@kunisakamotoがツダる「キリシタンと西洋古典」渡邉顕彦
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荒木トマスの書簡。日本でとらえられて棄教した人物。この人物の棄教前と棄教後の書簡がそれぞれ残っている。これらを比較すると…
2013-06-24 14:10:38なぜラテン語で学んだのか。トリエント公会議。典礼はラテン語。古代とつながった教会の伝統の強調。日本での神学教育が海外と直結していた。また日本人キリシタンと欧州から来た宣教師のラテン語を比較すると、どうも日本人たちのラテン語のほうがパフォーマンス性が高い(擬古典ラテン語使用)。
2013-06-24 14:13:51日本人キリシタンたちは自らの不安定な立場を古典に通じていることを示すことで補強しようとしたのではないか。
2013-06-24 14:14:40セミナリヨで寄宿生で10代の人々が集中的にラテン語を学んでいた。充実した教科書が用意されていた。実態としてはどうであったか?記録を見ると、日本人はラテン語をものすごくよく習得するという意見と、だめだこれという意見の両方をヴァリニャーノは述べている。
2013-06-24 14:16:48ちなみに17世紀のフランスの教育家は、「70か80人の生徒達のうち、少しでも[ラテン語学習の]成果が期待出来るのは2,3人であろう。残りはただ暇をつぶしているか、何も成果を挙げないまま自らを苛んでいるだけなのである」と書いている。
2013-06-24 14:18:18一部の日本人キリシタンが、それなりに高いラテン語運用能力を身に着けていたのは間違いない。彼らのラテン語は意識的に欧州の伝統に連なろうとしていた(そのため表現が凝っていたりする;伝統を踏まえた典雅なラテン語を運用できることを示す)。
2013-06-24 14:20:37おそらくラテン語の利用目的の一部は欧州へ向けたパフォーマンスの一部ではなかったか。この欧州とのつながりが切れたことにより、ラテン語学習への受容も消失したのではないか。これによりラテン語の知識が禁教により途絶えたことにも説明がつくのではないか。
2013-06-24 14:22:08質疑が続いています。現代語の用法が入り混じったラテン語文について。筆跡の見分け方について。とくに古文書をみての筆跡研究がこれからのキリシタンの研究の課題になるのではないかという展望。
2013-06-24 14:33:12