「人物重視の大学入試」を、AO入試の現状から考えてみた

大学入試の評価基準を、学力調査から人間力を重視したものに変える、という方針が発表された。ネットでは多くの人が反対のようですが、すでに「人物重視」の入試として一定年数実施されているAO入試の現状から、この是非について考えてみました。
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Masaru Yoshikawa @masalfi

斉木さん、おめでとうございます。 RT @sora_yohei: 【感謝】慶應義塾大学法学部FIT(AO)入試のAO義塾からの最終合格者が「80名」を突破しました。

2013-10-11 11:26:28
Masaru Yoshikawa @masalfi

「AO義塾」という慶應のAO入試(法学部はFIT入試という名称)の専門塾がある。今年第3期の卒業生を出したのだが、創業者は現在、慶應の大学3年生。

2013-10-11 11:27:54
Masaru Yoshikawa @masalfi

AO入試の特殊性と慶應ブランドの強さと普遍性に注目したビジネスということになるが、大学入学直後の学生が、先駆者のいない分野に賭けて勝負するというのは、並大抵のことではないと思う。

2013-10-11 11:32:40
Masaru Yoshikawa @masalfi

今年はついに法学部のFIT入試については、定員の50%を占めるに至った。これは本当に凄いことなのだが、やはり1つの疑念も生じる。「人物重視」であるAO入試に、「人物を評価してもらうためのスキル」を教える塾が出来、たった3年で大きな成果を出してしまったということそのものの是非だ。

2013-10-11 11:36:07
Masaru Yoshikawa @masalfi

私もAO義塾に生徒を紹介したりしていて、彼らから話も聞いている。AO義塾は、かなりしっかりとFITおよびAO入試について研究している。どういった生徒が合格しやすいか(=望まれているか)、どういった志望書が良いか、どういった事をしゃべれば良いか….etc

2013-10-11 11:39:15
Masaru Yoshikawa @masalfi

誤解されやすいのだが、彼らは、単に「人間力がある生徒」に見えるようなスキル、手練手管を教えているだけ、ではないと思う。重要なのは「FITやAOで評価される人間像の表層の部分」を教えるうち、内面もそのように変化するケースが少なくないということだと思う。

2013-10-11 11:42:00
Masaru Yoshikawa @masalfi

最初は、「AOやFITで合格するためのスキルを学んで、オイシく慶應に入っちゃおう」と思って対策する生徒も、そのうち本当に人間力らしきものもついてくるという、そういう面もあるのではないだろうか。

2013-10-11 11:43:40
Masaru Yoshikawa @masalfi

そんなわけで、大学入試が「人物重視」になっていくこと自体に、私は実はそれほど反対ではない。「他者(大学)に評価されるような人物を装おうとしたら、本当に評価されちゃう人物になっちゃう」ようなシステムであるのなら、それは価値があると思う。

2013-10-11 11:47:40
Masaru Yoshikawa @masalfi

学力試験による入試だって、本来は「大学に合格しようと思ったら、知力や学力がついて、研究者として優秀になった」というものを目指したはず。が、現実には「大学入試が終わったら、すべて忘れてもいい」ような知識やテクニックのオンパレードになった。

2013-10-11 11:49:13
Masaru Yoshikawa @masalfi

人物重視による入試も、「大学に評価されようとして、入試のときだけ表層を装う方法が出来た。入試が終わったらすべて忘れても大丈夫」になってしまったら…というのが、反対している人の多くの感覚だと思う。だから、まぁどっちも同じというのが私の考え。

2013-10-11 11:50:55
Masaru Yoshikawa @masalfi

慶應のFIT入試やAO入試は、その点で(いつの間にか人間力らしきものがつく人が、一定割合でいるという点で)うまくいっていると思う。東大や京大の入試も、学力をつけようとしたら考える力もつく、という点でうまくいっていると思う。

2013-10-11 11:52:15
Masaru Yoshikawa @masalfi

結局は運営する人(団体)次第、という当たり前の結論になってしまうのだが、一つ確実なのは、人を評価して選ぶのに、楽をしてはいけない、ということだと思う。「あ、国の仕組み(一次試験)に乗っかれば、入試問題を作らなくていいのか」などという発想をする大学は、どちらにしろダメだろう。

2013-10-11 11:54:57
Ken @Ken_November

@masalfi おっしゃるように、受験の形式自体に良否があるわけじゃなくて、どの形式でも評価する方針や基準が問題なのかもしれませんね。受験生というよりむしろ大学側が、どうふるい分けを知的にデザインできるかが問われているのかも。

2013-10-11 11:55:26
よねさん @Gitanes_9

@masalfi これが没個性になるとは別に思わないんですが、何か生きづらそうだなあとふと思いました。方法論をもって評価される人物像を学び、結果優れた人物になれる人って、今の教育システムでもある程度勉強が出来る層ではないかなと思うのです。

2013-10-11 12:06:33
Masaru Yoshikawa @masalfi

@Ken_November AOは様々な大学で実施されているのですが、単なる青田買いになっているケースが多数あります。第一義とするのが「本当に大学でやりたいことがあって、そのために学びたい生徒を多く入学させる」なのと、「一定数の学生を確保する」なのとでは大きく違うように思います。

2013-10-11 12:09:51
Masaru Yoshikawa @masalfi

@Gitanes_9 その通りだと思います。入試システムが変わっても、合格する人の多くは重複するのではないかなと思います。

2013-10-11 12:11:47