@gigir >王と天才は同一ベクトルなの? 最終的には違うけれども重なる部分も多い物です。この場合、カペタの持つ「皆が思わず協力してしまう。一番いいものを上げたくなる」といった作用なんかは「王」の作用ととらえてもいいと思います。「天才」の作用は純粋にドライビングの感性でね。
2010-02-14 16:51:43@LDmanken ミンミンの位置付けも含めて、なんのための助走をしているのか、というのがおぼろげに見えてきたかなという手応え。たぶんカペタが終わるまでは助走期間なんじゃないかとw
2010-02-14 16:53:54@LDmanken ボレロの時点では、単純に格下のシステロンのメンバーが昴に奉仕するという形だったけど、けして格下ではない共演者をも舞台の上で支配するあるいは引き上げる、そういう絵ですかね
2010-02-14 16:56:54@gigir ただ、まあこの場合、カペタも、昴も、いずれもまず「天才」とうか才能の指し示しによって道を拓かせてしまうイメージが強いので、特に「王」という言葉を持ち込まなくてもいいかな。
2010-02-14 17:00:57@gigir >遠く観客からは英雄に見え、近しき人には王に見え、しかしその本性は天才という。おそらくはそれが曽田先生が思い描く理想の昴。 良い表現です。
2010-02-14 17:02:25@gigir ただ、たとえば「英雄」には実は才能がなくてもなれるんですよ。才能が無いからこそなれる場合がある。また「王」のそれは“才能”と解釈する事もできるんですが基本は普通人だからこそ「王」になる物語もある。→
2010-02-14 17:04:48@LDmanken でもそれはそのほうが分かりやすいし描きやすいという話であって、天才でありながら王になる物語が描けないという話じゃないんですよね。だからこそ挑戦する甲斐もあるというものですし。
2010-02-14 17:08:48@gigir >天才でありながら王になる物語が描けないという話じゃないんですよね。 全くその通りです。…というか曽田先生が「究極の天才」あるいは「超天才」と考えていたとして、それをLD視点の「言葉」に直すと「天才にして王」となる事はあり得る事です。
2010-02-14 17:13:08