中田考氏が解説する「スンナ(スンニ)派とシーア派」 &エジプト情勢

ウィキペディアより/中田考(なかたこう、1960年7月22日 - )は岡山県出身のイスラーム学者・実業家。専門はイスラーム学ならびにイスラーム地域研究。哲学博士。元同志社大学神学部教授。 元日本ムスリム協会理事。株式会社カリフメディアミクス代表取締役社長。ムスリム名はハサン。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%94%B0%E8%80%83 twitterプロフィールより 中田考@HASSANKONAKATA イスラーム学徒、放浪のグローバル無職ホームレス野良博士ラノベ作家、「カワユイ(^◇^)金貨の伝道師」、「皆んなのカワユイ(^◇^)カリフ道」家元。イスラームの話は殆どしませんが、全てはイスラームの話です。聖地ネオ・シャーム · bit.ly/9S1NHG
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本題前の解説

中田考 @HASSANKONAKATA

現在のスンナ派社会勢力は大きくわけて(1)伝統派(2)サラフィー(3)同胞団系に3分される。 【私見では近代主義という勢力を別途考える必要はない。彼らには何ら独自のイスラーム解釈はなく、単純にご都合主義で自分の気に入らないイスラームの教えを守らないだけの「引き算」しかないから】

2013-06-30 03:25:59
中田考 @HASSANKONAKATA

(承前)伝統主義とは(1)神学においてアシュアリー派かマートリィーディー派(2)法学においてハナフィー派、マーリキー派、シャーフィイー派、ハンバリー派のいずれかの学派に属し(3)ジュナイド/ガザーリー系の中庸のスーフィー教団に所属する「中世」の伝統に忠実たろうとする学問的態度

2013-06-30 03:34:05
中田考 @HASSANKONAKATA

基本的にはサウジアラビア、カタルを除き、今日のスンナ派イスラーム世界では、公教育、民間教育を問わず、初等教育から高等教育まで俗人の子供から専門家(ウラマー)の卵まで、この伝統主義のカリキュラムを下敷きにした教科書を用いてイスラームが教えられており、伝統主義が最大勢力

2013-06-30 03:40:03
中田考 @HASSANKONAKATA

サラフィーとは神学、法学、スーフィズムの中世的伝統の拘束性を否定し、啓典クルアーンと預言者ムハンマドの言行スンナを個々の信徒が直接に参照すべきとの立場で、反神学、反法学、反スーフィズムだが、歴史的に特にスーフィズム、中でも聖者崇敬、聖廟参詣を不倶戴天の敵とみなし激しく敵対する。

2013-06-30 03:51:58
中田考 @HASSANKONAKATA

(承前)サラフィー主義は、サウジアラビアが教義として「公定」し、初等教育から高等教育まで公教育でも教えており、また豊かなオイルマネーに支えられて世界中に広めているため、サラフィー主義の一分派であるワッハーブ派と同一視されることもあり、そう理解しても大過ないとも言える。

2013-06-30 04:10:29
中田考 @HASSANKONAKATA

しかし、ワッハーブ派とは自称ではなく他称であり、しかも蔑称であり、言葉が独り歩きしており、往々にして出鱈目な用法がされており、要注意。サラフィー主義と区別して用いる場合は、名祖ムハンマド・ブン・アブドルワッハーブとイブン・サウードの盟約に則る政治思想を指して使うべき。

2013-06-30 04:17:18
中田考 @HASSANKONAKATA

ワッハーブ派については以下の拙稿参照。→ 「ワッハーブ派の政治理念と国家原理 -宣教国家サウディアラビアの成立と変質-」http://t.co/IzavaBrxQi   「サウディアラビアとワッハーブ派の政治経済理念」http://t.co/rL3kGj79u2

2013-06-30 04:18:22
中田考 @HASSANKONAKATA

(承前)同胞団は、神学、法学、スーフィズムの「中世的」伝統を否定する点においては、サラフィー主義と同じだが、20世紀初頭に生まれた近代主義社会改革運動としての出自から、 社会改革を志向し、 そもそも狭義の教義学に関心が薄く、その点でスンナ派超正統主義のサラフィー主義と一線を画す。

2013-06-30 04:27:17
中田考 @HASSANKONAKATA

(承前)同胞団はほぼ100%アラブ人(チュニジアのナフダやギザのハマスも)のみからなるが、非アラブのインド亜大陸のジャマーアテ・イスラーミー、インドネシアのPKS、マレーシアのPAS、トルコではミッリー・ギョレシュ、現在はAKPと緊密に連携しており、これらを同胞系と総称しうる。

2013-06-30 04:35:43

   ここから「本題」

中田考 @HASSANKONAKATA

やっと本題に入ります f(^_^;) なぜ延々とこういう話をしているのかと言うと、イラン/シーア派とスンナ派の話をするためです。 ちょっと休憩 m(_ _)m

2013-06-30 04:40:23
中田考 @HASSANKONAKATA

【再開な】概して言えば、20世紀において、スンナ派とシーア派は棲み分けが完了しており、教義的にも社会政治的にも激しい対立は生じませんでした。レバノン内戦は成る程宗派対立だったが、マロン派キリスト教徒、ドルゥーズ教徒も巻きこみ対イスラエルの側面も大きくスンナ/シーアの対立は二次的。

2013-06-30 05:04:07
高卒派遣社員 @hidari_s

勉強になります!“@HASSANKONAKATA: やっと本題に入ります f(^_^;) なぜ延々とこういう話をしているのかと言うと、イラン/シーア派とスンナ派の話をするためです。 ちょっと休憩 m(_ _)m”

2013-06-30 05:05:32
中田考 @HASSANKONAKATA

情況が変化したのは1979年のイラン・イスラーム革命。イランの革命輸出をシーア派の革命輸出と捉え、サウジアラビアは元々超反シーア派のワッハーブ派を動員して反シーア派プロパガンダを世界的に展開。これ以降、特にパキスタンではスンナ派とシーア派の衝突が頻発するようになる。

2013-06-30 05:11:26
中田考 @HASSANKONAKATA

国民の多数派がシーア派の隣国イラクでは、当時は世俗主義を謳っていたバアス党サダム・フセイン政権は、世俗主義とアラブ民族主義の立場で、イランの革命輸出をペルシャ帝国主義と規定して対抗。

2013-06-30 05:18:36
中田考 @HASSANKONAKATA

当時のシリアの(父ハーフェズ)アサド政権は同じ世俗主義バアス党の内紛で対立していたイラクと対抗するために、イランと同盟。これ以降、サラフィー主義者は、シリアのアサド政権(エスニックにはシーア派アラウィー分派)をイラン(シーア派12イマーム派)の支配下のシーア派とみなす傾向が定着。

2013-06-30 05:28:05
中田考 @HASSANKONAKATA

ムスリム同胞団は、狭義の教義に拘泥しない社会改革運動として、ホメイニ師に使節を送るなどしており、親イラン・イスラーム革命であったが、それはサラフィー主義者の目には親シーア派と映った。情況が悪化するのはアメリカのイラク侵略によるサダム・フセイン政権崩壊後。

2013-06-30 05:40:58
中田考 @HASSANKONAKATA

サダム・フセイン政権崩壊後、イラクは本格的な宗派対立に突入。現在スンナ派サラフィー主義のイラク・イスラーム首長国が、イラク政権をシーア派イランの傀儡として内戦中。シリアのヌスラ戦線はこのイラク・イスラーム首長国からのシリア人帰還兵が立ち上げたもので、徹底した反シーア派。

2013-06-30 06:02:47
中田考 @HASSANKONAKATA

同胞団は反シーア派色は薄く、事実エジプトでは、イラン革命後初めてエジプト人大統領としてムルスィがイランを訪問し答礼でイランのアフマディーネジャード大統領がエジプトを訪問した。これは同胞団の親シーア派性の証左と見做され、普段不仲なサラフィーと伝統主義のアズハルが連帯して反同胞団化。

2013-06-30 06:10:19
中田考 @HASSANKONAKATA

無知な西欧や日本のメディアも研究者も全く報じていないが、現在のムルスィ政権が危機的なのは、「世俗派」の跳ね上がりのせいではなく、サラフィーとアズハルというエジプトの二大イスラーム勢力が揃って明白な反同胞団の姿勢を打ち出したからで、その主要な理由が前記の同胞団の「親シーア派性」。

2013-06-30 06:17:05
中田考 @HASSANKONAKATA

ところが 同胞団が引き起こしたとされる1982年の「ハマ暴動」で数万人が虐殺されたシリアでは全く事情は異なり、同胞団はアサド政権と敵対的である。同胞団の最高指導者と目されるユースフ・カラダーウィーはエジプト人ながらシリア内戦当初よりアサド政権打倒を訴えていた。

2013-06-30 06:35:09
中田考 @HASSANKONAKATA

レバノンのヒズブッラーがアサド政権側に立ってシリア内戦に参入すると、カルダーウィーはヒズブッラーを悪魔の党と呼び、はっきりと反シーア派に転向した。アラブのスンナ派の中心のエジプトでは既述の通り二大イスラーム勢力サラフィーと伝統主義の牙城アズハルははっきりと反シーア派化していた。

2013-06-30 06:37:16
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