件のアンネの日記事件から日本人を語るのはどうなの?…という話が通じなかった話
@toshi_fujiwara 僕はこの話題においてその批判の内容や対象については一切興味がありませんし、僕の主張は「批判の内容はともかく、現時点での報道の文脈でこの批判が出てくるのは論理の飛躍である」というものなんですが、そもそも論点が違うのをまだ理解していただけませんか。
2014-02-27 10:19:39@toshi_fujiwara @L1048576 それは誰しもではないでしょうか、という考え方もありますが客観的に見たとしてその考え方は正しいように思います。ただし屁理屈という点は非常に主観が篭っているので自分と違う理屈ということになるかと。新しい考えのご教授有難うございました
2014-02-27 10:26:59まとめ (議論について)
僕「AだってことになってるけどBかもしれないのに、Bは無視するの?そういう報道って駄目じゃないの?」
ヤバい人「お前はAだと都合が悪いのか!ネトウヨ!」(可能性に対する言及を個人的主義・思想の話に入れ替えた)
僕「いや、可能性があるってだけで、どちらとは」
ヤ「妄想乙!Aで当然!Bだと叫びたがる奴はアホだ!!!」(先に叫んだ方がイニシアチブを取る。「この人痴漢です!」の原理。同時に人格攻撃で反論対象を作らない)
僕「」
ヤ「外人が日本の本を破るのかよw」(主張の補強)
僕「いや外人だってそのくらいできるだろ」
ヤ「頭おかしいんじゃないの?日本人の方が圧倒的に多いんだから日本人に決まってんだろ!しかも、わからない言葉の本が並ぶ図書館に出入りする人間なんてほとんどいないのだから、日本語の本がある図書館に出入りするのは尚更日本人だろ!」(主張の補強、可能性の高いことを事実と見做す)
ヤ「しかも日本で起きた事件なんだから普通は日本人が犯人だろ!」(主張の補強、そもそも確率が高いというだけで常に成り立つわけではない一般論を無条件で適用)
僕「日本にいる外国人だったら日本語わかっても何もおかしくないだろ……」
ヤ「そこまで外国人のせいにしたいのか!ネトウヨ乙!妄想乙!!」(意見に対する反論を個人的主義・思想の話に入れ替えた)
僕「外国人のせいだとは一言も言ってない」
ヤ「見苦しいwww」(反論を「言い訳」として扱う)
僕「(気を取り直して)『普通は日本人が犯人』だとしても、この件でも実際に日本人の犯行だと確定するまでは断言するような口調や主張を報道番組で流すのは問題だ、と主張したのですが」(話を戻す)
ヤ「必死だwwますます見苦しいwwwそもそもお前みたいな非常識で幼稚な人間にケチつけられる報道関係者が可哀想だし、存在自体が迷惑なんだけどww」(文脈を動かさないことで主張をスルー、議論の場にいない他人を巻き込むことで否定を許さない人格攻撃、それに続けての存在否定)
(ここでフォロワー参戦。面倒になったのであとは補足を見られたし。)
まとめ (テクニックについて)
僕はかつて一度、似たような不毛な議論に巻き込まれたことがあったが、流れはその時と似ている。非常に興味深い。
どうにも、そういう人々は論理的な主張を悉く論理でない何かで潰してくる節があるので、その技術と正体を観察しようという動機で今回の議論を行った。
意図的かはわからないが、今回見られた技術を挙げていく。
事実と仮定の混同、指摘と主張の混同
まず、仮定(事実でないかもしれないこと、他の可能性があるということを認めたうえでの、ひとつの可能性の議論を行う)と前提(ある事実が話者・聴衆の共通認識であることを確認したうえでの事実に関する議論を行う)の混同。
そして、「客観的な考察・指摘を相手の思想・信条から来る主観的な意見だと見做す」こと。
この二つにより、「自分の主張と相容れない仮定をする人間を、敵対者として叩き、さらにはその思想・信条を通して人格攻撃する」という流れが生まれる。
レッテル
次に、カテゴライズやレッテル貼り。たとえば「A」というレッテルを貼ることで「彼はAだから馬鹿である、主張も間違っている」というように、自分で貼ったレッテル自体を根拠として(つまり実際には有効な根拠なく)相手の不当性を主張できる。
今回は「ネトウヨ」「アホ」「幼稚・子供っぽい」であった。
しかし「ネトウヨ」等にはレッテルとして使える対義語(「ブサヨ」とか?)が存在し、これを自身に逆に適用されてしまう可能性を考慮する必要がある。
件の彼はこのことを気にするほど頭が回らなかったのか、そもそも対義語がレッテルでないと考える人だったのか、単に僕がナメられていたのか、それは神の味噌汁。
第三者の権威
それから、「議論に参加していない・参加し得ない人を引き合いに出しての人格攻撃」。
これによって、攻撃された者が「そんなこと無い」という主張をできなくなり、したとしても「お前がそう考えること自体が自分勝手な証拠だ」という風に反論までもを自身の攻撃の補強材料とできる。
また「可哀想」「気の毒」「自分勝手」等の言葉は、自身の主観を用いての主張が可能であり、相手とその感覚が異なったとしても「非常識なお前がそう思っていても、社会では俺の感覚の方が正しいのだ」という主張によって一切の否定意見を却下できてしまう。
今回のケースでは
- 報道関係者が気の毒である
- フォロワーさんを巻き込むのは自分勝手である
という攻撃が行われた。
傍観者・観察者
「見苦しい」「必死だな」等、相手の意見や主張の内容に触れず、主張する行動そのものに言及する。
これによって、自身が議論の内容でのやりとりより一段上の(メタな)段階へ移行したことを主張し、いわゆる子供の「一抜けた」状態を議論において作り上げることを可能にする。
それでも相手が議論を続けようとする場合、「落ち着いている自分の方が大人であり、対する相手は子供である」という主張に繋げての人格攻撃が可能になる。
また、これは大抵の相手に「自分が下の段階にいる」という感覚をつきつけることにより焦りや圧迫感を生じさせ、結果として煽りの効果も得ることができる。
口喧嘩で不利になってから逃げる場合などにおいて非常に利用価値がありそうである。
殴られないならね!
最終的なまとめ
触らぬ政治活動家に祟りなし。
楽しむ余裕と時間がないのなら迷わずブロックしましょう。
あと、巻き込んだTLの皆様、フォロワーの皆様。
ご迷惑おかけしました。
もしかしたら今後も似たようなことを繰り返すかもしれないのでよろしくお願いします。