限界研『21世紀探偵小説』をめぐって(完全版)

限界研のミステリ評論集『21世紀探偵小説』に関する、巽昌章氏、渡邉大輔氏、笠井潔氏、飯田一史氏、藤田直哉氏、氷川透氏らによるやりとりです。
19
巽昌章 @kumonoaruji

『21世紀探偵小説』パラ見中。各論文のテーマの立て方も興味深いし、質量ともに読み応えのある本なのは間違いない。

2012-07-31 19:43:54
巽昌章 @kumonoaruji

渡邉大輔「検索型ミステリの現在」では、小森健太朗氏の「ロゴスコード」「モナド」論と円堂都司昭氏の「解像度の分化」論を参照しながら、これらの議論が示している事態を、「検索型ミステリ」という自説に組み替えようとしている。

2012-07-31 19:57:12
巽昌章 @kumonoaruji

渡邉によれば、現代の日本ミステリでは、人によって認識=リアリティが分裂している。小森はそれを、推理小説の論理の変容という形で内側から論じ、円堂はインターネットやPOSシステムといった文化現象との関係で外から論じた。このような渡邉の把握は誤りではないだろう。

2012-07-31 20:03:41
巽昌章 @kumonoaruji

私が文句をつけるのはせこい観点からである。渡邉は今要約した認識を本文で示したうえ、注(189ページ)で、「以上のような認識は、ここ数年のミステリ評論の分野では、とりたてて珍しいものではないともいえる。たとえば」として、私の『蜘蛛』から佐藤友哉『フリッカー式』評を引用している。

2012-07-31 20:10:28
巽昌章 @kumonoaruji

そして渡邉は「ミステリ評論家の巽昌章による以下の佐藤友哉作品についての記述も、基本的には筆者たちの議論をなぞっているといってよい」と評価を下す。しかし、『蜘蛛』の当該部分が発表されたのは2001年である。『フリッカー式』の発表年を考えればその頃に書かれたのは容易にわかることだ。

2012-07-31 20:15:59
巽昌章 @kumonoaruji

10年以上前に発表されたものを「ここ数年のミステリ評論」と呼んだり「筆者たちの議論をなぞっている」というのはおかしいし、渡邉の議論が「とりたてて珍しいものではない」ことの例証として挙げるのもおかしな話だ。

2012-07-31 20:19:38
巽昌章 @kumonoaruji

また、引用箇所は、佐藤友哉の作品評として書かれているとはいえ、その内容は、「壊れた世界」をキーワードにして推理小説の論理の変容を指摘し、ひるがえって、実は過去の推理小説の論理も「漠然とした世界イメージ」によって支えられていたのではないかという懐疑を述べた、一般性のあるものだ。

2012-07-31 20:27:28
巽昌章 @kumonoaruji

『蜘蛛』という本が、渡邉の引用箇所に限らず、随所で「壊れた世界の推理小説」を論じていることは読めばわかる。また、こうした認識が「とりたてて珍しいものではない」というが、私が「壊れた世界の推理小説」を論じてから、小森の本が出るまでの間、いったい誰がこうした観点から論じたというのか。

2012-07-31 20:33:39
巽昌章 @kumonoaruji

ふつうに考えれば、先行的な指摘として私の議論があり、その後に、小森の「モナド」論が出たという流れで把握するはずである。そして、小森の議論の優越性を認めるにしても、それは、両者を比較して、どこが違うかを見定めてからのはずだ。

2012-07-31 20:39:22
巽昌章 @kumonoaruji

小森の「モナド」はあくまでも比喩なのだから、「壊れた世界」がよいか「モナド」がよいかというのは、比喩としていずれが事態に相応しているかというだけのことだ。大事なのは、やはり、そんなところではなく、小森の議論が私の漠然とした指摘を広さ、深さにおいてどう上回ったかだろう。

2012-07-31 20:42:13
巽昌章 @kumonoaruji

「漠然とした世界イメージ」によって包まれた推理、その変容としての「壊れた世界の推理小説」。それと小森の「ロゴスコード」「モナド」をめぐる議論の比較である。

2012-07-31 20:45:27
巽昌章 @kumonoaruji

むろん、『探偵小説の論理学』がそうした問題点を仔細に論じた著書であるのに対し、『蜘蛛』は散漫な時評集にすぎない。だから、結論として、渡邉論文のように、小森論を本文の柱として大きく扱い、私のものをその他大勢扱いするのは仕方がない。だが、問題は結論ではなく、結論に至る思考過程である。

2012-07-31 20:49:34
渡邉大輔@『新映画論 ポストシネマ』2刷『謎解きはどこにある』11/21刊行 @diesuke_w

@kumonoaruji 渡邉と申します。拙論での言及に対するご批判を拝読しました。丁寧に読んで戴いた上でのご批判に感謝致します。今回の論文では、巽さんの著書の議論について、本文の論と対応させていく際に、確かに論述や記述の詰めの甘さはあったかもしれません。

2012-08-01 18:19:32
渡邉大輔@『新映画論 ポストシネマ』2刷『謎解きはどこにある』11/21刊行 @diesuke_w

@kumonoaruji 論文では巽さんの議論を、小森さんや円堂さんの議論に通じるものがあると看做しながらも、「一般化」するような論調に落とし込んでしまったのですが、確かにあのご指摘自体は00年代初頭になされたものであり巽さんのご指摘の先駆性には配慮し、もっと敷衍すべきだったかと

2012-08-01 18:24:02
渡邉大輔@『新映画論 ポストシネマ』2刷『謎解きはどこにある』11/21刊行 @diesuke_w

@kumonoaruji ただ、これらの主張は珍しいものではない云々と「一般化」した点は、私としては、検索型ミステリという新たな概念を提示する際に、これまでの一見して隔絶している(と思われる)主要な言説群をネットワーク状に結びつけることにより、新しい「一般性」というか…

2012-08-01 18:28:33
渡邉大輔@『新映画論 ポストシネマ』2刷『謎解きはどこにある』11/21刊行 @diesuke_w

@kumonoaruji 既存の言説を、新しい布置に配置してみるということを試みたかったと言えます。そこで、過度にフラットになり、個々の議論の差異や時系列というものはひとまず後退させざるを得ませんでした。今後は論のより具体的な展開が必要だと思います。

2012-08-01 18:32:02
渡邉大輔@『新映画論 ポストシネマ』2刷『謎解きはどこにある』11/21刊行 @diesuke_w

@kumonoaruji その点で、巽さんのご批判は今後の課題と受け止めました。お答えになっているか心許ないのですが、今後も忌憚のないご意見を戴ければと思います。

2012-08-01 18:34:28
巽昌章 @kumonoaruji

@diesuke_w RTされた方がおっしゃる「ここ10年くらいの、「壊れた」とか「変格」とか呼ばれてきたポスト本格の内実が、少しずつだけどくっきりと顕れてきたように感じた。 」とは私も一読して感じているところであり、その試みには今後もおおいに期待します。

2012-08-01 19:11:19
巽昌章 @kumonoaruji

@diesuke_w だから、過去10年あまりの言説をひっくるめて一般化し、それに自説を対置させて批判的な乗り越えをはかるというのであれば、成果に期待します。ただ、過去の言説を乗り越えるのはいいのですが、自分が何を乗り越えようとしているのかははっきりさせる必要があるでしょう。

2012-08-01 19:17:12
巽昌章 @kumonoaruji

@diesuke_w ないものを批判したり、あるものを無視したりしていては、「乗り越えた」ことにならないからです。たとえば、渡邉さんは、小森さんの「モナド」「ロゴスコード」と私がかつて述べていたことは、どこが違うと(あるいは違わないと)お考えなのでしょうか?

2012-08-01 19:20:37
渡邉大輔@『新映画論 ポストシネマ』2刷『謎解きはどこにある』11/21刊行 @diesuke_w

@kumonoaruji 先ほども申し上げましたが、私が今回の論文で試みたかったのは、「言説の布置=プラットフォームを作る」ということで、個々の議論を「批判的に乗り越える」という意識はあまりなかったです。叩き台を作るというか。少なくとも、巽氏、小森氏、円堂氏の議論を同一平面で

2012-08-01 19:32:41
渡邉大輔@『新映画論 ポストシネマ』2刷『謎解きはどこにある』11/21刊行 @diesuke_w

@kumonoaruji 受容するという文脈はこれまでなかったのではないでしょうか(もしあったら私の不勉強です)。もし何かを「乗り越える」とすれば、そうした蛸壺的に散在していた言説環境そのもの、ということでしょうか。巽さんのご批判は、「お前いくらなんでも議論が乱暴だよ」という…

2012-08-01 19:35:38
巽昌章 @kumonoaruji

@diesuke_w また、「ロゴスコード」「モナド」説によりかかりすぎていませんか。小森説を使うなというのではありません。私が小森説を批判するかどうかはもちろん別問題として、渡邉さんがこれを引用し、そこからご自分の考えを導くのに文句をつけるいわれはない。

2012-08-01 19:36:11
巽昌章 @kumonoaruji

@diesuke_w しかし、私なりその他の人々なりの言説とあわせて新たな布置を作る素材という域をこえて、「モナド」「ロゴスコード」は、現代のミステリを分析する無謬のツールのように扱われていませんか。

2012-08-01 19:38:18
渡邉大輔@『新映画論 ポストシネマ』2刷『謎解きはどこにある』11/21刊行 @diesuke_w

@kumonoaruji …ことだと思いますが、批評の場合、この種の分析作業に差異を希薄化する手続きは不可避だと思います。その意味では、巽さんのようなツッコミは受け入れて考えなければならないと思います。

2012-08-01 19:38:59
1 ・・ 11 次へ