ポスト世俗化!―中世仏教の祖師信仰と、現代の坊主流行りと、チベット仏教の現状をめぐるやりとり
- southmtmonk
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しかし中世における祖師信仰(個人信仰)と、現行のソレとは違う気がするんよ。前者は開くまで権現・垂迹としての信仰(の延長線上)にある一方、後者は個人のキャラクターへの関心がベースになっている感じ。
2012-10-19 22:32:45中世の祖師信仰の延長線上に現代の「坊主流行り」があると考えると、往昔における「垂迹・権現としての個人(の象徴的)崇拝」が現代では「坊主のキャラクター(人格・個性)の消費」であると言えるかも知らん。
2012-10-19 23:13:40中世における祖師信仰を現代から見ると、どうしても「キャラクター消費」的な観点に基づいて見てしまうんだけれども、これは間違いとは言わないまでも、適確な見方であるとも言い難い。
2012-10-19 23:15:43現代において消費(乃至嗜好)対象とされる「坊主キャラクター」には、宗教的確信みたいなモンが必要不可欠とされているんじゃねえの――という話が今日あったんよ。
2012-10-19 23:18:50最近再評価が進んでいるある高僧にしても、ボキから見ると「徳がある」というよりも「顕門出身としての財力をバックにして、宗教的イベントをプロデュースする能力を発揮した」という評価の方が正しいように思ったりするんよ。
2012-10-19 23:21:58もともとプロデューサーとして名を残した人物を、最近の「名僧・高僧は宗教的な確信があった(ある)に違いない!」みたいな思い込みから再評価するのも、まあ端から見ていてアレ。
2012-10-19 23:25:14言うほど「宗教的確信」とか「宗教体験」なんてものは大したモンじゃない(それこそオウム的メソッドで体験できる)ので、余りソレを持て囃すのもどうなのかしら。
2012-10-19 23:27:48「世間にウケた坊主が良い坊主」な訳ではもちろんないんだけれども、その方が名前が後に残って「良い坊主」との評価が定着しやすい――というのはあるかも知らん。
2012-10-19 23:32:35@busterbonze チベット仏教もどんどんグローバリゼーションの波に飲み込まれているので同じことが起こるんですね。美味く波に乗れない人たちはみな喘いでいます。
2012-10-19 23:19:37@goyou ああ、その「波に乗る/乗れない」という感覚はよくわかります。セルフプロデュースというか、上手いこと世間に売り出していかないと生き残れないんじゃないか、という焦燥感。
2012-10-19 23:23:21@busterbonze はい。往年の隠遁修行場を訪ね歩いたんですが、やはり現金経済化の波が押し寄せていて、山間部の村落でも、隠遁行者さんを養うだけの経済力がなくなってしまったり、それを善行だととらえる価値観すらなくなってしまっていてですね……。
2012-10-19 23:31:52まあボキの仕事(のひとつ)が、そういう肥やしになっていった無名の坊主を地面から掘り起こして、ゾンビとしてこき使ってやろうというアレ。
2012-10-19 23:36:12@busterbonze 全くいっしょでしょう?20年前くらいはまだそうでもなかったんですが。チベット仏教圏にしろ東南アジアの南伝仏教圏にしろ、経済発展が遅れていたぶん、仏教界の変容もすこし遅れてやってきただけの話のようです。
2012-10-19 23:37:09実際、「祖師の個人的な語録」に対して世俗一般から評価されるようになったのって、日本じゃせいぜい明治以後のことじゃなかったっけ。宗派内での話は兎も角。
2012-10-19 23:40:24うーん、就活のことでちょいと考えることがあったのだけど、自分ら坊さんの人格もまた売買の対象(投機の対象)になってることに気がついてしまったお。ホゲー
2012-10-19 23:43:21