ろじたんの群れ(plural term)講座?

です
3
直毛/ジサツP/かんさん @Straaaaaaaaight

分配性と集団性って結構難しい概念だと思う

2014-09-16 01:16:27
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

これ、多分もうちょっと頭のなかで練りあげたらもっと簡単にかける気がする

2014-09-16 01:16:41
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

分配性と集団性は、ロジバンでその概念を知って、すぐロジバンで考える前に、数日ほど日本語で考えたほうがいいねー

2014-09-16 01:19:24

群れ談義

じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

(群れを理解させるためには、集合が個であることをねちねち説いてあげたほうがいいんじゃないかなと思っている)

2014-09-16 01:20:37
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

わかんないけど、ついこの前までの私の頭の中では「集合と思っていたものは実はかなり群れっぽかった」わけで、これはたぶん正しい集合のイメージをしていなかったってことだとおもう

2014-09-16 01:23:29
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

3つのりんごは赤いけど、3つのりんごからなる集合は赤くない

2014-09-16 01:25:59
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

2の倍数は偶数だけど、2の倍数からなる集合は偶数ではない

2014-09-16 01:26:17
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

集合はそれ自体ひとつの(数学的な)オブジェクトである。

2014-09-16 01:28:52
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

だからこそ、集合を要素とするような集合(族)がつくれるわけです。もちろん族もそれ自体ひとつのオブジェクト。

2014-09-16 01:30:59
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

集合は、要素をまとめあげるオブジェクトを「1つ」として数えるので、階層的なわけです。群れはそこが異なっていて、群れは要素をまとめあげるオブジェクトではないのです。群れという概念は、自然言語の複数形をそのままモデル化したもの、と考えてもいいかもしれません。

2014-09-16 01:33:34
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

この辺りまでの説明だとまだもやっとするわけですが、ここからウッとなるはず。集合はれっきとした個(1つのオブジェクト)なわけです。ということは?所属関係(∈)や包含関係(⊂)というのは、2つの個を引数にとる演算子です。もっとも、それぞれとる2つの値の組の型は異なりますけど。

2014-09-16 01:36:46

補足

∈は「要素」と「集合」という2つの引数をとる演算子です。
⊂は「集合」と「集合」という2つの引数をとる演算子です。
「要素」も「集合」もどちらも個(1つのオブジェクト)であることに注意。

じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

集合というのは、その要素とは異なる型をもつ1つのオブジェクトとして定義できるわけです。つまり、「何かの集まり」のために新しく袋を用意するように、型を作る。一方で、群れ(複数項,plural term)というのは、新しい型を追加はしません。ただし、今ある要素の型に修正をいれます。

2014-09-16 01:38:39
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

要は、今まで、termは個しか取り扱わなかったわけだけど、そうじゃなくて、複数のものをいっきに取り扱えるようなtermにすればいいんじゃん?とかんがえるわけです。個というのは、「1つの複数のもの」という「複数のもの」の特別な場合として解釈できるよね、と。

2014-09-16 01:40:37
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

てなわけで、plural logicの下では、型は修正こそされたものの、依然1つだけ(群れ, plural term)です。me (plural logicでいえば、 among, A)は2つの群れを引数にとる演算子です。

2014-09-16 01:42:23
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

素晴らしいこと(?)に、集合論では2つの型があったために「∈」「⊂」という2つの演算子が必要だったわけですが、plural term採用の下では型は1つのために対応する演算子は1つで十分ということになります。(誤解を産むかもしれないが)meは「∈」でも「⊂」でもあるわけです。

2014-09-16 01:44:23
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

これを言い換えると、「集合論では x と{x}は異なるものだったが、群れの場合はそうではない」となります。

2014-09-16 01:46:00
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

ということは、群れを理解するためには「xと{x}が異なるものだ」ということをきちんと理解しておけばよいということです。もし、xと{x}がなんで異なるんだろう?と疑問を抱いたことがある人は、きっと私と同じです。あなたの『集合』観はきっと『群れ』寄りです。

2014-09-16 01:47:32
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

事態は非常にシンプルです。数学は、「ものの集まり」というものをモデリングしようとしたときに「袋に詰めよう」と考えただけのことです。袋に詰めれば、ものの集まりは「1つ」にまとめられます。数学はそのようにして「ものの集まり」に対応した。それだけの話です。

2014-09-16 01:49:24
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

xと{x}が違うのは結局のところ、裸のりんご1つとりんごを1つ入れた袋は別物かいなか?という質問に相当すると思います。まあ、違いますよね。

2014-09-16 01:50:10
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

でも、どうでしょう?本当に私たちは「ものの集まり」を考えるにあたって、わざわざ「袋」に詰めてるんでしょうか?そんなことせずとも、「こう、上手く言い表せないけど、複数のものは複数のものとして取り扱わってるよ」みたいなイメージじゃないですか?

2014-09-16 01:51:50
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

というわけで、個人的には自然言語的な「ものの集まり」については、群れのほうが直観的だと思います。むしろ、集合のほうが回りくどい。で、集合のことを「個」として認識できていないと、群れについて理解するのは難しい。同じものにしか見えないからね。

2014-09-16 01:54:03
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

で、少しイメージしてみよう。集合の包含関係というのはイメージとしては、2つの点の比べ合いっこなのです。奇妙だよねえ?ベン図から得られる集合のイメージとちょっと違うよねえ?一方で群れのme関係というのは、多数の点2組の比べ合いっこなのです。あれ?なんかこっちのほうがそれっぽいな?

2014-09-16 01:58:06
じぼ子 .jbonix. @lojytan_bot

ここまで来ると、me(among)ってそこまで大それた関係じゃないでしょう?どっちかというと、包含関係(⊂)のほうが迂遠に感じない?

2014-09-16 02:00:34