「井の中の蛙大海を知らず、されど…」の語源
NHK大河ドラマ『新撰組!』(まとめ公開後)
[言葉]大河「新撰組!(三谷幸喜脚本)」の中で近藤勇が「続きがあるんですよ」と言って使ってた気がするなあ。でも本当はそこまで遡れないということか。 / “「井の中の蛙大海を知らず、されど…」の語源 - Togetter” http://t.co/GcaeYlug
2012-08-19 19:07:19何らかの史料に拠ってる可能性があるので、さっき調べてみました。ヒュースケンとの会話ですが、そもそもこの2人が遭遇した史実がないみたいでした。RT @susahadeth52623 大河「新撰組!(三谷幸喜脚本)」の中で近藤勇が「続きがあるんですよ」と言って使ってた気がするなあ。
2012-08-19 19:35:51はてなブックマークから。
migimigi id:susahadeth52623 三谷幸喜さんが出ていた番組の中で、大河で使った「井の中の蛙大海を知らず、されど…」は実は永六輔さんが作った言葉だったと語っていました。探したらその番組の感想エントリがあった http://bit.ly/NcK6JI 2012/08/19
http://b.hatena.ne.jp/migimigi/20120819#bookmark-107064942
三谷幸喜『新撰組!』のソースが永六輔さんということは、上記の山藤章二さんの書籍から出ているようですね。
霜山徳爾著作集
前回、「井の中の蛙(かわず)大海を知らず。されど天を知る。」という河井寛次郎(かわいかんじろう)の言葉を紹介した。その出典を調べてみたのだが、よく分からない。ネットで検索すると、『霜山徳爾著作集6(学樹書院)』というのが出てきた。
霜山徳爾(しもやまとくじ/1919~ )氏は上智大学名誉教授で心理療法家だという。その「多愁多恨亦悠悠(たしゅうたこんまたゆうゆう)」に河井の言葉は紹介されていた。
作品に銘刻もしない民芸的な名品をつくり出した人として知られる河井寛次郎には、それだけ敵も多かった。ある時、某批判家から「井の中の蛙 大海を知らず」と評され、また「茶道には向かない」と批判されたそうだ。その時、河井は「されど井の中の蛙 天を知る」と答えたという。そしてまた、「草に非(あら)ず、人に非ず、木に非ず」と答えたそうだ。これは「茶」という字にかけて、硬直化した茶道の形式主義を批判したのだという。
霜山はこのようなエピソードを紹介しているが、残念ながら、その出所は記していない。
北條民雄(昭和12年『山桜』)
塚田のこの見解に対する北條のコメントが、翌年の山桜の一月号に「井の中の正月の感想」と題して掲載されている。
諸君は井戸の中の蛙だと、癩者に向かって断定した男が近頃現れた。勿論、このやうな言葉は取り上げるにも足るまい。かやうな言葉を吐き得る頭脳といふものがあまり上等なものでないといふことはもはや説明の要もない。しかしながら、かかる言葉を聞く度に私はかつていったニイチェのなげきが身にしみる。「兄弟よ、汝は軽蔑といふことを知ってゐるか、汝を軽蔑する者に対しても公正であれ、といふ公正の苦悩を知ってゐるか」
全療養所の兄弟諸君、御身達にこのニイチェの嘆きが分かるか。しかし、私は二十三度目の正月を迎えた。この病院で迎える三度目の正月である。かつて大海の魚であった私も、今は何と井戸の中をごそごそと這い回るあはれ一匹の蛙とは成り果てた。とはいへ、井のなかに住むが故に、深夜沖天にかかる星座の美しさを見た。大海に住むが故に大海を知ったと自信する魚にこの星座が判るか、深海の魚類は自己を取り巻く海水をすら意識せぬであろう、況や-
http://members2.jcom.home.ne.jp/yutaka_tanaka/tojo/retrieval.htm