あしたのジョー誕生秘録 ~ちばてつや先生と梶原一騎先生の間に何があったのか?~
「自分の原作の改変を許さなかった梶原一騎が、ちばてつやにだけは許した」とよく言われるけど、うちの師匠ふくしま政美によれば「梶原は若い頃ちば先生のゴーストライター(ここではシナリオの事)をやってたから頭が上がらなかったんだよ」と。 師匠の話だからどこまでホントかわかんないんだけど。
2014-08-30 03:18:46ふくしま政美
日本の漫画家。
1973年「漫画エロトピア」に連載した『女犯坊』で人気を博し、1976年「少年マガジン」にて『聖マッスル』、「少年チャンピオン」に『格闘士ローマの星』(梶原一騎原作)を連載した
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ふくしま先生の言によれば「ちば先生が若い無名の梶原に自分の漫画のシナリオの仕事をやって、漫画の基礎を教えた。だからちば先生は梶原にとって師匠みたいなもんなんだよ」とのことらしいです。(あいかわらずどこまでホントかは計りかねます。ふくしま政美の言葉なので) @ayamasets
2014-08-30 05:22:36@urashima41 えとえと、思い違いかも知れませんが、無名だった梶原のために、ちば先生が原作者という役割を授けて、大筋はちば先生が話を作って梶原さんに投げて原作の形を受け取り、マンガに仕上げたという解釈でよろしいでしょうか。
2014-08-31 09:51:10.@ayamasets ものすごくざっくり縮めてしまってますね(笑)その約し方だと「違います」。 あしたのジョー開始時に梶原は無名ではなく、既に同じ少年マガジン誌上で『巨人の星』がヒットし、TVアニメ開始も目前でした。(以下少し続けます)
2014-09-01 02:49:30@ayamasets 返事が遅くなってスミマセンです。ついでなので、もう少し詳しく記すことにしました。
2014-09-01 03:41:101)これは私の推論ですが、ちば氏が「ボクシング漫画を描きたい」という漠然とした構想を持ち、それを聞いたマガジン編集部が梶原一騎と組むことを提案したのではないでしょうか。おそらく梶原に打診があった時点では単に「ボクシングを題材にした漫画」程度の形しかなかったのではないかと。
2014-09-01 02:53:302)実際、連載開始後に力石の体型を梶原の構想とは違うオーバーサイズで描いて後の展開が変更する等、ちば氏と梶原の間でストーリーの共通認識があったとは言い難い史実があります。 『あしたのジョー』連載開始時に"原作者"梶原と作画のちば氏の間でどこまで話を詰めていたのか興味深い所です。
2014-09-01 03:01:093)練馬美術館で現在開催中の『あしたのジョー、の時代展』には連載開始直前の少年マガジン誌での「次号より『あしたのジョー』連載開始」告知頁が展示されていますが、そこには、今とは若干違う出っ歯ではない丹下段平が描かれています。 設定が連載直前まで未決だったことが伺えます。
2014-09-01 03:07:084)少なくとも第1話の前号までは段平の設定さえ固まってなかったのは事実でしょう。 とすれば、その時点ではおおまかな物語の構成くらいしかちば氏と梶原の間では決まっていなかったのではないか。「風来坊の少年・丈がボクサーくずれの段平とドヤ街で出会いボクシングを始める」くらいかと。
2014-09-01 03:23:115)それくらいでちば氏が高森朝雄(梶原)に設定を投げ、脚本を仕上げてもらったのではないか。 '60年代末の週刊漫画連載では、おそらくそんな状態から連載開始をしても常識だったのだと思います。今はどの程度構想を固めてから開始するのかわかりませんが。
2014-09-01 03:27:056)因みに私が週刊誌連載の企画を練っていたときに編集部からは「6話目くらいまでのネーム」を要請されました。 …まあ、その企画は潰れてしまったから今があるわけですが(泣) ちば氏はあの時点で既に連載経験も豊富な作家でしたし、編集側もそれほど前準備をせずとも無問題だったのでしよう。
2014-09-01 03:32:577)ここでふくしま政美の言に及ぶのですが、ふくしま師匠に拠れば「梶原は『あしたのジョー』以前にちば先生の脚本を名前を出さずにやっていたときがある」ということです。 師匠が私に話したとき具体的なちば氏の作品名も出していましたが、それは失念してしまいました。
2014-09-01 03:39:468)梶原一騎は『巨人の星』と続けて放った『あしたのジョー』『空手バカ一代』でヒットメーカーとして不動の地位を築きますが、それを実現させたのは少年マガジンでした。梶原は'62年に吉田竜夫と『チャンピオン太』を連載していたので、ふくしまの話の内容はその前後のことかと推測します。
2014-09-01 03:58:519)梶原の自伝的作品『男の星座』では『チャンピオン太』以前は少年雑誌に江戸川乱歩まがいのミステリ小説などを執筆する「雑文屋」と自らを称しています。出版社から原稿料を前借りしたことも描かれ、まだまだ食えなかった若き梶原の姿が垣間見えます。
2014-09-01 04:04:5610)おそらく、そうした時代に梶原が生活のために連載漫画の脚本の仕事を無記名で引き受けるということもあったのではないでしょうか。 漫画家側も週刊ペースでストーリーを構想しながら絵も描くというのは熾烈を極めますから、シナリオ補助が必要な時もあったでしょう。
2014-09-01 04:10:4111)梶原に限らずとも、多くの少年雑誌の文字書き達は食べるためにそうした仕事をしていたのかと思います。 ふくしまの語る話は、そんな時代の梶原のことだったと思われます。だからこそ、梶原一騎は自分の名が記されることに拘り、原作者の地位向上を目指したのではないでしょうか。
2014-09-01 04:14:5612)前出『男の星座』にも、梶原が漫画の原作を引き受けたのに自分の名が目次や作品の扉に記名されなかったことに憤るエピソードが出てきます。 ふくしまの言っていた「梶原はちば先生のゴーストをやっていた」という話も、そうした無記名の仕事のひとつだったと推測されます。
2014-09-01 04:18:3313)それでも『チャンピオン太』前後までの梶原はまだまだ漫画原作者として一本立ちするまでには及ばず、そんな無記名の脚本代筆も請負っていたのではないでしょうか。 ふくしまの語る梶原とちば氏の話がいつの時代かは計りかねますが、梶原の修行時代であることは事実でしょう。
2014-09-01 04:23:2014)ふくしまの言いっぷりでは、そんなまだ無名で、漫画原作も修行中だった梶原に、ちば氏が自分の連載のどれだかを一部無記名で担わせている、ということを匂わせています。 だから、ふくしまは「ちば先生は梶原の師匠筋にあたる」と明言するわけです。漫画のイロハを梶原に教えたのはちば氏だと。
2014-09-01 04:30:1715)もちろんふくしま政美の言い方は少々暴論だと思うし、私の師匠ながらふくしまの話は3割程度しか信用できない(師匠、スミマセン)と常日頃思ってるので、鵜呑みにはできません。 ただ、「梶原がちばてつやにだけは改変を許した」という挿話を聞く時、いつもこの話が頭に浮かぶのです。
2014-09-01 04:34:5116)ふくしまの言うとおりに「ちば先生は梶原の師匠筋」なら、師匠に文句はつけられません。 考えてみれば、『あしたのジョー』では第1話冒頭からちばが大幅に改変し連載を始めています。 『あしたのジョー、の時代展』では紀ちゃんが原作には無いちばのオリジナルだったとも言及しています。
2014-09-01 04:42:5917)第1話導入という連載開始のキモ部分の大幅改変、力石のサイズ間違い、紀ちゃんの独自挿入、更にはラストの改変と、梶原はちば氏にだけは頭が上がらなかったのではないか、ということも伺えます。
2014-09-01 04:53:1018)紀ちゃんに至っては、単なるエキストラの域を超え、ストーリーに重要な役回りとして絡んでいきます。あの有名な「真っ白な灰に燃え尽きる」とジョーが紀ちゃんに語る川沿いのシーンも、ちば氏のオリジナルとのことです。
2014-09-01 04:56:04