27 弱者になり切るという最強論理武装

最近気になる言葉なんばーわん。「マイノリティ憑依」について論じてみました。論理で人を解することを揶揄した私の使っている技術も論理のはず。自己矛盾を感じてしまいます。しかし、技術としての論理は大事なもの。付き合い方を考えないとですね
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はにわ @haniwa0705

①私は死刑反対論者だ。いかなる事情があろうと、人を死なす権利などというモノは人にはない。そう信じている

2012-09-12 13:12:39
はにわ @haniwa0705

②死刑存続論者のよくいうセリフがある。 「被害者の身にもなって考えてみなよ」 確かに自分の縁者が殺されたら、その加害者に死をもって償って欲しいと思う気持ちは分からなくもない。そう考えるのは理の当然というものであろう

2012-09-12 13:15:06
はにわ @haniwa0705

③私は論理だてたモノの考え方をすることが割と好きな方だ。なので、論理展開により結論を出されると弱い。なるほど。被害者の身になって考えれば死刑が廃止されるというのは納得のいかないことになってしまう

2012-09-12 13:17:05
はにわ @haniwa0705

④最近聞いた途端にゾッとした言葉がある。「マイノリティ憑依」だ。 弱者の魂が論者に憑く、といった意味か?マイノリティ憑依状態の論者は、もう既に弱者になり切っているのだ。そりゃあもうその論者を看破する言葉はほとんど存在しなさそうだ

2012-09-12 13:20:37
はにわ @haniwa0705

⑤その言葉の持つもっとも怖いことは「マイノリティ」という概念を論者が隠れ蓑にしてしまう点だ。弱者を居直り、論を展開してしまうというのは逆転現象を起こす。論者自体を強者にしてしまうのだ。弱者を語ればこれほどの強さはない

2012-09-12 13:23:29
はにわ @haniwa0705

⑥しかし、このマイノリティ憑依。決定的な間違いがある。「誰も、被害者の気持ちになんてなれない」ことである。被害者の気持ちを慮り、その気持ちを考えて諸問題を考えていくことは重要なことだ。しかし、その気持ちに「なる」というのは別だ。非常に傲慢な態度だと私は思う

2012-09-12 13:25:54
はにわ @haniwa0705

⑦あくまで同情して物申す時、論者は代弁者なのだ。自分の経験や考え方に依って話すしかない。それにもかかわらず論理展開のみを重視し、具体的個人の意を汲んでいると思い込んで話すことは暴力的だ。その個人に対する敬意の念を全くなくした行為だ。

2012-09-12 13:29:06
はにわ @haniwa0705

⑧その個人がいわゆる一般的に考えられるであろう「論理性」に従って話すとは限らないからだ。それこそ、我々が経験したことのない経験をした被害者縁者なのだ。そうそう軽々しく論理的に彼、彼女の帰結を作り上げるようなことをしてはいけない。人とはバラエティの豊富な存在なのだ。

2012-09-12 13:31:17
はにわ @haniwa0705

⑨もちろんマイノリティ憑依という言葉がうま過ぎるだけで、この言葉もそういった人々にうまくレッテルを貼っただけなのかもしれない。人はバラエティに富む存在なのだ。マイノリティ憑依を憎んで人を憎まず。これでいこう。なんにせよ、具体的人を意識することが重要。哲学的人などは実在しない

2012-09-12 13:34:01