11章 カントの判断力批判と人為性と自然
では第11章カント。ここでは自然と芸術の関連というサブタイトルがついているが,実際にはカントの芸術定義に大半を使っており,それに対する後世の反応という文章構成になっている。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:29:24カントにとって芸術とは美しい技術のことであり(美しくない技術というものは前提としていない),技術が美しいと感じられるのは「技術ということがわかっていてもなお,自然として見えるもの」であった。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:30:17技術から見た目の人為性を排するという観点はすでに古代からあり,アリストテレスや擬ロンギノスにもかいま見える。しかし,カントがこれらの弁論術の伝統に則っていることは本質ではない。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:30:32カントにおける自然とは「原因と結果のうちに目的が関与しないもの」であり,技術はその逆である。しかし,この目的が隠されるからこそ自然に見える。目的を考慮しうるのは理性的な存在である人間のみであり,これがまさに人為である。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:31:07続いて技術を分類する。まず,単純に目的合理性を持つ(客観的目的を目指す)ものを「機械的技術」としたが,要するに人間の快不快の感情にかかわらないものがこれである。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:32:18次に機械的技術ではないものを「美的技術(aesthetische Kunst)」とし,さらにこれを「快適な技術」と「美しい技術=芸術(Shoene Kunst)」に分けた。いずれも人間の快不快の感情にかかわる点では共通しているが,快の生じる経路が異なる。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:32:53前者は質料のみが対象となり,後者は形式も対象となる。質料のみで判断される「快適な技術」は感性のみで処理されるのでここでは議論の俎上となっていない。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:34:50「美しい技術(=芸術)」については,感性に加えて悟性とその下部機関である構想力がかかわる。通常の認識では構想力は悟性によって支配されているが,形式を持つ「美しい技術」の場合は悟性と構想力が対等となり,「悟性と構想力の自由な運動(Spiel)」が生じる。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:38:11長くなった上に第12章冒頭に踏み込んでしまっているが,この運動の際に「積極的な快」が生じ,積極的な快を引き起こすものこそがカントの定義する芸術であり,芸術によって引き起こされた構想力のなした過剰な表象のことを「美的理念」と定義した。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:38:50天才は概念の感性化において,あらかじめ措定された目的に加えて美的理念を呈示ないし表現する。だから作品が美的技術の産物となる。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:39:14ここまでがカントの思想で,これを引き継いだのはまずシェリングがいる。彼は芸術を意識的な活動=技術と無意識的な活動=Poesie(創造性)によって成り立つとし,人間の有限なる「意図」の見えるものはPoesieを欠く=芸術ではない,とした。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:40:04逆説的に,シェリングにとって芸術とは無限性を呈示するものであり,人為性と自然性の交叉するものである。アドルノはさらにこれを踏まえて,「芸術作品は完璧であるほど人間の意図が消え去る」とした。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:40:25これらに対して,シラーはむしろ「没意識的なもの」(=情念)が意識的なものに先立って存在し,芸術が創作されると主張した。つまり,「あらかじめ措定された目的」などというものは存在しないという形でカントを否定している。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:40:46ただし,シラーは芸術が意識的なもの(人為)と没意識的なもの(自然)の交叉であることまでは否定していない。その具体的な内容は第12章に譲られる。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:40:54最後にジンメルは芸術の自然性と人為性の交叉を,自立性と全体への連関性と読み替えた。芸術作品はそれ自体で完結しているが,一方で全体ともつながっているのである。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:41:08@twidokusho nixがさりげなく「擬ロンギノス」(偽ロンギノス)」と書いてるけど、本文中では「伝ロンギノス」になってますね
2012-08-24 22:34:00別にいいんですが,なぜに忍殺w(DG-Law)
擬ロンギノス Longinos:『崇高について』という書物は3世紀の新プラトン主義の思想家であるロンギノスが書いたことになっているが,実際には1世紀の別人である。『崇高について』は崇高という言葉の初出だが,文体論の書物であり,最も高級な文体の修飾語であった。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:42:31文体論を勝手に美学用語に援用したのは近世のヨーロッパ人である。最初にこれを訳したのはフランス人の文筆家ボワロー。本書の第7章で既出。/名前を借りたという解釈をとれば「擬」,気づかずにかぶった説をとるなら「伝」ですかね @sakstyle
2012-08-24 22:43:56アドルノ Theodor Adorno(1903~69)ユダヤ系ドイツ人,フランクフルト学派の哲学者・社会学者。ナチスや権威主義についての研究を行った。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:44:22ヴェーベルン Anton Webern(1883~1945)現代音楽の作曲家。シェーンベルクの弟子で,とても寡作。あとは知ってる人にパス。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:44:36ジンメル Georg Simmel(1858~1918)「生の哲学」の人。ただし,カントの筋の哲学者なので,同じ用法でもニーチェやディルタイらとはだいぶ遠い……らしいけどよくわかりません。 #西洋美学史読書会
2012-08-24 22:46:08「生の哲学」って括り、いまいちよく分からない。 RT @nix_in_desertis: ジンメル Georg Simmel(1858~1918)「生の哲学」の人。ただし,カントの筋の哲学者なので,同じ用法でもニーチェやディルタイらとはだいぶ遠い……らしいけどよくわかりません。
2012-08-24 22:50:59