たまこまーけったーその1 1話~6話まで
4話
たまこまーけっと4話を「多幸感」というキーワードを念頭に入れて見返しているけれど、やっぱりそうだな、冒頭の「暑いから脱いでもいい?」「こんなにかわいいのに」みたいに、マイナスをプラスで覆い隠す構造が明確に存在するな。
2013-02-03 01:51:29あのさー、こういうこと言うのもうすっごい野暮だって分かりきってるんだけどさー、たとえば銭湯で商店街のみんなが寄り合いをしたとき、みなさんにお茶出したりテーブルとお菓子準備したの誰って話なんですよ あれすごい誰も何の疑問も抱かずに女性の仕事になってる気がするんですよね そういうとこ
2013-02-02 17:24:17今井先生が「不文律としての女の仕事が~」みたいなことを言っててそれはそれで一理あるとは思うんですが、それはたまこのおとーちゃんがちゃんと自分で食器洗ってるシーンを無視した形になっててちょっと違うかなと思った。「そういう分担の方が上手く回る」という合理的姿勢と捉えていいと思うんだ
2013-02-03 02:01:11俺様は割と共同体の不文律とかおうちの事情の理不尽っていうのは維持の為の必要悪だとおもっとるのであんこに仕事が回ってくるのはそれほど悪辣な世界とは思わないんだなあ。それには、北白川家内でいえばおじいちゃんが折衷案出したように、調停者としての長老の存在が健全な運営には必要なんだけど
2013-02-03 02:14:13近代日本家族っていうのは商品生産の単位の側面があった。戦後の人権意識の発達とそれに伴う個人化(生活・家計運営ともに)によってその意義を失いつつあって、あんこが北白川家から離脱するのは権利としては当然だけど、商店街が旧来の生産共同体として未だに機能していることを無視してはならん
2013-02-03 02:20:49星とピエロのマスターの独白は、また商店街のお祭り騒ぎ=多数派が全会一致ではないという視聴者へのエクスキューズですね。大人の側にもそれには同調できないよみたいなものがあることを描いて、それは同時にあんこへの(4話では不遇な)態度が一定のものではないという意味にもなる
2013-02-03 02:32:32鼻に白粉つけて遊ぶ三人、ざっと見てこのシーン解釈二通りですにゃ。一つはまあお化粧と見て、自由恋愛の権利をもう持ってる女とまだ束縛される子どもという対比。もう片方はお遊び=お祭りには主体的に参加する(ここでは決してあんこにちょっかい出してない)強引に組み込もうとしないという態度
2013-02-03 02:35:58▼2013/2/7 1話時点ではたまこのことを「お化粧にはまだ早い」と考えていたのでここの解釈は明らかに矛盾してしまっています
だから「お化粧をされるあんこ姫」と「お化粧を手伝ってあげるあんこ」というのは、お化粧=恋愛の自己決定権として捉えると結構4話はすんなりいくんじゃないかな。
2013-02-03 02:37:21神輿の飾りの代用品にデラちゃんを利用するっていうのはギャグなんだけど、同時に神輿で担ぐに値するだけの霊的存在としてのデラちゃんみたいな見方は十分できますよね。異郷からやってきたデラちゃんにお餅(お供え物ですよね)を与えるのは折口信夫がいうまれびと信仰の構図そのまんまだし
2013-02-03 02:27:34たまこの歌う歌の正体が分かってもその歌のオリジナルをたまこが入手することはないと思ってる。時間の不可逆性を強く描いているから、たまこが覚えているお母さんの歌にたまこオリジナルを付け足して作る、というのが落としどころではないか。なんかTARI TARIみたいなことになってきたな
2013-02-03 02:24:24あんこの片想いにたまこだけ気付いていないシーンで「ま、それだけ鈍いとちょっと安心するけど」というみどりちゃん、わたしはこの意味は「もち蔵に生半可なアプローチされても気付かないから当面安泰だ」って捉えたんだけど、後輩のお姉さまは「秘めた思いがたまこにばれる恐れはない」と解釈したそう
2013-02-03 02:07:17デラちゃんっていうのは男前でさ、あんこが「あんって呼んで!」って言っても誰も取り合ってくれないのにデラちゃんだけは「あん」って呼んであげるんだよね。まるまる太った鳥だからコメディだけれど、これが人間ならキザな台詞がいちいちはまる憎い野郎になっとるんだろう
2013-02-03 01:58:22