悪い男に騙される山城【二章三日目】
当たり前と言えば当たり前なのだけれど、貧血気味だった。 ドッグまでの道を歩き切れずに鎮守府中央の広場のベンチに腰掛ける。 まだ日は高くないのに日光が辛い。 手の中にあるパックの野菜ジュースのストローを咥えて、飲み掛けの残りを啜る。 溜め息が自然と漏れた。
2013-10-08 08:41:56行き交う人達の視線が痛い。 それもそうよね。自嘲するしかない。 左肩より先を全て包帯に隠して、腰には刀なんて差している。衣装は上下共に皺だらけで、何よりも血の跡が点々とセンスの無いアクセントとなっている。左袖に至っては点々とではなく違う生地を使いましたとばかりに別の色だ。
2013-10-08 08:57:21ここが鎮守府内で、自分が艦娘でなければ職務質問される事間違いない。 艦娘でなければ。 艦娘でなければ、私はもっと違う私になっていたのだろうか。 ストローの先を噛む。 艦娘でなければ日向は死なずに済んだのだろうか。 空のパックを口から離す。
2013-10-08 09:10:27襟首を掴まれ、立ち上がらされた。 至近距離で睨まれる。レンズの奥に見える瞳からは怒り以外の感情を伺えない。 普段からは想像もつかない霧島さんの形相に少しだけ怯む。 急に立ち上がれば、今の私は立ちくらみを起こす条件を満たし過ぎている。相手の顔と背景が色を失って揺れ狂う。
2013-10-08 17:34:12こっちの具合の悪さにおかまいなく、霧島さんが口早に怒鳴る。 日向の名前が出た。昨日の今日でと聞こえた。朝帰りはご立派らしい。服の事は言わないでほしい。うん、わかった、霧島さんの言いたい趣旨は大体理解できた。 が。 榛名を苦しめて? 私が? いつ? 私がいつ榛名を苦しめたんだろう。
2013-10-08 17:41:30まだ視界が安定しない。気持ち悪くなるのも間もなくに違いない。 とりあえず落ち着いてもらおう。ゆっくり話し合うべきだ。でも纏まらない思考が文章を形成してくれない。揺すらないで、お願いだから。 怒声は止まらない。 榛名の名前が何度も出てくるけれど、日向の名前は一度きりなんですね。
2013-10-08 18:24:05目の前の霧島さんの口がぴたりと止まる。瞳にわずかに驚きを浮かべている。 それもすぐに元の、いやそれ以上の怒りに塗り潰された。 どうやら口に出していたらしい。 事実のはずなのに何故怒るのだろう。やっぱり今の彼女は冷静じゃない。 霧島さんは右手を平手打ちの発射位置に構えていた。
2013-10-08 18:28:55頬を叩かれる理由がまだ納得できていないけれども、その攻撃なら出血はしないだろうから少し安心する。これ以上血を失うのは遠慮したい。 彼に捧げる分が失くなってしまうじゃないの。 あぁ、でも、叩かれた後絶対くらくらするだろうな、嫌だなぁ。
2013-10-08 18:32:16数秒経っても、霧島さんの掌が私の頬に届く事は無かった。 彼女の手首を他者の手が掴んで止めたから。 ようやく明瞭さを取り戻してきた視界で、首をひねって振り返る霧島さんと一緒に、その第三者を特定する。 …。 あんまり第三者じゃなかった。 凛と立ち、私達を見詰めているのは榛名だった。
2013-10-08 18:38:22霧島さんが榛名の名を呼びかけて、言い切らない内に榛名の平手が飛ぶ。 勝手は許さない、という言葉を自分の名前を交えて言いながら、霧島さんの頬を1往復半回分叩く。 霧島さんの左手が私の襟を離してくれないものだから、私の躰も3回揺すられる事になった。膝の裏がベンチに当たって痛い。
2013-10-08 18:44:41彼女が両頬を押さえ始めたので、やっと私の襟が解放された。 泣き出しそうに潤んだ瞳の霧島さんを無視して、榛名が私に歩み寄る。 深々と頭を下げられた。背筋はぴんと伸びて角度も完璧な見事な一礼だった。 霧島さんの無礼を許すも何も、状況を何一つ理解できていないのだけれど。
2013-10-08 18:50:39私が立ち尽くしている間に、榛名が身を起こし隣の霧島さんに顔を向ける。ここから表情は伺えないけども、霧島さんが叱られた子供のような顔に変わるのは見えた。 何か言いたげに唇を震わせてから、しょんぼりといった雰囲気で私に頭を下げてくる。うーん、だから謝られても困るんだってば。
2013-10-08 18:55:50榛名を眺めていると、いつもと違う点を一箇所見付けた。 左手包帯が痛々しく巻かれている。通常の怪我程度では不必要な程の量の生地を使用している。普通に大怪我と言えるに違いない。 見詰めていると、腰の後ろに隠された。 …なんとなく既視感を覚える。
2013-11-23 05:22:13ねぇ、榛名。 はい。 どうして嘘をついたの? …嘘、ですか? 榛名は否定したけども、こないだ資材庫にいたよね? …。 …そうで…そうね、そして貴女に見付からないように身を隠したわ。 …そう。 …それと、買い物帰りかと聞いたら肯定したけども、あの夜水上公園にいたのよね?
2013-10-08 19:06:53榛名はしばらく答えなかった。背筋を伸ばして、まっすぐに私を見据えてくる。 何か考えてるようにも見えるし、こうなる事をわかっていて既に答えを用意してあるようにも見えた。 何の話かわからない様子の霧島さんがおろおろと、私と榛名とを交互に目線を向けている。
2013-10-08 19:11:32ええ、いたわ。山城も同じ場所に呼び出されていたのが私の予想外だった。 …そうなんだ。 それで? どうして嘘をついたの? …山城、まずは聞いてほしいの。 答えて。 山城、貴女は…。 答えて。 …。 …今はまだ話せない。 そっか。わかったわ榛名、答えてくれてありがとう。
2013-10-08 19:20:27微笑んでみせる。 榛名の頬を汗が一雫伝うのが見えた。 信じる。私は榛名を信じる。榛名は嘘を吐いていない。今まで嘘を吐いていたのには何か深い理由がある。そう感じた。それを信じる。だから次の質問にも正直に答えてくれる。ただの私の直勘だから否定されるかも知れない。いや、して欲しい。
2013-10-08 19:29:57今日初めて榛名が動揺を見せた。 息を呑む音が聴こえた気がする。 当然の事かも知れない。さっきの2つの問いと違って、これは実際に私が目にした現実を基にしていない。推測ですらなく、本当にただの勘だった。そこに辿り着くに至る要素を深層心理で感じていたのかも知れないけども。
2013-10-08 19:35:30榛名の言葉に感情と視界が一瞬どろりと黒く濁る。 ダメ。 自制して落ち着く為に深く息を吐き出す。 榛名の誠意に応えないと。
2013-10-08 20:21:23