2014年4月20日撮影、浪江町内写真
請戸の漁港へ向かう途中の写真(3) この辺りは、住宅地と畑が混在していたのではないかと思われる地勢。 http://t.co/8JGtZnMsGj
2014-04-21 18:05:24請戸の漁港へ向かう途中の写真(4) このがれきが所々に集積され、自動車が依然として放置されている光景は、1年半前の石巻や南三陸町の姿を思い出させる。それくらいの時間差があるのかもしれない。 http://t.co/VNAlTzEEFN
2014-04-21 18:09:16護岸から海を眺める。引き波で運ばれた車が一台、浜に。波に洗われるとすぐに腐食してしまう。合唱しつつ撮影 http://t.co/WAR65bq79x
2014-04-21 18:17:05砂浜にポツンと車のシートだけが立っているなんて、とても考えられない光景 http://t.co/C4lmxaCpsP
2014-04-21 18:21:19誰かの思い出かもしれないし、もしかしたら持ち主の方の情報にもなるかもしれないと思い、シートに付いていたハンカチ?の拡大写真を撮影しておいた。 http://t.co/eHPP4hhWWs
2014-04-21 18:25:18この近辺で誰かがお亡くなりになっていたのであろうと思わせる、供花の名残。津波被災地のあちこちに飾られている供花を見る度に、同じ思いに襲われる。 http://t.co/cHqA9Qt8zH
2014-04-21 18:40:37中はこんな感じ。津波の後そのまま、あるいは周囲の漂流物を無造作に放り投げられたままか http://t.co/iiaHjtMJAD
2014-04-21 18:49:44がれきの置き場、分別場になっている請戸小学校。これもまた、一昨年まで津波被災地のあちこちで見た風景。 http://t.co/owGOgX62Bf
2014-04-21 18:54:25あちこちに漁船が打ち揚げられている。きちんと立っている船体は、下に土嚢が積まれて支えとなっている。しかし3年も経過して、その土嚢自体が腐食し始めている。あと数ヶ月もするとこれらの船体も転倒しているかもしれない。 http://t.co/m3gh7v7jDe
2014-04-21 19:07:07原町火力発電所へ
浪江から足を延ばして原町火力発電所を見に行こうということになり、南相馬市の途中で見かけた菜の花。あちこちで咲いていた。地元の方か、ボランティアが植えられたのかなあ。 http://t.co/avFmTjm6UZ
2014-04-21 19:17:16宮城の仙台港辺りから、ずっと福島県の南にまで広がる津波被災地と同様な景観。どれだけのものが流されたのかと考えながら、いつも走る光景。 http://t.co/d978bGK5Mz
2014-04-21 19:24:36原町火力発電所脇の公園跡地。こんな中途半端な階段になっているのは、もちろん地震による陥没や津波によるもの http://t.co/kEj6C0WyQh
2014-04-21 20:39:53まとめ
道すがら話したことは、「何遍同じことを繰り返し訴えても、いずれは陳腐化し、記憶の風化を招くことになるのか」と。 祈りも思いも何もかも、そんな虚無的な現実を前にしては抗うすべもなく、ただ語り・撮り・残し続けねばならぬのかという道。過去の痕跡をどう捉えるかは、賛否両論別れる事だろう。
2014-04-21 20:05:28「過去の痕跡」としての記録や写真を残すべきという「ベキ論」で語ることは、根本的に違うのではないかと思っている。そのような過去の痕跡は「語られることを待つ」存在なのではないかと。語られ方、思われ方の自由を残す記録。慰霊と鎮魂も、その中にもちろん含まれている。
2014-04-21 20:17:47今、完全にがれきが撤去された仙台東部道路近辺を走ると、例えば若林ジャンクションのループ内にまで津波が到達し、自動車が転がっていたことを想像すらできない。あるいは何百人もの方が亡くなったに違いない現場の上を知らずに走っている。その痕跡をどう捉えるか。浪江町の光景とダブルのである。
2014-04-21 20:48:10