- fujimuralab
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ライナーでポートアイランドへ。小林さんがポーアイの全体計画に関わっていたのは大阪市立大M1だった22,3歳の頃。当時助手だった水谷頴介さんが32歳で計画委員会を仕切っていたという。M1の大学院生が巨大開発の図面を引いていたなんて今では信じられない。
2012-10-25 15:33:54100m道路の構想を削られて70mになった話、その70m道路も海まで行かずに南公園の手前でカットされた話など計画時のエピソード伺う。ポートライナーが後に複線化した際に道路をまたぐために余計な橋脚が必要になったのを指して「最初にケチるとあとでああいうことが起きる」と小林さん。
2012-10-25 15:36:39小林さんが関わったのはポーアイ期と六甲アイランドまでで、2期の計画はほとんど関わっていないとのこと。三宮から神戸空港へ向かう軸線が途中折れて迂回して空港に入るライナーの線形をみて「まっすぐ通すべきだった」という。確かに2期のプランには1期や六アイに見られるような「理想」がない。
2012-10-25 15:40:49某企画でRIAの近藤正一名誉会長へインタビューさせて頂いた。1970年代以来再開発を重点テーマにしてきた数少ない設計事務所のひとつ。同じく市街地再開発に熱心に取り組んできた神戸での話と時代が重なる。
2012-10-25 19:08:191990年代までは権利者の組合と設計事務所、コンサルがダイレクトに組んで再開発に取り組んできた時代。2000年代以降は大手デベロッパーが入るようになり、多くの設計事務所が参入して商業化していく。再開発の理解にとっても1970-1995/1995-2011という区分が有効なようだ。
2012-10-25 19:13:052000年代以降の再開発事業はRIA型の企画力のある設計事務所が企画から設計まで一貫し、施工は分離するよりもデベロッパーorコンサルの営業設計と設計施工の間で分けられるようになった。相対的には企画が強くなり、設計が弱くなったと見るべきか。公共でのPPPやPFIの流れも似ている。
2012-10-25 19:24:01これは結局、事業自体が複雑化しているなかで企画と設計と施工が少ない投資を取り合うのがおかしいのであって、社会全体の投資を増やさないと問題の根本は変わらない。福祉防災復興へ大量に予算が流れている現状の配分をどう扱うかという政治的な問題を考慮せざるを得ない。
2012-10-25 19:30:04結局大きくなりすぎた日本の経済圏を複数の自立した経済圏の集合に分割し、それぞれの地域での域内循環をどう取り戻すかなのだろうね。建設業は全体として工業化へ走った1970年に巻き戻す必要があるということ。
2012-10-25 19:35:07神戸でお世話になった小林郁雄先生にお礼を考えていて、ふと打ち上げの時に小林先生がおっしゃった言葉を整理してみた。
2012-10-26 18:30:40『まちづくりは運動である、都市計画とは違ったモノである。しかし、それをもうちょっと都市計画や制度の中に入れていければ。それを死ぬまでにやり遂げたい。まちづくりは今までのトレンドの場とは違う、つぎのステップに少しでも力になりたい。』小林郁雄先生の熱意が伝わってくるお話だった。
2012-10-26 19:02:19『街のかたちやデザインはあまり興味がない。そこに住む人たちが本当に自分たちの住みたる街に自分たちがしたいという想いがどれだけ反映できるか。』この話を聞いて自分のモチベーションが高まらない訳が無い。
2012-10-26 19:07:15