「花そこに白き夜窓に夜の看護 中村汀女」の「読み」について

中村汀女の俳句をどのように読解するかのつぶやき。追加中です。
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青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

今、中村汀女の「花そこに白き夜窓に夜の看護」という句について書いているんですけど、この「花白きに」とは、「夜窓」の向こうの花の白さを詠んだのか、それとも「夜窓」のこちら側の、室内に飾られた花の白さを詠んでいるのでしょう。。皆さんならどのように解釈されるでしょうか?

2014-09-19 22:17:46
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

今の間違えました、「花そこに白き」の「そこに」とは、という意味です。窓の外、あるいは内側? どちらなんでしょう。

2014-09-19 22:18:52
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

中村汀女「花そこに」句は主宰誌「風花」S23の句だけど、汀女はこの他に「春蝉やひとり日傘をかざすとき」「一斉に蝌蚪は濁りをさかのぼり」といった句も発表していて、そうなると「花そこに」句が奇妙に浮くんですよ。分かりやすい句の中に「花そこに」句がまざっているのが、汀女らしいのだけど。

2014-09-20 00:47:04
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

汀女の「花そこに」句は、総タイトル「花茨」の全12句中、冒頭の一句目なんですよね。他の句は割合分かりやすいのに、なぜ一番分かりにくい句を冒頭に配したのか、分からないといえば分からない。単に季節順なのか、出来た順なのか。深読みしなくていいところなのか。汀女先生、教えて下さい。

2014-09-20 02:40:03
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

「夜窓」とわざわざ詠んだということは、「花」は外なのかなあ。。その方が「白き夜窓」と句またがりの言葉の連なりの残像が引き立つのかもしれない。「夜窓」全体を白くした方が、「夜」と「夜の看護」の雰囲気が出るような。

2014-09-19 22:30:26
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

発表から66年の時を経て読者を悩ませている汀女句の初出画像です。「風花」S23.7の4-5p、総題「花茨」全12句の冒頭が、「花そこに白き夜窓に夜の看護」。 pic.twitter.com/Za2hQutZcK

2014-09-21 20:47:26
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くろやぎ @kryag_

@k551_jupiter 「花(が)そこに | 白き夜(が)窓に | 夜の看護」と読みました。

2014-09-19 22:47:01
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

@kryag_ なるほど、「白き夜(が)窓に」。それは思いつかなかった、面白いですね。ただ、汀女の詠みぶりからすると、ちょっと窮屈かも…? 新興俳句や前衛に近いところの俳人ですとその可能性が高くなりますが、汀女句となると微妙かもしれない。ともあれ、句解の一つとして面白いです。

2014-09-19 23:43:34
くろやぎ @kryag_

@k551_jupiter 詰め込みすぎて窮屈、というのは同感です。

2014-09-20 00:25:28
くろやぎ @kryag_

@k551_jupiter 個別の「花」と、集団の花を表象する「白き夜」を対比させていると読みました。外の桜の木から一本の枝が窓に向かって伸びていて、その花が室内の灯りに照らされている。その後景にはもっとぼんやりとした花の塊が広がり、総体として日中の景色とは全く異なる世界に見えた

2014-09-20 00:24:30
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

「花【そこに】」と、「白き夜(が)窓に」とを縫合して一幅の情景に収める、と。 RT @kryag_ 外の桜の木から一本の枝が窓に向かって伸びていて、その花が室内の灯りに照らされている。その後景にはもっとぼんやりとした花の塊が広がり、総体として日中の景色とは全く異なる世界に見えた

2014-09-20 00:34:17
なつかしいなな @kamiwotakusan

@k551_jupiter 失礼いたします。窓に映った花だと解釈しました。煌々と明かりは点けず、ぼんやりとしている。はずなのに、夜窓にはっきりと映り込む花の白さにはっとしたのではないでしょうか。花がそこに!白い花が!夜窓に!でああ看護していたのだったと落ち着く。

2014-09-19 22:44:19
なつかしいなな @kamiwotakusan

@k551_jupiter しかし花(桜)ならば、外にあるほうが自然でしょうか。しかし切花として、飾られた花が白く妖艶に室内にあるほうが、「看護」という着地点にとても響きます。と長々とすみませんでした。

2014-09-19 22:51:47
A enom @A_mayoa

俳句で「花」といえば一般に桜を指し、「花明り」という言葉もあるので窓の外の桜花でしょうか。RT @k551_jupiter 「夜窓」の向こうの花の白さを詠んだのか、それとも「夜窓」のこちら側の、室内に飾られた花の白さを詠んでいるのでしょう。。

2014-09-19 22:50:28
A enom @A_mayoa

窓全体がぼうっと白むほどの桜の満開の様でしょうね。

2014-09-19 22:51:39
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

@kamiwotakusan @amayoaenom 花→桜と来れば、窓の外の花明かり、となりますよね。中山さんの切花の可能性も捨てがたいですが、「夜(の)窓」とあえて詠んだところからすると、窓にぼんやり白く映る花、とした方が自然な気が。

2014-09-19 23:41:09
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

ただ、それにしては「花【そこに】」と場所を明確に指す措辞があるので、夜窓にぼんやり映る情景とやや齟齬を感じるんですよね。それで、輪郭が明瞭な切花を想像したくなる。悩ましいところですよね。 RT @kamiwotakusan @amayoaenom そうですよね。すみません。

2014-09-19 23:57:20
なつかしいなな @kamiwotakusan

@k551_jupiter 花(近く)→窓(遠く)→看護(近く)という視点かと思いました。

2014-09-20 01:02:13
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

最後の「夜の看護」の視点を「近く」とすると、ある種のオチや余韻が感じられますよね。目線を「句中の主体」に回収=同化できる、というか。逆に、室外説はそこを処理するかがポイントかも。 RT @kamiwotakusan 花(近く)→窓(遠く)→看護(近く)という視点かと思いました。

2014-09-20 01:16:35
A enom @A_mayoa

「そこに」は指示ではなく強調・畳み掛けであり、室内の切花では普通の入院風景になってしまう。入院して思いがけず窓外の桜を得た、という詩的情緒かと。RT @k551_jupiter @kamiwotakusan 逆に、室外説はそこを処理するかがポイントかも。

2014-09-20 05:55:32
宇井十間 @uitogen

@k551_jupiter 看護をしている室内の風景かとはじめ思いましたが、「夜窓」とあるのでその窓を外から見てるようにもみえます。どちらにしても、花は看護の室内にあるととるのが自然だという気がします。

2014-09-19 23:10:40
kakitakika @soopoo

@k551_jupiter 室外からの視点として読むのが穏当だと思います。ただ、室内からの視点を考えることも一応可能ですし、視点を看護者、被看護者、第三者(カメラ・アイ)等、どこに設定するかで句の面白さが変わるのではないかと思います。それを可能にしているのが「白き夜窓」では。

2014-09-19 23:27:53
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

@soopoo @uitogen 室外からの視点ですか! それは思いつかなかったです。「夜窓に」の語感からすると、その可能性も大いにあると思います。うーん、面白いですね。新鮮です。

2014-09-19 23:46:31
青木亮人@『愛媛 文学の面影』『教養としての俳句』 @k551_jupiter

中村汀女の「花そこに白き夜窓に夜の看護」、感想をつぶやいて下さり、ありがとうです。目から鱗だったのは、これは室外からの視点ではないか、という解釈が@soopoo氏と@uitogen氏から出されました。室外とすると、「看護」と分かったのはなぜか、かポイントになるでしょうか。

2014-09-19 23:51:10
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