には国衙領の荘園への編入や事実上の荘園化が進む。

2012-03-27 12:57:01