さて、それではお店の方もひとまず落ち着いたみたいですので。 それでは、本日の #鳳翔の艦娘講座 を始めたいと思います。 何時もの様に拙いお話ではありますが、酒の肴・寝物語と聞いて頂ければ幸いです。 本日の艦娘ちゃんは「ぱんぱかぱーん!」、重巡洋艦・愛宕さんです。
2013-11-05 22:25:55なお、艦これ的に見た「今の」愛宕さんは、3代目さんにあたります。 ですので、何時もの様に初代さんから紹介したいと思います。 ・・・ですが、愛宕さんは実に「4代」さんまでいらっしゃいます。今日中に講座が間に合わない場合は、明日に分けて紹介をさせて頂きます。
2013-11-05 22:27:10初代の愛宕さんは、摩耶型砲艦4人姉妹の3女さんとして建造をされました。 摩耶型砲艦は、1883年と云いますから、明治16年ですか。そんな時代に建造をされた砲艦です。 当時建造には国内の民間造船所が活用をされまして建造が行われています。
2013-11-05 22:30:16同型艦には摩耶さん、鳥海さん、愛宕さん、そして何と赤城さんの4人が名前を連ねています。 当時はこの4人が姉妹だったのですね。 また、この時期の艦の特徴として、丁度船体が鋼製船体へ移行する時期だったため、摩耶さんと鳥海さんは鉄製、愛宕さんは鋼製木皮、赤城さんは鋼製船体となりました。
2013-11-05 22:33:06さて、初代愛宕さんですが。 1886年7月に起工、1887年6月に進水、1889年3月に就役をします。 1890年8月に第一種と艦種指定をされます。 詳細な活動記録が乏しいのですが、日清戦争においては旅順・大連・威海衛攻略作戦等に参加をして居ます。
2013-11-05 22:35:071898年3月、二等砲艦に類別変更。 また、北清事変(義和団の乱)においては1900年6月から4ヶ月にわたって活動をして居ます。 1904年2月、日露戦争が勃発をしますと、1904年8月の旅順攻略作戦に参加をします。
2013-11-05 22:37:17そのさなかの1904年10月、哨戒任務に向かう途中、北隍城島と南隍城島の間に於いて座礁、沈没をしてしまいました。 沈没の事実は翌年1905年6月1日まで伏せられていましたが、これは以前にもありましたが沈没した事実を知られて不利になる事を防いだためと思われます。
2013-11-05 22:39:19初代愛宕さんの諸元ですが。 全長47m、全幅8.2m、常備排水量614トン、速力11ノット。 当時は石炭燃料の時代で、燃料に石炭を60トン積載が可能でした。 21cm砲1基、 12cm砲1基、 25mm4連装機銃2基、 を装備していました。
2013-11-05 22:41:04続いて、2代目の愛宕さんです。 2代目の愛宕さんは、巡洋戦艦になる「予定」でした。 と云いますのも、2代目の愛宕さんは天城型巡洋戦艦4人姉妹の3女として建造される予定だったのです。
2013-11-05 22:43:19天城型巡洋戦艦さんにつきましては、天城さんの紹介などで登場をしていますので、ここでは省かせて頂きます。 簡単におさらいをしますと、八八艦隊計画の基幹をなす巡洋戦艦として計画・建造を開始されたのですが、ワシントン海軍軍縮条約の締結に伴って計画は破棄、建造は中止となった艦型ですね。
2013-11-05 22:45:19天城型の姉妹さん達は、天城さん、赤城さん、愛宕さん、高雄さんが名を連ねていました。 このうち天城さんは空母改装中に関東大震災で大破、解体処分となります。赤城さんは空母に改装をされ、活躍をしていきます。
2013-11-05 22:46:41さて、その2代目の愛宕さんはと云いますと。 1921年11月、川崎造船所で戦艦加賀さんの進水後の船台を使って起工されますが、条約締結に伴って1924年に建造を中止。 1925年に解体処分となりました。
2013-11-05 22:48:202代目愛宕さんが完成をしていた場合の諸元ですが(天城型)。 全長252.37m、全幅32.26m、常備排水量41200トン、速力30ノット。 41cm連装砲5基10門、 14cm副砲16門、 12cm高角砲4門、 61cm水上魚雷発射管8門、 を装備の予定でした。
2013-11-05 22:50:10では続きまして、艦これ的に見て「今の」愛宕さんです。 3代目になります今の愛宕さんは、高雄型重巡洋艦4人姉妹の次女として建造をされました。 高雄型重巡洋艦につきましては、鳥海さんや高雄さんの講座の時に紹介をしましたので、ここでは省略をさせて頂きます。
2013-11-05 22:52:36簡単におさらいをしますと、妙高型重巡洋艦の次に建造をされた、「書類上で」日本で最後の一等巡洋艦(重巡洋艦)として建造をされた艦型ですね。 妙高型の居住性の問題を解消しつつ、艦隊指揮能力を向上するために艦橋を大型化した、等の特徴があります。
2013-11-05 22:55:38さて、愛宕さんですが。 1927年4月に起工、1930年6月に進水、1932年3月に就役をします。 なお、完成が姉の高雄さんより早かった為、一部資料においては「愛宕型」と称する場合もあるみたいです。
2013-11-05 22:57:03就役後の1932年4月、当時の犬養毅首相を初めとした政府高官を乗せて東京湾を巡航すると云う大任を遂行します。 また、翌年1933年8月には、横浜沖で行われた特別大演習での観艦式において、昭和天皇陛下が乗艦する戦艦比叡さんの供奉艦も務めています。
2013-11-05 22:59:59更に1936年10月には、昭和天皇陛下が乗艦をされ、江田島に入港、兵学校の行幸を行っています。 とまあ、デビュー戦はかなり派手に飾って居たようですね。 1938年4月、近代化改装が行われ、1939年10月に完了。 1941年10月に、摩耶さんに変わって第2艦隊旗艦を務めます。
2013-11-05 23:04:21ここで注目すべきは、第2艦隊には金剛さん、榛名さんが居たにもかかわらず愛宕さんが旗艦を務めている、と云う所でしょうか。 ある話では、その大きな艦橋が提督さん達に好評で、旗艦として選ばれたと云うそうです。
2013-11-05 23:06:19太平洋戦争開戦時はその第2艦隊を率いて、南方作戦に従事、英国東洋艦隊と対峙をします。 東洋艦隊が航空戦力により排除された後、マレー作戦や蘭印作戦を支援します。 1942年2月、インド洋に進出。 以後4月までに駆逐艦1、スループ1、掃海艦1、タンカー1を撃沈、貨物船2を拿捕します。
2013-11-05 23:11:11ここで一旦前線任務を解かれ、帰国をします。 帰国後、1942年4月のドーリットル空襲では被害を受けず、急遽出撃をして米機動艦隊を捜索しますが、立ち去った後だったため発見出来ませんでした。
2013-11-05 23:14:171942年6月、ミッドウェー海戦に参加。 第2艦隊の護衛として参加をしますが、南雲機動部隊の壊滅をと撤退命令を受け帰国。その途中で航空攻撃で大破をした最上さんと合流をして居ます。 1942年8月、第2次ソロモン海戦に参加。 空襲を受けますが被害を受けずに済みます。
2013-11-05 23:17:31その後米機動部隊に水上戦闘を挑むべく進撃をしますが、米艦隊と接触出来ずに終わります。 その後もソロモン諸島東海域で活動を行います。 1942年10月、南太平洋海戦に参加。 この戦いでは米空母ホーネットを補足、撃沈に貢献をして居ます。
2013-11-05 23:20:281942年11月、第3次ソロモン海戦に参加。 米軍新鋭戦艦サウスダコタ・ワシントンと夜間砲戦を行います。 余談ですが、この戦いに関しましては何やら諸説混同と云う感じで、サウスダコタの撃破説に異論が出たりしていますが、ここでは主題ではありませんので取りあえず置いておきます。
2013-11-05 23:23:37この戦いで愛宕さんは高雄さんと共に雷撃を行いますが、魚雷信管の過敏反応の影響で命中前に自爆してしまいます。 その後は砲戦に移行。霧島さん達とサウスダコタを撃退しますが、愛宕さん自身も砲弾の命中を受けています。
2013-11-05 23:26:26