〔AR〕その4
「いらっしゃいませ……おや、風見さんじゃないか。待っていたよ」 応対に現れた店主の森近霖之助は、来客――風見幽香の顔を見るなり、番台に乗せていた木箱に手を置いた。今この店で使っている番台は、ちょっとした食卓テーブルかと思えるほど、広く作られている。
2012-06-21 21:03:59「あら、よかったわ。手紙はちゃんと届いていたみたいね」 「ええ、ばっちりと。早いうちに手を打っておけてよかったよ」 霖之助は、番台とは別の机に置かれている、書見台の様な箱を一瞥する。つられて、幽香もそれを見る。
2012-06-21 21:08:45それは、つい一週間前にサービスを開始した幻想郷の新インフラ、バイオネットの端末である。 「気まぐれで試してみたのだけれど、なかなか便利なものね」 「ああ。早速役に立っているよ」 霖之助は、番台の机の引き出しをあけて、中から一枚の紙を取り出す。
2012-06-21 21:12:54「ま、じっくり見ていってくれ。これに書かれているご希望通りのものは用意できたと自負しているよ」 「いわれなくても、時間いっぱい見させてもらうわね」
2012-06-21 21:15:12霖之助は、番台の木箱を、幽香の方へと進める。そして、さらに足下から、いくつかの木箱をまた番台の上に並べて、すぐに中身が確認できるように、ふたを開けていく。木箱の中身は、材質の違いはあれ、全て花瓶だった。 「手にとっても?」 「どうぞ」
2012-06-21 21:17:39幽香は霖之助の許しを受け、箱から花瓶を取り出して品定めを始めた。 霖之助は、番台の上にある全ての木箱を開けたところで、動きを止めた。幽香の邪魔をしないようにとの考えだったが。 「あのバイオネットとかいう機械、開始一週間で結構人気がでているみたいね」
2012-06-21 21:21:21花瓶とは直接関係のない話を、幽香が振ってきた。虚を突かれながらも、霖之助はすぐ応答する。 「ああ、話を持ちかけられた当初は結構不安だったものだが、いざ動き出してみると、中々に興味深い」 「私は、最初は全然知らなかったの。たまたま人里に買い物にいったら、何か盛り上がっていてねぇ」
2012-06-21 21:28:07「それでよく、僕の店に予約を入れるなんて思い至ったもんだ」 「花瓶がほしかったんだけれど、人里じゃ気に入ったものがなかったから。そこで、貴方の店の広告が張り出されていたものだから、ものは試しにと頼んでみたのよ」 幽香は、一度花瓶を木箱に戻すと、霖之助が先ほど取り出した紙を指さす。
2012-06-21 21:33:20「私の字、綺麗だったかしら?」 「ええ、とても。おかげで、僕自身の文字が上手くなった気分になったよ」 霖之助は改めて紙をつまみ上げた。そこには、風見幽香の書いた文字で、彼女自身が希望する特徴を持つ花瓶を見繕っておいてほしい旨が記されていた。
2012-06-21 21:40:55だが、その文字は、形の整い方こそ女性的だが、線の太さは男性的である。 霖之助がつまみ上げた紙をまじまじと眺めた幽香は、そのことに気づいて、思わず吹き出した。
2012-06-21 21:43:25「変なところで律儀ね。わざわざ一字一句なぞったの?」 「字が綺麗だったし、文字をなぞること自体が楽しくなってね。これをうまく利用したら、寺子屋の習字の時間は大人気になるんじゃないかな」 「なぁるほど。さっそく人里の先生に提案してみれば?」 「機会があればね」
2012-06-21 21:47:54その紙は、幽香が人里にて、バイオネットを介して香霖堂に届けられた手紙だった。 しかし、なぜ霖之助は、わざわざ幽香の文字をなぞったのか。
2012-06-21 21:55:47一つは、端末についているガラス板に、文字を投影する方法だ。どのような魔術を使われているのか、端末のガラス板にはぼんやりと蛍光に光る文字が浮かび上がるようになっており、端末の操作のガイドや、手紙の表示に使えるのだ。
2012-06-21 21:58:18ただし、端末は現状数が限られているので、一個人が端末を長い時間占有できない。 そこでもう一つの手段。バイオネット端末は、無地の紙に一時的に手紙の内容を転写できる機能が備わっている。
2012-06-21 22:01:43これは、聖白蓮が所有していることで知られている魔人教典のような、魔力によってできた文字を転写するもので、基本的にどんな紙にでも文字を写すことができるという。ただし、文字の持続時間は限られており、説明書には長くて半日までとされている。
2012-06-21 22:07:01つまり、霖之助は、幽香が人里から送った、品定めの予約に関する文章を紙に転写し、その文字が消える前に転写された文字をなぞって記録に残したというわけである。
2012-06-21 22:08:49「利便性を考えるなら、インクでの印刷機能があったほうがよいだろう。印刷機はどこにでもあるものではないけど、たとえば天狗の新聞はなんらかの印刷機を使っているという噂がある。技術的に不可能でもないはずだ」 「でも、インクを補充する手間が必要なんじゃない?」
2012-06-21 22:13:16「その通りだ。いくつかは割り切ったのだと思うよ。調べて見た感じ、あの端末はメンテナンスフリーを考えた設計思想だ。外枠は非常に頑丈な作りで、端末を動かす燃料になるという油は、食用油でよい。その補充も一ヶ月が目安というから、焚き火の番をするよりよっぽど簡単だ」
2012-06-21 22:19:11「ハーブオイルでもいいのなら、芳香剤と兼用にできるかしら」 「香る分消耗が激しそうだけどね」 霖之助は、端末からよい香りがする情景を浮かんで、苦笑する。
2012-06-21 22:21:19「とまぁ、記録を残すのに手間がいるのは不便なところだが、それはそれで利点もある、ということは僕自身証明して見せたところだ」 「あんまり意図しない使われ方してると、へんてこなツクモガミになりそう」
2012-06-21 22:27:36「意図――か、それについては依然不透明なままだったな。君はプレスリリースのことも知らないかな」 「そんなこともしたの?」 通算四つめの花瓶を箱に戻したところで、幽香は霖之助を注視するように視線を移した。
2012-06-21 22:27:53「サービス開始の前日に紅魔館で行われてね。僕は行かなかったんだけれど、参加した魔理沙から聞いた話によると――あ、少し長くなるからお茶でもどうだい」
2012-06-21 22:33:24