安田登さん 須磨の『平家物語』旧跡巡り(20120913)

from:須磨浦公園駅(兵庫) to:敦盛塚 to:鉢伏山上駅 to:須磨浦山上遊園 to:旗振山延命地蔵尊 http://t.co/DDSj7DcE
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安田登 @eutonie

須磨。明日は一の谷の合戦を中心にめぐる予定です。…けど、暑いので、いっぱい歩くのはヤメにします。週末は舞台で、金曜には申し合わせもあるし…。ということで明日のルートの予定。 http://t.co/DDSj7DcE

2012-09-12 21:55:07
安田登 @eutonie

須磨浦公園駅から敦盛塚をお参りし、ちょっと山に登り(暑かったらロープウェイも併用)、須磨浦山上遊園から源平合戦の場や淡路島を一見。そして一ノ谷逆落としのルートを歩き、安徳帝内裏跡(伝)から源平の史跡である戦の浜に寄ります。

2012-09-12 21:59:55
安田登 @eutonie

敦盛塚。中世の五輪塔としては京都の岩清水八幡宮に次ぐ二番目の大きさとか。 http://t.co/pDDMMgte

2012-09-13 10:13:48
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安田登 @eutonie

須磨浦山上遊園の展望台から。遠くに見えるのは淡路島。 http://t.co/ut4qwema

2012-09-13 10:50:13
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安田登 @eutonie

旗振山毘沙門天。須磨浦山上。ここらから見える海上に平家の一門は船を浮かべた。 http://t.co/3Hb33J7J http://t.co/p5mWU8XP

2012-09-13 11:00:57
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安田登 @eutonie

旗振茶屋は摂津の国と播磨の国との国境。ここからは源平の古戦場が見える。 http://t.co/GRYNRqom http://t.co/Y1kzX8Vu

2012-09-13 11:10:57
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安田登 @eutonie

義経らの逆落としの進軍路。ここから一ノ谷に向かう。 http://t.co/2VJZf6IY

2012-09-13 11:24:19
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安田登 @eutonie

逆落としの最後のアプローチ。ここらからは一ノ谷がすぐ下に見える。今でこそ蛇行する山道があるが、これがなかった当時は、ほぼ直角の山を七十騎で下りたのだろうか。しかもおそらくは足音を忍ばせて。 http://t.co/CZDCewD9

2012-09-13 11:49:33
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安田登 @eutonie

これを書いている時、赤とんぼが僕の肩にとまり、それからiPhoneの右上にとまった。カシャカシャ書いているのに逃げようとしない。あ、平家は赤旗だ!って気づいて、写真を撮ろうと思ったらいなくなった。で、代わりに白い蝶が。…ってウソみたい。ちょっと延命十句観音経を読経。

2012-09-13 11:54:07
安田登 @eutonie

安德宮。安德天皇の内裏跡と伝えられる地。山を抜けて海岸の近く。 http://t.co/4XLdmdqa http://t.co/n4jKSGH1

2012-09-13 12:12:42
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安田登 @eutonie

戦の濱の碑。海岸までは山陽線の線路が間にあるけど…。ここから西一帯は、戦の濱と呼ばれ、毎年二月七日の夜明けには松籟と波濤とともに軍馬のいななく声が聞こえたという。

2012-09-13 12:23:17
安田登 @eutonie

一ノ谷の浜辺。敦盛たちはここから船を目指したのか。 http://t.co/y7T8iTbt

2012-09-13 12:38:47
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安田登 @eutonie

須磨駅の浜辺寄りにある三社大神宮。恵比寿、金比羅、猿田彦を祀る。 http://t.co/qarBrWYG

2012-09-13 12:46:15
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安田登 @eutonie

さあ、帰路です。明日は午前に申合せ(リハーサル)がひとつあり、それから原稿を書きます!帰りの電車の中はちょっとぼんやりします。

2012-09-13 14:22:24
安田登 @eutonie

逆落としで遭った平家の赤とんぼと源氏の白蝶…って、このくらいの偶然には多くの人が遭いますが、気づき、それから意味づけするかどうかですね。あのルートを歩く他の人たちはすごい早足で、そういう所にも全く止まらない。源平合戦に思いを馳せたり、鳥のカノンを聴いたりせずにさっさか通り過ぎる。

2012-09-13 14:26:09
安田登 @eutonie

皆さん、おそらくリタイアして悠々自適の生活の方たちではないかと思うのですが、せっかくの悠々自適がもったいないですね。

2012-09-13 14:30:42
安田登 @eutonie

能の先生のお宅は港区の愛宕神社。そこには出世の石段という急階段がある。江戸時代、曲垣平九郎がそこを馬で上り下りしたという伝説があり、それが本当かどうかをテレビで実験をした事があった。結果は成功したのですが、そこに至るまでの馬の訓練がすごかった。勇気があってもできるものではない。

2012-09-13 14:34:10
安田登 @eutonie

てことは、義経の逆落としも同じ。実際に逆落としを歩いてみて、ほんと義経ってすげえ奴だなぁと思うと同時に、彼らと彼らの乗っている馬はそのように訓練された馬…というか、そのような所で使われていた馬ではなかったかと思った。山馬を操る源氏なのです。

2012-09-13 14:35:42
安田登 @eutonie

で、それと対照的なのが平家。敦盛は馬に乗って五六段(60~70m)ほど海に泳いで行ったのを熊谷に呼び戻される。いくら遠浅だからと言ってもね~。すなわち平家を馬を泳がせる事ができた人たち。海馬を操る平家なのです。山馬に乗る熊谷は追って行けずに呼び戻さざると得なかった。

2012-09-13 14:38:40
安田登 @eutonie

…なんてことも源平の旧跡を歩きながら、考えたのでした。そのほかもいろいろあるけど、それはTweetだと短すぎるから、またの機会に。

2012-09-13 14:39:47
安田登 @eutonie

備忘録。これから能の旧跡をめぐる時には数珠を持参すること。僧俗に非ずと申すことの候へば、暫く逗留申し、ありがたき御経を読誦し…って能でもいいますから。

2012-09-13 14:45:07