昭和40年代の理念を体現した竹山団地(緒方昭義の仕事-建築設計という仕事)

@royterekさんのリクエストにより作成 自分の話だけだとつまらないので、前半に皆さんのつぶやきを入れて、後半で竹山団地をつくった神奈川県住宅供給公社のミニ歴史その他よもやまな私のつぶやきという構成にしました。
19

1.原武史『団地の空間政治学』に触発された @royterekさんの考察・別名「竹山音頭」

昭和54年竹山団地に竹山音頭完成http://takeyama.p1.bindsite.jp/profile.html

直立演人 @royterek

団地の空間政治学 (NHKブックス No.1195) 原 武史 http://t.co/NQydR1ZO ロンドンの日本語瓦版みたいな情報誌に同じ著者の『レッドアローとスターハウス: もうひとつの戦後思想史』とセットでレビューが載っていて、気になった本。私も団地生まれ育ちなので。

2013-01-13 09:01:53
直立演人 @royterek

「著者は全国の団地を訪ね歩き、自治会の記録などを読みぬいてきた。そして、団地という集住形態が、進歩的思想をはぐくむ温床となってきたことを探り当てたのである」(原武史『団地の空間政治学』 のアマゾン・レビューより) http://t.co/NQydR1ZO

2013-01-13 09:04:47
直立演人 @royterek

しかし、団地が「進歩的思想をはぐくむ温床となってきた」というのは、ある意味で当たり前と言えば当たり前とも言えるのではないか。というのも、団地ほど「地縁関係」が希薄な空間など、日本の歴史上、いまだかつてなかっただろうから。

2013-01-13 09:14:15
直立演人 @royterek

ただ、団地が「進歩的思想をはぐくむ温床となってきた」だけでなく、同時にほとんんど「政治的」とすら言えるような、過剰とも言えるノンポリ志向の温床にもなってきたのではないかということも、直感的かつ経験的に推察せずにはいられない。少なくとも私の家庭はそんな「ノンポリ家庭」の典型だった。

2013-01-13 09:19:07
直立演人 @royterek

私は1970年代初頭に生まれ落ちてから小学校高学年になるまでの時期を横浜市緑区にある某巨大団地で過ごしたのだが、今振り返ると、あたかも「ノンポリ性の温室」のようなところであったなあと思うのだが、一方で、実に「進歩的」ないし「革新的」な教育環境にあったなあ、とつくづく思うのである。

2013-01-13 09:24:18
直立演人 @royterek

他の地域がどうだったのか全然知らないのだが、私の暮らした教育環境においては、君が代や日の丸といった存在は、文字通り、まったく存在しないに等しかった(ので、幸いにして、いまだに一度も強制的に歌わされたことがない)。それから、教室に『はだしのゲン』が置いてあったのも、もしかすると…。

2013-01-13 09:27:54
直立演人 @royterek

私は横浜生まれだが、両親ともに典型的な「流れ者」で、父親は愛媛、母親は宮城で、事実上の「故郷喪失者」(ただしトラウマと呼べるようなものもない)のような人たちだった(である)。1970年代前後に都会の郊外という郊外でつくられた団地には、似たりよったりの流れ者が集まったのに違いない。

2013-01-13 09:42:23
直立演人 @royterek

同じ団地世代と話していて発見したのは、団地というのは、その領域全体がひとつの遊び場、すなわち、みんなの共有財産であった、という不思議な感覚である。一戸建ての家の真ん前で別の家の子が遊ぶことはないが、団地の子であれば、どの団地の前であれ、後ろであれ、気兼ねする子は一人もいなかった。

2013-01-13 10:20:06
アラタ【No Nukes】 @T_Arata

生まれてから小学校に上がると同時に奄美へ移るまで、尼崎センタープール前の団地住まいだったが、夜中にロケット花火がベランダに飛び込んだり、脳性麻痺のお兄ちゃんが階段の前に放置されてたり、競艇でオケラになった見知らぬおっちゃんが電車賃借りに来たりと、いま思えばすごい環境だったな。

2013-01-13 10:55:22
アラタ【No Nukes】 @T_Arata

それでも、団地の中の築山を駆けまわったり、月に一度くらいくるポン菓子売りを楽しみにしたり、素晴らしい団地ライフではあった。

2013-01-13 10:58:32
直立演人 @royterek

よくも悪くも、団地ライフは何もかもが人工的だった。

2013-01-13 11:31:53
直立演人 @royterek

団地世代の団地ノスタルジーは相当なものだと察するが、そもそも団地自体がある種のユートピア的空間に他ならなかったのだから、ノスタルジーがひとしおなのもまったく無理はない。

2013-01-13 11:41:24
直立演人 @royterek

団地の「革新性」のひとつは、実際には当然あるんだけど、貧富の差がほとんど可視化され得ないことにあったのではないか。もっとも、よく見れば、団地によって高層だったり、エレベーターがあったり、部屋が狭かったりといろいろグレードはあって、それが貧富の差の指標の代わりになることはあったが。

2013-01-13 11:46:27
直立演人 @royterek

団地というのは、傍から見れば、どれも似たりよったり(というか造りが同じ)で個性がなく、どことなくモノトーンで社会主義的な(つまり否定的な)イメージをもたれても不思議ではないが、住民同士にはもともと地縁関係の存在する余地がなかったが故に、内部の多様性は著しく高い傾向にあったと思う。

2013-01-13 11:54:11
C.R.A.C. @kdxn

Photo: 私が育った団地。たしかにものすごい箱庭感。(via excite エキサイト : ブログ(blog)) http://t.co/Qo4DyUVg

2013-01-13 11:54:13
C.R.A.C. @kdxn

ところがそうでもないような気が。収入やライフスタイルの面で、ずいぶん画一的だったような。ものすごい貧乏もものすごい金持ちもおらず、みな子供は2人。RT @royterek: 住民同士にはもともと地縁関係の存在する余地がなかったが故に、内部の多様性は著しく高い傾向にあったと思う。

2013-01-13 11:57:34
C.R.A.C. @kdxn

@kdxn 中学になって団地じゃない部分にまで学区が広がり、貧乏人から大金持ち、在日外国人等いろいろな人がいることを初めて知った、という印象。ただし、年代や地域によって異なる。60〜70年代は市営や県営でもハイソ感あった。@royterek

2013-01-13 12:00:53
直立演人 @royterek

誰かが私の育った団地を念入りにレポートしてくれてるんだけど、自分の生まれ育った一番コアな空間が特にクローズアップされてて、さすがに気恥ずかしい。http://t.co/WMVZ8FHg 私の生まれた病院、私の住んでた棟、家、部屋、階段、両親の店(今は団子屋)、通ってた幼稚園等々…

2013-01-13 12:02:50
直立演人 @royterek

しかも、この人、大の団地オタクらしいんだけど、私の育った団地を、まるで「団地の中の団地」みたいに絶賛してくれていて、まるで自分が褒められているかのように誇らしい(笑)。http://t.co/WMVZ8FHg 

2013-01-13 12:04:59
直立演人 @royterek

「…団地の人工池を見ずして団地好きを語るなかれ」「小生団地好きを名乗っているにも関わらず、完全にノーマークでした。お恥ずかしい限りです」http://t.co/WMVZ8FHg 自分の生まれ育った環境なので殆ど「第二の自然」なのだが、言われて見るとたしかに相当風変わりな光景かも…

2013-01-13 12:12:34
直立演人 @royterek

「センターゾーンに必要な各種施設、全てこの人工湖に面するように配置され、近年話題になっているウォーター・フロントの良好な環境を形成している。生態系の完結した集合である水辺の自然を居住環境に取り入れた先進的な計画であり、このような人工湖を持つ団地は我が国にはまだ出現していない」

2013-01-13 12:27:09
直立演人 @royterek

「我が国にはまだ出現していない」…。まさかそこまでとは知らなんだ…。たしかに、この池の端っこには自然保全協会みたいな団体の仰々しい本部があって、子供心に、なんか仰々しくておっかないおっちゃんがいたような覚えも…。定期的に池の水が空っぽになって、干からびた池で鬼ごっことかしたなあ。

2013-01-13 12:31:08
直立演人 @royterek

今は高齢者ばかりです。@discusao:この団地は昔3ヶ月くらい通ったことがある。…1971年の理想的な団地の在りようみたいな設計が成されていて、1階吹き抜けエントランスと地階に当たる池に面した商店街及び遊園地等完成度が高かった。その理念は自分が行ってたとき既に寂れていたけれど

2013-01-13 12:33:21
直立演人 @royterek

1980年代前後にはすでに「全盛期」は傾きかけてましたね。@discusao:よく知ってます。駅から離れすぎで陸の孤島みたいになってますね。市の担当者と話したとき、彼がこの団地にプライドを持っていること、でも田園都市線と比べ横浜線は「都市つくり」に失敗したことを嘆いていました。

2013-01-13 12:42:21