山本七平botまとめ/【戦場のほら・デマを生みだすもの②】/銃殺刑にされて然るべき残虐な行為(バターンの死の行進)を自軍兵士に対し行なっていた日本軍

山本七平著『私の中の日本軍(上)』/戦場のほら・デマを生みだすもの/80頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①…「日本軍敗北の原因は飯盆炊さんにあった」 と言った人があるが、私も、少なくとも大きな原因の一つだったと思う。 敗戦の原因は、横井さんのように、単純に兵器不足と考えるわけにはいかない。<『私の中の日本軍(上)』

2013-12-08 02:39:00
山本七平bot @yamamoto7hei

②由来「米食民族は戦争はできない」 というのが定説で、日本人はその例外だそうだが 「飯をたきながら、歩きながら戦争をする」 などという事は…お互いに米を食べている同士の戦争で初めて可能な事で、明治時代に既に奉天までが限度で、それ以上は無理だったわけである。

2013-12-08 03:08:54
山本七平bot @yamamoto7hei

③それが、日露戦争時代と変らぬ徒歩で、同じような三八式歩兵銃と背嚢をかつぎ、飯をたきながら東アジア全域を歩きまわるのだから、妄想にでもかられなければ出来ることではない。

2013-12-08 03:39:07
山本七平bot @yamamoto7hei

④しかし…今の日本ですら「百人斬り」が事実で通るのだから、当時の日本人が「飯を炊き、歩きながら、近代戦が行える」と信じていたとしても不思議ではない。 炊くと簡単にいうが、燃料まで持って…いる訳ではない。 そして燃料とは…案外ないものである。 特に長雨が続けば皆無といってよい。

2013-12-08 04:08:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤全てが終っても、全員が寝につくわけではない。 交代で衛兵と厩当番につく。民家に分宿できる場合も、大体一民家に四十人ぐらいが泊る。 …いわば「戦闘単位で一家屋」となるわけである。 いわゆる「ザコ寝」だから、三十畳に四十人も不可能ではないし、軍隊的基準でいえばこれが普通である。

2013-12-08 04:39:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥何しろ私がフィリピンに行くときの陸軍の輸送船は、船倉一坪当り七人(たたみ一枚に二人半)の割合で押込まれたが、それでも何とか生きていたのだから―― もっとも、これが「生きたまま人間を押込めておく限度」である。

2013-12-08 05:08:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦というのはナチの強制収容所のうち最もひどかったラヴェンスブリュック強制収容所の中の最もひどい部屋、 狂人一房(といっても「狂人と見なされた者」の一房だが)の押込み率がこれと同じで、これ以上になると人間は死んでしまうらしい。

2013-12-08 05:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧戦後発表された日本軍やドイツ人によるさまざまの虐待の記録を読むと、私はすぐに一人当りの床面積を計算してみるくせがついてしまったが、前記のラヴェンスブリュックの狂人房以外は、みな私よりも「優遇」(?)されている。

2013-12-08 06:20:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨従って一小家屋に四十人という率は、日本軍としては兵士を非常に大切にしている部類に入るのだろうが、これが少々ものすごい様相になる。 第一、何よりも困るのが便所である。 大体民家は一家族四、五人が住むように出来ているから、ザコ寝は出来ても便所があふれる。

2013-12-08 06:39:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩…従って屋外で「所きらわず」という事になりやすい。 こういう事の取締責任者は副官で、ずい分やかましく言うのだが、全員が下痢ぎみでは、この命令の遵奉は不可能に近い。 しかし人はまだよい。 馬となるとお手あげである。 馬の一日の排泄量は、普通の人の想像よりはるかに多い。

2013-12-08 07:09:04
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪行軍中は道に落してくるのだが、夜間は一カ所にたまる。 その量たるや、内地で厩当番をやった経験者ならだれでも知っていることだが、一個中隊で大体、大八車に三台ぐらいになる。

2013-12-08 07:39:24
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫…一万数千の人と何千頭かの馬が、おびただしい量の排泄物を残しつつゾロゾロと歩いて行くのが、当時の日本軍なのだから、その公害ならぬ黄害による「環境汚染」といえば、全く言語に絶するものになってしまう。

2013-12-08 08:09:30
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬従って、日本軍はハエの大軍に包まれて移動していたと言っても過言ではない。 普通のハエ、大きな銀バエ、アプ。 さらに入浴も洗濯もできない状態から当然発生するシラミ、ノミ。 それに南京虫、ダニ等々々。

2013-12-08 08:39:33
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭事実、「戦場には必ずシラミあり」は日本軍だけでなく、外国軍でも同様だったようで、アメリカ軍にはDDTのほかに、収容所でわれわれが「シラミ取り粉」と呼んでいた特別な薬があった。 しかし日本軍では両者とも皆無だからまさに害虫天国である。

2013-12-08 09:09:18
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮人間が休息すると同時に彼らは一斉に蜂起して大活躍を始める。 …実際…この「総害虫責め」はまさに拷間といってよい。 何しろ疲れ切った人間を寝させないのはこれぞ最大の拷間なのだそうだから―― 従って以上の全ての累積は本当に人間に耐えうる限度ぎりぎりの苦しみを強いるわけである。

2013-12-08 09:39:16
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯ところが、これらは日本軍の基準では普通の状態で、戦闘という極限状態でもなければ、敗退・全滅という最悪状態でもない、 日常の行軍なのである。 しかし世界的水準で考えれば、当時の世界でも、この状態そのものが、到底考えも及ばぬ残虐行為だったのである。

2013-12-08 10:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰それは「バターンの死の行進」によく表われている。 炎天下の強行軍で米比軍の降伏部隊がパタバタ倒れた。 「なぜ車両を使わず、かかる想像に絶する残虐行為をしたのか」 というわけで本間中将が銃殺刑になったわけだが、(続

2013-12-08 10:39:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱続>日本軍の基準ではこれが普通の状態で、日本兵自身が炎天下にパタバタ倒れながらの強行軍を強いられていたわけである。

2013-12-08 11:08:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑲従って当時の日本軍の将軍たちは、当時の世界的基準でみても、全員銃殺刑にされて然るべき残虐な行為を、日本軍の兵士に対して行なっていたことになる。

2013-12-08 11:38:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑳前章で 「日本の軍人は、日本軍なるものの実状を、本当に見る勇気がなかった。 見れば、誰にでも、その実体が近代戦を遂行する能力のない集団であることは明らかであり、従ってリップサービスしかしない社会の彼らに対する態度は、正しかった」 と書いた一因はこれである。

2013-12-08 12:08:57