なぜヨーロッパからイスラーム国の戦士に加わるか
イスラーム国に捕らえられていた在モスルのトルコ総領事ら、解放された。ダウトオウル首相は、アゼルバイジャン訪問を中止して、東部のシャンル・ウルファで彼らを迎える。トルコ首相府発表
2014-09-20 13:13:07湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争と米国の中東・イスラーム世界に対する武力行使に抑制的であったトルコ外交の成果。トルコは、イスラーム国掃討作戦に基地提供を拒否していた。
2014-09-20 13:18:32【速報】トルコのアフメット・ダウトオウル首相は、イスラーム国に人質として捕らえられていたトルコの在モスル総領事ら49人が無事解放されたと発表。同国の諜報機関MIT長官ハカン・フィダンの努力に謝意。
2014-09-20 13:27:41トルコはイスラーム国をテロ組織認定している。だが、それでも米国の軍事作戦には付き合わない。NATO加盟国であっても、是々非々の対応。
2014-09-20 13:32:36そうか、昨日の深夜、トルコ軍がシャンル・ウルファに戦車を展開したのは、捕虜解放での不測の事態に対応するためだったか。
2014-09-20 13:54:20“@cnnturkcom: Başbakan Davutoğlu, konsolosluk personeli ile Ankara'ya gidiyor cnnturk.com/haber/turkiye/… pic.twitter.com/zz5C5N0NCT”←トルコ首相、人質と会った
2014-09-20 16:43:11軍事力を行使せず、話し合いで人質を救出する国のノウハウは学ぶ価値がある。軍事大国に追随して軍事協力することは日本の取るべき道ではない
2014-09-20 16:47:03#FLAŞ Başbakan Davutoğlu Musul Başkonsolosu Öztürk Yılmaz'ı alnından öperek karşıladı. #AA pic.twitter.com/eEzpjcS7XR
2014-09-20 17:36:59この国の政府に任せておけば、表技、裏技、色々取り揃えて、とにかく助けてくれるだろうと期待できる国と、この国の政府にまかせたらハリウッド映画のヒーローみたいなのが敵を粉砕して、もしかしたら自分も死ぬけど、ひょっとしたら助かるかなというのと、どっちが良いか。前者がトルコ、後者が米国
2014-09-20 17:49:13イスラーム国をオバマはがん細胞呼ばわりし、キャメロンは殺人カルト呼ばわりした。構わないけど、それなら、わずか一ヶ月前、何の罪もないガザのこどもたちが500人近くもイスラエルの攻撃で生命を落としたとき、なぜ、イスラエルを殺人カルト国家、がん細胞と非難しなかった?
2014-09-20 18:28:47先に、欧米諸国でのムスリムに対する集団的差別と疎外について書いた。それに加えて、若者たちを絶望させたのは、中東その他のムスリム国家の堕落である。ようやく三十年に渡る独裁から解放されて、自らの手で大統領を選んだ途端、利権にしがみつく富裕層と軍が手を組んでモルシ政権を潰したエジプト
2014-09-20 18:33:254年に及ぶ内戦で膨大な犠牲者を出しながら、ムスリム諸国さえ黙殺してきたシリア。シーア派の利権ばかり追求されてきたイラク。スンナ派ムスリムの中にこれらの不公正への怒りが渦巻いていた。これらの全てが重層的に敬虔なムスリムの若者にのしかかったのである。不幸にしてその中から戦士が生まれる
2014-09-20 18:38:22シリアからトルコ国境を越えるクルドの人たち、6万人に達する見込みと、クルトゥルムシュ副首相。どこかの報道に、トルコが彼らを足止めしたというのがあったが、現在、首相は全員受け入れの意向を示している。
2014-09-20 22:50:05イスラームと西欧近代以降の価値観や規範には、どうしても相容れないところがある。少々のマイナーチェンジではすり合わせができない。問題なのは、これまでの西欧諸学が、まったく相容れない相手とどうやって共生するかという問題関心で学問をつくってこなかったこと。だから一斉に、潰せ!と騒ぐ
2014-09-21 02:22:123.フィールド・ノートから
十数年前のこと。ベルリンの「カリフ国家」のモスクにいた髭もじゃの若者と話していて、何がきっかけでイスラームに根性入れるようになった?と尋ねると、彼女にふられてから、という答えが返ってきた。それで何が変わった?と尋ねるとリーバイスの何番がカッコ良いとか、どうでもよくなったと答えた
2014-09-21 03:37:15で、何がしたい?と尋ねると、「カリフは西から来るんだ!」「トルコをカリフの国にしたい」と真剣な表情で答えた。
2014-09-21 03:38:23一緒に訪ねた学生が、よほど腹が減っていたらしく、近くで買ったケバブ・サンドをモスクに持ち込んだ。私がたしなめると、その髭もじゃの若者は、「いいですよ。いま、お茶を持ってきますから、ここで食べてください」と礼拝所にお茶をもってきて、みなで車座になってケバブを食べた。
2014-09-21 03:41:16別のベルリンのモスクで。子どもたちに数学やドイツ語の補習授業をしていた先生(ベルリン工科大学の学生、トルコ人)と話した。先生していて、こどもたちはどう?と尋ねると、僕たち、ベルリンで生まれ育って、頑張って、頑張って大学まで行ったけど、なかなか就職できない。で、ここでボランティア
2014-09-21 03:43:49してるんだ、とのこと。この仕事好き?と尋ねると、彼らは、大好きだと答えた。理由を尋ねると、ここに来るトルコ人のこどもたちが、自分をお兄ちゃん、(お姉ちゃん)と慕ってくれるんだ。こどもたちが真剣な表情で勉強しているのをみると、嬉しい反面、涙がでる。学校では、厄介者あつかいされるから
2014-09-21 03:45:59ここでもそうだが、きのうまで彼女とどこのディスコ(1995年当時)に行こうと日々考えていたトルコ人の若者たちは、モスクでのボランティアでこどもたちの輝く瞳を前に、すっぱり、そういう生活から足を洗い、信仰の道に邁進することになったそうである。
2014-09-21 03:48:11どのモスクでもそうだったが、ドイツ育ちで勤勉なトルコ人の若者たちは、みな、自分の刻苦勉励は将来の栄達にはつながりそうもないことを自覚していた。その代り、信仰努力が、こどもたちの将来を切り拓くために使えるなら、そこにムスリムとして邁進しようと確信していたのである。
2014-09-21 03:50:06フィールドワークで、それも学生を引率していて、ベルリンのムスリムたちと話をしている時、一度だけ、不覚にも涙が止まらなくなったことがある。職業訓練校のドイツ語の授業を受けていたトルコ人女性たちに、学校に来るようになったきっかけを尋ねた。こどもたちが兄弟どうし
2014-09-21 03:54:56