今日は11月9日、ベルリンの壁崩壊の日ね。去年は壁の崩壊する経緯について話したと思うけど、今年は壁に関するエピソードを紹介しようと思うわ。
2012-11-09 21:00:38ベルリンの壁を越えようとして、警備隊に射殺されてしまった市民は多かったけれど、最も有名なのは1962年当時18歳で亡くなったペーター・フェヒターかしら。彼は肺と骨盤に銃弾を受け、約1時間後に息を引き取ったわ。
2012-11-09 21:05:13フェヒターが最初の犠牲者といわれているけど、実はそうじゃないの。1961年8月24日、当時24歳で亡くなったギュンター・リトフィーンが最初の犠牲者なのよ。国境が封鎖されて、わずか11日後のことだったわ。
2012-11-09 21:10:23リトフィーンは、シュプレー川を泳いで西側へ渡ろうとして、東側の国境警備隊に射殺されてしまったわ。東ドイツ政府は、ありもしない事実をでっち上げて、死者に鞭打つようなことをしてまで、彼を射殺したことを正当化しようとしたの。
2012-11-09 21:15:05次は、ベルリンと同じように、壁で分断されていた一つの村を紹介しましょうか。バイエルン州とテューリンゲン州の境にある「メドラロイト」っていう村がそれよ。
2012-11-09 21:25:07この村の中を流れるタンバッハ川は、1810年にバイエルン王国と弟系ロイス侯国との国境に指定されたの。弟系ロイス侯国は、1920年以降、テューリンゲンに編入されたわ。戦後バイエルンは西側に、テューリンゲンは東側に組み込まれた……メドラロイトは、東西ドイツの国境に位置していたわけね。
2012-11-09 21:30:161961年にベルリンの壁が建設されると、国境沿いの都市や村落にも壁が建設されたわ。そして1966年、国境に位置していたメドラロイトの北部と南部は、壁で分断されてしまったの。ベルリンのようにね。アメリカ人なんかは、メドラロイトのことを「リトル・ベルリン」なんて呼んでたわ。
2012-11-09 21:35:151983年、アメリカ副大統領ジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)がメドラロイトを訪問して、1963年のジョン・F・ケネディ大統領の「Ich bin ein berliner.」をもじって「Ich bin ein Mödlareuther.」と挨拶したのよ。
2012-11-09 21:40:07メドラロイトの壁は、1990年6月17日に撤去されたけど、その一部は、現在も野外博物館として展示されてるわ。分断時代の爪痕は確実に残ってて、テューリンゲンに属する北部とバイエルンに属する南部では郵便番号、市外局番、選挙区、学校区が違っているの。
2012-11-09 21:45:04最後に忘れちゃいけないのは、分断時代に市制750周年の記念式典があったことね。そこで日本の花火職人が『ベルリンの地上には壁はありますが、空に壁はありません。 日本の花火は、どこから見ても同じように見えます。 西のお方も、東のお方も、楽しんで下さい』と言って花火を打ち上げたの。
2012-11-09 21:50:35これは記者会見での言葉で、翌日の新聞にも掲載されたのよ。素敵よね。こういうのを日本語でなんていうんだったかしら……ええと、『イキなことをする』? この話は、日本でもテレビで紹介されたみたいだし、結構有名かもしれないわね。
2012-11-09 21:55:17当時、壁で遮られた西ベルリンのブランデンブルク門の前には看板が立っていて、「注意! 君は今、西ベルリンを去りつつあり」と書かれていたの。とてももどかしかったけど、今は何も気にせずに、自由に通ることができる。本当に嬉しいことだわ。
2012-11-09 22:01:02物理的に壁が壊されたのは、11月10日になってからのこと。でも、壁が存在する意味をなくし、国境が消えたのはこの日よ。あれから23年……20年後、この街はどんな姿をしているのかしら。少し怖くもあるけれど、とても楽しみね。
2012-11-09 22:10:05