中田雅敏『横光利一』読書メモ集

中田雅敏『横光利一――文学と俳句』(勉誠社 、1997・11)の読書メモをまとめました。
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荒木優太 @arishima_takeo

「川端康成が横光利一と初めて出会ったのは大正十年十一月のことで、二人は菊池寛によって紹介された。その時の様子は川端の「文学的自叙博」(「新潮」昭九・五)に詳しく書かれている」(中田雅敏『横光利一』)。ああ、この二人を引き合わせたのも菊池なのか。やっぱり菊池寛問題は無視できないな…

2014-09-16 15:32:10
荒木優太 @arishima_takeo

中田雅敏が『横光利一』の中で、掌小説的新形式と新興俳句運動との同時代性を指摘している。これ、土田俊和さんの発表(en-soph.org/archives/39993…)とも連関してとても興味深い。土田さんは中田横光本をご存知なのだろうか。お友達の方がいらっしゃたら教えてあげて下さい。

2014-09-17 18:53:37
荒木優太 @arishima_takeo

川端康成は掌篇小説が優れている話の文脈で、「十七字の俳句が千万言を費した風景描写よりも力強い」と、掌篇を俳句に比しているそうだ。なるほど。メモ。

2014-09-17 18:57:36
荒木優太 @arishima_takeo

「虚子は自分の俳句観なり、自分の句境なりを守ろうとする本能的欲求があって、それを犯させない限りにおいて、子規の人と文学とを説いたのである。そういう老獪さが虚子にはあった」(山本健吉「『病床六尺』の世界」)。へぇー。

2014-09-18 13:03:09
荒木優太 @arishima_takeo

「横光利一は「自分は芥川龍之介になろうと思っていたが、やはり菊池寛になってしまった」と中島健蔵氏に語ったと言う」(中田雅敏『横光利一』)。いや、なれてねぇだろ…。

2014-09-18 13:05:56
荒木優太 @arishima_takeo

横光のモダニズムを感覚の面で引受けたのが日野草城であったとすれば、構成と素材とを受持った俳人は山口誓子であった。誓子は、映画のモンタージュ手法を俳句に取り入れ「写生構成」と名付け、都会の事物を素材として高度な質感と内面の空白感とを俳句化した。by中田雅敏『横光利一』

2014-09-18 14:35:05
荒木優太 @arishima_takeo

横光が俳句を取り込んだ小説を書いたのは多分に芥川龍之介の影響がある。芥川は「枯野抄」や「戯作三昧」「雛」などに、芭蕉の俳句や蕪村の俳句も使っている。俳人としても相当な佳句・秀句を残したが、横光のように小説の中に自作の句を挿入したことはなかった。by中田雅敏『横光利一』

2014-09-18 15:05:14
荒木優太 @arishima_takeo

映画技法としてのモンタージュを俳句理論に取り入れ、構成の大切さを主張した山口誓子の論も既に横光の「蠅」や「日輪」に於て試みられていたのである。就中、水原秋桜子の連作俳句も新感覚派の文章を読めば既に已に然りと言えよう。by中田雅敏『横光利一』

2014-09-18 16:55:02
荒木優太 @arishima_takeo

中田雅敏『横光利一』読了。副題は「文学と俳句」、横光を「芭蕉の末裔」として読み、新感覚派と新興俳句運動との交錯を考える。ものすごい勉強になった。先行研究への配慮も、引用文と本文の比率も、アクロバットの度合いもすべてが完璧だ。註もなくてスマート。こんな一書を書いてみたいものだ。

2014-09-18 17:14:14
荒木優太 @arishima_takeo

新感覚派と新興俳句運動の結びつき、これは横光や中河与一とは異なる科学志向的偶然論者として寺田寅彦を読むという私の仮説を大いに助けてくれる。寅彦のモンタージュ的連句論は映画のモンタージュ技法を取り入れた山口誓子の「写生構成」と完全に同期している。寅彦は、可能なる新感覚派なのだ。

2014-09-18 17:15:39
荒木優太 @arishima_takeo

或いは、寺田寅彦と横光利一は共に漱石に学んでいることに注意してもいいかもしれない。横光文学論は『文学論』に多くを負っている。漱石の面識なき弟子二人が、共に偶然文学論を語る。加えて、漱石は弟子の寅彦によってポアンカレ的偶然を学んだことを想起しておこう(『明暗』)。

2014-09-18 17:25:01
荒木優太 @arishima_takeo

中田雅敏さん(yashima.ac.jp/univ/about/inf…)。『教育改革のゆくえ』(amazon.co.jp/%E6%95%99%E8%8…)とかいう本は、正直すごいつまんなそうだけど、横光本は素晴らしい。直観で書くが、横光研究の人は余り参照してないのではないか? もったいない!

2014-09-18 17:32:26
荒木優太 @arishima_takeo

石田波郷は「俳句は文学ではない」(昭和14年)と書いたそうだ(子規「俳句は文学である」を意識?)。波郷は新興俳句から出発したが、昭和15年に始まる弾圧の波を受けて、離脱し、戦争俳句を書きたい旨さえ記す。興味深い事に彼は昭和10年から始まる横光の俳句会に参加し、横光を師と仰いでいた

2014-09-18 17:48:01