0.ジョン・ロールズという政治哲学者がアメリカにいる。主著「正義論」で“無知のヴェール”というアイディアを駆使して、あるべき社会について提言している。これを援用して映画の企画を検証するということを思いついたので、このことについて連投でつぶやく。
2012-09-09 20:54:341.「白熱教室」でも論じられていたが、アメリカの政治哲学というのは、ものすごーく大雑把にいうと、自由を巡る議論だと思う。自由を前提としながら、あるべき社会とはどのようなものかを考えるというのが大きなテーマになっている。アメリカにとって自由は右にとっても左にとっても前提だ。
2012-09-09 20:55:252.自由を前提としながら、福祉や富の再分配をどの程度実現していけばいいのかは、政治的態度によって異なってくる。財産をあまり税金に持って行かれたくないという人もいれば、貧困を救済するために、充分に課税をし、貧富の格差を福祉政策で積極的に是正していくべきだと考える人もいる。
2012-09-09 20:57:343.そこで、ジョン・ロールズは“無知のヴェール”というものを考えた。このヴェールをかぶると自分の属性が剥がれ落ちた状態になる。つまり、金持ちなのか、貧困層に属しているのか、有色人種かアングロサクソンか、健康な人間か病人か、美人かそうでないのかが、がさっぱりわからなくなるのだ。
2012-09-09 20:58:214.このヴェールを被って、自由や福祉政策を考えてみようというのがジョン・ロールズの提案だ。自分が金持ちだったら再配分や課税はなるべく小さくあるべきと考えがちだが、貧乏人かもしれないし、ひょっとしたら働けない身体なのかもしれない。この場合は手厚い福祉政策を求めるだろう。
2012-09-09 20:59:195.このような“無知のヴェール”を被った状態では、人は理性的に思考せざるを得ない。であれば全員がこの無知のベールを被ったら正義の原理が導き出せるのではないか、とジョン・ロールズは考えた。
2012-09-09 21:00:096.結論としては、最も悲惨な人間でもある程度の便益を得られるような正義の原理(手続き)に人々は合意するであろう、というものだ。この考え方は、アメリカのような貧富の差が激しい社会では、格差を小さくし、故に福祉政策、再配分政策を正当化する論理となった。
2012-09-09 21:01:187.はい、以上が“無知のヴェール”の要約だ。この議論が出る前の社会契約論とかそのへんはすっ飛ばしている。また、ジョン・ロールズは後期にこの考え方を修正するのだが、ここでは述べない。今述べたことも原著に当たったわけではなく、解説書等で仕込んだ知識だということもお断りしておく。
2012-09-09 21:01:598.で、ここからが本題だ。僕の興味は、この“無知のヴェール”を観客(というか作品)に被せてしまったらどうなるかというものである。
2012-09-09 21:02:239.あなたは映画館の座席に座っている。これから映画が始まる。しかし、出演している俳優の知名度はわからない。監督が巨匠なのか新人なのかも知らない。製作予算も検討がつかない。大手企業が作ったものか学生の自主映画かも不明。宣伝に呷られて来たのでもなく、ただ忽然と座席に座っている。
2012-09-09 21:03:2110.このような状態で見る場合、どのような映画が「面白い」と合意を得られるだろうか、と考えてみようというのが“映画版 無知のヴェール”である。
2012-09-09 21:04:2511.だとしたら、物語が起伏に富んでいて飽きさせず、芝居がうまくて魅力的な俳優が的確に配役され、演出のうまい監督が演出し、映像的な表現も充実している映画が「面白い」という合意を取り付けやすい、と考えるのが自然だろう。
2012-09-09 21:06:0112.しかし、今の映画はそんな素朴なありかたは許されない。観客は「豪華キャストだな」とか「この映画見て感動しなければ損だ」とか「あとで『長澤まさみの美脚に死んだ』とTweetしよ」とか「蓮實さんが褒めているのでいい映画にちがいない」なんて見る前から思っているかも知れない。
2012-09-09 21:07:4213.いや、観客だけじゃなくて映画ジャーナリズムもそのような雑念をちらつかせながら、試写室の席に座っているのではないかとさえ思うのである。
2012-09-09 21:08:0614.逆の立場でいうと、そのようなパッケージ感をどのように構築すればいいのかをプロデューサーはいつも腐心している。そこで指標となるのは、作品の実態ではない。“作品を構成するエレメントの株価”である。
2012-09-09 21:12:1915.「この監督は今が旬だ」と思って抜擢する。「彼の演出そのもの」については思いを巡らせることはない。キャストについても大事なのはバリューで、演技力は二の次である。それが、株価によって意志決定されていく企画だ。それは致し方ないところもある。しかし、時に株価は実態と激しく遊離する。
2012-09-09 21:13:0516.だとしたら、せめて時折は、自分の作品・企画と観客に“無知のヴェール”を被せて思考したらどうだろうか。この映画(企画)は虚心に見て本当に面白いのだろうか、と。
2012-09-09 21:13:4317.日本映画は「面白さ」から退却しているような気がする。監督と俳優のバリューと宣伝戦略で、大した根拠もなく観客の心を「感動モード」にしようとしすぎていないか。その事情もわかるけれど、と同時に素朴に映画や企画が「面白いのか」を検証する必要もあるのではないかと思うのである。
2012-09-09 21:19:34