ソ連人民最大の敵が気儘に呟く、女傑蕭皇后
知る人ぞ知るチート・イン・チート、ルフトバッフェの大佐殿が徒然に綴る、「遼」の景宗の正室、蕭皇后の武勇伝。
- tetteikaikyou
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るーでる@柏葉(※パロディです)
@rudel101
遼の睿智蕭皇后。諱は綽。小字は燕燕。遼史、列伝一に伝あり。ただし、この列伝は遼の后妃の列伝で、一人当たりの文章は短め(睿智蕭皇后はその中では長いほうだが)なので、聖宗の本紀を読んだほうが良いかも。
2012-05-28 17:21:30
るーでる@柏葉(※パロディです)
@rudel101
のち、景宗が没すると、幼い聖宗の摂政となる。このとき、有名な耶律休哥に「于越」を委ねて南方の守備にあたらせた、と遼史列伝一にはある。
2012-05-28 17:30:27
るーでる@柏葉(※パロディです)
@rudel101
また、摂政となったとき、「母寡子弱、族属雄強、邊防未靖、奈何」と弱音を吐いて、耶律斜シンに「信任臣等、何慮之有」と勇気付けられているが、この女傑の聡明さを考えると、演技のように思う。
2012-05-28 17:37:49
るーでる@柏葉(※パロディです)
@rudel101
では再開。宋の雍熙三年、遼の統和四年に始まった太宗の北伐にあたっては休哥、斜シンを迎撃にあて(もっとも、休哥は北南院のせいで、最初、寡兵で戦ったとも、遼史列伝十三には有る)自らは当初、全般的な指導を行っていたようだが、
2012-05-28 18:15:19
るーでる@柏葉(※パロディです)
@rudel101
宋の曹彬が兵糧乏しく、水にも困る有様であるのを聞いて、蕭皇后自らが軍を率いて休哥の支援にあたり、曹彬軍を包囲殲滅している。
2012-05-28 18:19:59
るーでる@柏葉(※パロディです)
@rudel101
統和二十二年、今度は遼が宋を攻めたのだが、このとき蕭皇后は遼軍の事実上の最高司令官として三軍を指揮し、有名なセン淵の盟を宋(このときは真宗)と結んでいる。
2012-05-28 18:23:38
るーでる@柏葉(※パロディです)
@rudel101
このときの様子を遼史は「親御戎車、指麾 三軍、賞罰信明、将士用命」と描写しており、その指揮、統率が鮮やかなものであったことがわかる。
2012-05-28 18:28:01
るーでる@柏葉(※パロディです)
@rudel101
息子の聖宗が称えたように、「遼盛主」と評されるに相応しいと言えるでしょう。北方氏の楊家将にも出てきていたので、最近は知名度も上がったと思います。
2012-05-28 18:31:43
るーでる@柏葉(※パロディです)
@rudel101
中国史関連のつぶやきは私のフォロワーさんには受けないのかなぁ……。それとも、あまりに常識的だったのかなぁ……と、ほんの少し、思ったり、思わなかったり。
2012-05-28 23:25:15