高橋俊弥氏によるザナドゥ音楽制作話

高橋俊弥氏によるザナドゥ音楽制作話 ■関連 -古代祐三氏によるイース・ソーサリアン時代のファルコムの音源ドライバ話 http://togetter.com/li/621256
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高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

ファルコムのゲーム音楽は、ぼくが辞めた後に発展と成熟の時期を迎え、ひとつのスタイルを確立しました。今からすればビックリな話なんですけど、85年の『ザナドゥ』制作時、ぼくは、当時の言葉でいう「バリバリ」のテクノ青年でした。だから民族音階なんかも使ったりしたわけです。

2014-02-03 20:49:58
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@ume3fmp @Lindberg1999 その面では、どんなこともでも質問していただいた方が、筋道たてて書きやすいです…。

2014-02-03 20:57:00
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

そもそも『ザナドゥ』の音楽(以下「ザナ曲」と略)は、79年4月に高校へ入学し、当時のYMOが確立していた「テクノ」というジャンルの可能性に憧れ、ぼくもこんなのやってみたいと勝手に決意したひとりの青年(笑)の思いこみがルーツであったりします。むろん、一定の音楽的素養はありましたが。

2014-02-03 21:09:27
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

82年に高校を卒業した後、作曲科に進学しました。後年、当時の世代を「花のサンパチ組(昭和38年生まれにちなむ)」とか言ったりしましたが、先般、世界で最もリリースされたアニメ音楽(ナルトやプリキュア)を手がけたとして表彰された高梨くんは、日々のご飯を一緒に食べた同級生です。

2014-02-03 21:21:11
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

当時からメタル一本道だった高梨くんに対して、ぼくはテクノ一本道。この、わけわからん和声の使い方は何だろうかと、基調となる音を手がかりに、YMOの作曲技術をノートや小論にまとめていたところ、偶然、それを新譜ジャーナルという音楽誌の編集者が読み、すぐ契約社員として書き始めました。

2014-02-03 21:30:41
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

契約社員として原稿を書くことになったのが、83年の夏です。その年末、YMOは散開(解散)しました。キーボードマガジンという強力なライバルがいたのですが、ぼくはぼくの視点から、メンバー個々の楽器や各コンサートでのアレンジの違いなどを書き、YMOというテクノの勃興をまとめました。

2014-02-03 21:38:32
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

機械的、名人芸的な演奏をさせる、ということから人間を解放するテクノロジーとして、初期テクノは生まれました。これが初期ゲーム音楽につながります。しかし人間が機械的な音楽を聞き続ければ、人間的な音楽を聞きたくなるものです。そこで、人間的シーケンスの技術が生まれます。

2014-02-03 21:52:10
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

この「人間的シーケンス」の技術について、独学での限界を感じていたところ、音楽誌取材を通じて巡り会った佐藤博さん(ググってください)に、スタジオで実地に鍛えていただきました。音を出す、音を消すタイミングの積み重ねが、さまざまなリズム感の根源なんだよ、と。

2014-02-03 22:02:22
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

そういった経験から、アスキー刊『ログイン』でのPSG音楽講座の連載をしていたところ、立川にあるファルコムというソフトハウスが、新作はオリジナル曲を使いたいんだって、やってみない? と誘われ…ごめんなさい、アスキー本社があった青山からしたら当時の立川はホントに辺境に思えて…。

2014-02-03 22:10:00
teshima takashi a.k.a. Lindberg1999 @teshimatakashi1

@Hekmatya その時、高橋さんを誘ったのはログイン編集部の方ですか?

2014-02-03 22:15:03
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@Lindberg1999 初代ドラスレは、とても話題になったんですよね。でもパソコンの普及率が低かったらしく、実機でプレイできたのは少数派だったようです。そんな中、初代ドラスレの記事をたくさん書いてファルコムとのつながりがった先輩ライターから、ちょっと立川に行ってみない? と。

2014-02-03 22:21:11
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

で、ファルコムを訪ねましたが(21歳)、加藤さんをはじめ、木屋さん、宮本さん、山根さん、みなさん独自の世界観をもってらっしゃたんですが、誰もが音楽に疎い(加藤さんはこだわりがあったかな)という、今からは想像もつかないのが、ファルコムの最初期だったんですよね。

2014-02-03 22:31:21
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

むろん当時は、さまざまな制約がありました。あのペラペラなフロッピーに、ゲーム世界をバランスよく記録し、それを楽しんでいただくためには、容量上、音楽や効果音といった聴覚表現がしめる割合は、視覚表現をメインとするゲーム全体の割合に比べて低くなるものです。

2014-02-03 22:42:34
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

ところがファルコムさんは、その枠組みを破壊しにかかったわけです。つまり、ゲームにおける音楽の重要性を、いち早くつかみとって、どうにか表現しようとした画期が、ぼくの手がけた「ザナ」でした。そして後年の石川さんや古代さんが、その音楽性とハードの性能を存分に発揮し、名曲を残したのです。

2014-02-03 22:53:08
teshima takashi a.k.a. Lindberg1999 @teshimatakashi1

@Hekmatya ふと思ったので質問です。音楽に疎かったにも関わらず、枠組みを破壊しようとし始めたのには、そこに至るきっかけがあると思うのですが、その辺は覚えていますか?

2014-02-04 00:50:26
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

@Lindberg1999 ふたつの要因が考えられます。ひとつは、当時のファルコムがアップルのゲームを取り扱っていた関係から、国産ゲームよりも音にオリジナリティを求める気概があったこと。もうひとつは加藤さんが音楽好きだったこと(笑)。シナリオの宮本さんも、音効に興味ありでした。

2014-02-04 01:03:12
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

そうして誕生した「ザナ」の音楽は、実のところ、いま最も流布している88版系の音楽はオリジナルではなく、X1版が、明大前の六畳一間のアパートで誕生した「ザナ」のオリジナルです。3声では。旋律と伴奏というかたちを取れないので、中世の多声音楽を意識して創りました。

2014-02-03 23:03:57
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

補足。「明大前の六畳一間のアパート」ってのは、「ザナ」開発時の85年に住んでいた所です。ここから吉祥寺経由で立川のファルコムに通い、開発ブース内ですべての音を作りました。というのも、基本、ぼくは紙媒体のライターが本業だったので、当時高額だったパソコンを持っていなかったからです。

2014-02-04 11:49:58
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

まず「中近東ぽい音」というオーダーがありました。ふつうは漠然としすぎて通じないもんですが(笑)、YMOを通じて民族音階は高校時代から親しんでいたものですから、テーマ曲に関しては1発OKでした。

2014-02-03 23:15:56
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

そして、極めて特殊な旋律をこしらえたがために、これは初期のアレンジ版から言えることですが、旋律中の、ある音をめぐる解釈と変遷という、「ザナ」ならではの多様性を生むことになりました。あの一音は、ホントに編曲者泣かせだと思います。

2014-02-03 23:28:21
高橋俊弥(リハビリ中) @Hekmatya

そういう意味で、X1版「ザナ」こそが、ぼくの創ったオリジナルな世界なのですが、直後、FM音源版に書き換えなければならなくなりました。いや、実は大嫌いだったんです、アナログシンセのツマミ感覚に慣れていたので、DXシリーズの数値設定的なFM音源は「ああ、めんどい」と。

2014-02-03 23:37:32
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