ゲーム作家・飯田和敏が振り返る「飯野賢治とアクアノートの時代、そして」
- tekken8810
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で、ゲームフリークと佐藤大さんの「パルスマン」などがあり、この道はそんなに間違ってないと確信した。KLFとthe orbのアンビエントテクノにハマり、それが「アクアノートの休日」に繋がっていくのだ!
2014-03-25 15:14:36アクアノート、そして飯野賢治との出会い
「アクアノートの休日」はプレイステーションが100万台を達成し200万台目指してる渦中にの時に20万本売れたという......、マジか!? 「アクアノート」アメリカ版の発売を後押ししてくれたのが内海さん。内海さんは後に、水口哲也さんと一緒にQエンタテインメントをはじめる。
2014-03-25 15:18:47アクアノートの休日(プレイステーション・1995)
飯野賢治と最初にあったのはこのあたり。「ゲーム批評」の対談だっただろうか。なんか知らんが対決ムードだったと思う。で、こういう成り行きを話したら一気に打ち解けた。「アクアノート」が環境ビデオの亜種からの発想だったら許さねー的なあれですよね。
2014-03-25 15:23:34僕が初めてプレイしたPSのゲームがこれなんです。 “@iidakazutoshi: 「アクアノートの休日」はプレイステーションが100万台を達成し200万台目指してる渦中にの時に20万本売れたという...マジか!? 「アクアノート」アメリカ版の発売を後押ししてくれたのが内海さん
2014-03-25 15:26:15「アクアノート」「太陽のしっぽ」をPSで出して、つぎの「巨人のドシン」を任天堂ハードでやったのは任天堂電通ゲームセミナーでのツマヅキがあったからです。江渡さんや今井さんと違いぼくはぜんぜん成果を出せなかったから。
2014-03-25 15:26:18太陽のしっぽ(プレイステーション・1996)
巨人のドシン(ニンテンドー64 DD・1999)
http://www.amazon.co.jp/dp/B00005YYCP/
※64DD版がなかったのでリンクはゲームキューブ版
絶好調だったPSからNintendo64、しかもDDという発売すら怪しかったハードで「巨人のドシン」を作ったのはそういう理由。飯野さんはまったく別のいきさつでモーフィング事件を起こしたのだけど、まあ同時期にPSから離れたので仲間意識はあった。
2014-03-25 15:31:01ゲームを作っている間というのは不安なものだ。それがウケるウケないのか、おもしろいのかおもしろくないのかわからない。で、ぼくや飯野さんはアウトな方向に舵を切るタイプ。そうした不安を共有していたと思う。取り返しようがないオカネと時間が使われていって、あーもう大丈夫か?大丈夫だよ
2014-03-25 15:36:07@iidakazutoshi ゲームなのに終着点がない!?っていう斬新なものだったので深く印象に残っておりました! その後大学で先生の授業を受けることができて嬉しかったです!まさかあのゲームを作った人が!?とビックリしました。
2014-03-25 15:36:36「巨人のドシン」を作れた背景にはメディアファクトリーのマリーガルマネジメントの存在が大きいのだが、それはまた別の機会に。ドシンに「エアーズアドベンチャー」の柴田賀盆さんが合流したことで、当時、サターンでちょーアヤシイ「バロック」というゲームを作っていた米光一成さんと会ったのだった
2014-03-25 15:46:20米光さんと言えば「ぷよぷよ」だよ!さらに「弟切草」の麻野一哉さんとも知り合い、これは「ふんいき語り」に発展する。縦に横にガシガシと人が繋がっていくありえない時代だったわ!
2014-03-25 15:48:49「文字だけのゲーム」「音だけのゲーム」「ゴールがないゲーム」など制限を課することで、ビデオゲームの概念自体を拡張しようとそれぞれがそれぞれの場所でがんばっていた。
2014-03-25 15:53:36暗黒時代→復活→そして現在へ
まー色々あって「巨人のドシン」の後、ぼくは虚脱状態に陥り、何年も新作が発表出来なくなった。このタイミングが飯野さんと一緒だった。時々こっそり会ってヤバイねー、とか言ってた。ふたりとも明らかに弱っていた。祭りの後の日常に打ちのめされ現実を知った30代半ば。
2014-03-25 15:58:41そんな暗黒時代でもどうにかこうにかやってこれたのは仲間の存在が大きくて。上田さんや桜井さんががんばっていいゲーム作っていたことが励みになっていた。「龍が如く」が登場したのもすごい勇気になった。当時、アウトサイダーの存在をゲームにすることは困難過ぎたのだ。2は特に名作!
2014-03-25 16:03:47そしてぼくは「ディシプリン調律帝国の誕生」で大復活をはたすのだ!その直前に、飯野さんと西さんと橋本長官がぼくのための宴会を開いてくれた。心に染みるやさしい夜だった。
2014-03-25 16:07:46回想するのはまだ早過ぎだし、これからもいろいろあると思うけど。ビデオゲームの可能性を追求してきた人々に通っている不思議な連帯感がbitsummitにはあって、それがちょー嬉しかった。その場所にkakexunを持っていけてよかったです。
2014-03-25 16:15:01[[モンケン:http://monken.jp/]]