『西洋美学史』twitter読書会 9章~10章

小田部胤久著の『西洋美学史』を、なんとなく集まった専門バラバラ文系民で読み進めた読書会の試み第四回まとめ(8/17)。
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(なお、これまでのまとめについて、整理や注釈付けが進んでいますので、そちらも合わせてどうぞ。)

9章:「趣味」の概念について、ヒュームの見解を軸に

tieckP(ティークP) @tieckP

9章:「趣味」。18世紀は、趣味(=味覚)の時代とされ、審美的能力としての趣味が問われた。この「趣味」は、その多様性から個人の自由を表すようでもあり、逆に教養として、社会の規範として存在するようでもある。 #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:25:24
tieckP(ティークP) @tieckP

(一般用語におきかえたら、無根拠な「これが好き」という感覚に近いかもしれません。それが、完全に個々人の嗜好の問題か、「高尚な趣味」みたいなレベルが客観的に存在するか、というお話) #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:27:16
jabrafcu @ja_bra_af_cu

最近だと佐久間正英さんがプロ水準の「よい音楽」がスタジオ経費がかけられなくなって伝達がむずかしくなったと書いて話題を読んでましたね。 #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:30:14
tieckP(ティークP) @tieckP

ヒュームは、趣味に関する二つの「常識」について考える。1.「趣味については論じることはできない」(こちらの場合、懐疑主義的に基準は存在しないという主張) 2.常識は「すぐれた作家と劣った作家とを区別し、趣味の優劣を認める」(これは基準があるという主張) #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:29:09
tieckP(ティークP) @tieckP

彼は、「人間の自然本性に共通の感情」を観察することで、普遍的な趣味の基準が定められることを主張し、ホメロスが読まれ続けることを例として挙げている。「権威と先入見」によって妨げられることもあるけれど、長い時代の吟味に耐えるものは自然本性に従っているのであると。 #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:30:51
tieckP(ティークP) @tieckP

趣味の多様性とは、この規範からのさまざまな逸脱として「否定的に」捉えられる。しかし彼の主張は、その絶対的「規範」を理解できる批評家が存在しうるか、という問いを免れない。この現実的な批判に対して理解を示しつつ、規範を持ち出す「権利」までは否定されないとしている。 #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:34:29
tieckP(ティークP) @tieckP

(つまり、たしかにこの規範を批評家が完全にマスターできないかもしれないけど、そのことが、こうした規範の存在自体があることの否定にはならないよ、ということですね) #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:35:48
tieckP(ティークP) @tieckP

ヒュームは、この普遍的な規範を目指すため、個々の先入見から逃れることを主張するけれど、その実践は、普遍を直接目指すよりは、他人が前提とする先入見をちゃんと理解することにある。つまり、先入見を幾つも学んでいくことで、相対的に特定の先入見から逃れるという感じ。 #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:38:20
tieckP(ティークP) @tieckP

(この章はめずらしく、ヒュームさんが圧倒的な主役で、あとはおまけのようにブルデューとガーダマーの趣味と社会の関係論が補足のように足されます。) #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:39:29
tieckP(ティークP) @tieckP

ブルデューは、個々の趣味が他の趣味を互いに否定することで成立するとしたうえで、「高尚さ」や「粗野さ」は社会的な階級を再生産する恣意的な価値判断に過ぎないとする。つまり、エリートが子供に「高尚な」趣味を教え、またこの「高尚な」趣味人がエリートとなる、という感じ。 #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:41:21
tieckP(ティークP) @tieckP

一方ガーダマーは趣味を「流行」と対比して、後者が社会的依存を作り出すのに対し、趣味は自己自身の判断をしようとする試みとし、また個々人が全体が支持する「規範」を求めて互いに働きかけることを、自己を他者に開き、理想的な共同体を目指す動きとして、肯定的に見ている。 #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:45:39

「権利」という用語の意味は?

jabrafcu @ja_bra_af_cu

@twidokusho 「権利」っていうことばがしっくりこないんだけれど、これはright=「本来的に正しい」ことくらいの意味かしら? #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:40:03
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

@ja_bra_af_cu カントにもよく出てくる言い回しですが,「可能性としてはありうる」「してもよい(けどしなくてもよい」くらいの意味合いで捉えておくと楽です。 #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:40:58
jabrafcu @ja_bra_af_cu

@nix_in_desertis なるほど。それなら意味が通じるw 補足thxです #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:42:09
シノハラユウキ @sakstyle

@ja_bra_af_cu 事実問題と権利問題の区別っていうのは、哲学ではよく出てくる言葉ですね。哲学は、事実について探求するんじゃない(それは科学がやればいい)。じゃあ、何を探求するのかというと、権利問題に関わりと。DG-Lawさんがすでに言ってますが「ありうること」です

2012-08-17 22:45:44
シノハラユウキ @sakstyle

@ja_bra_af_cu 「ありうる」というか、もう少し規範的なニュアンスがあるような気がしますが。ググると「認識が 成り立つ事実を問題にするのではなく、認識が客観的に妥当しうることの根拠を問うこと」とあります

2012-08-17 22:49:53
jabrafcu @ja_bra_af_cu

@sakstyle 認識などが how possible かってことみたいですね。勉強になりました

2012-08-17 22:50:54
DG-Law/稲田義智 @nix_in_desertis

カントで「普遍的妥当性を要求できる」とかいう言い回しが出てくると「要求してどうすんだよ!」と突っ込みたくなるが,要するにこれも事実問題じゃなくて権利問題なんだよ,ということの提示ではあるんだろうな。 #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:47:23
jabrafcu @ja_bra_af_cu

@twidokusho 《(ラテン) quid juris 》カント哲学の用語。認識が成り立つ事実を問題にするのではなく、認識が客観的に妥当しうることの根拠を問うことをいう。法律用語からの転用。 http://t.co/dnwTYM5d #西洋美学史読書会

2012-08-17 22:48:50
jabrafcu @ja_bra_af_cu

@sakstyle 法律用語を転用するあたり、市民社会の哲学者って感じがしますw

2012-08-17 22:53:35
ほとけ🐶 @schwer_metall

@ja_bra_af_cu カントは法律用語のバーゲンセールですw

2012-08-17 22:54:57
jabrafcu @ja_bra_af_cu

@schwer_metall そうなんですねー。原点にあたってないとそういうのがつかめないw

2012-08-17 22:56:28
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