発達障害者が常々言われる「社会人なら~できて当然」という言葉への違和感

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ちろえ @forksea2000

発達障害者はその努力如何にかかわらず 行動に伴い必ずぼろを出すため 常時職場で嫌悪され、罵倒を受ける。

2014-10-22 08:46:10
ちろえ @forksea2000

この際発達障害者が印籠のごとく突きつけられるのが 「社会人なら~して当たり前」というフレーズであるが では「社会人」とは一体何なのか?

2014-10-22 08:46:39
ちろえ @forksea2000

辞書で引けば「社会人」とは 1学校や家庭などの保護から自立して,実社会で生活する人。 2社会を構成している一人の人間。 などの意味合いを含む言葉であるという。

2014-10-22 08:47:04
ちろえ @forksea2000

なるほど、1の場合ならばそもそもがあらゆる職場で差別と解雇通知を受け続け ろくに食い扶持も稼げない発達障害者はそもそも社会人ではないという見方もできる。

2014-10-22 08:47:29
ちろえ @forksea2000

発達障害者には二度と「社会人として云々」という決まり文句は使わないでもらいたい。 発達障害者は社会人ではないのだから。

2014-10-22 08:48:01
ちろえ @forksea2000

さて問題は2の場合であるが、これはきわめて解釈が難しい内容となる。 社会を構成するとはどういうことだろうか? 引きこもりやニートに陥った発達障害者は社会の構成員ではないのだろうか?

2014-10-22 08:48:36
ちろえ @forksea2000

それでは社会とは一体なんであろうか やはり辞書を紐解けば 1生活空間を共有したり,相互に結びついたり,影響を与えあったりしている人々のまとまり。 2(自立して生活していく場としての)世の中。世間。 等の意味合いを有するという。

2014-10-22 08:49:00
ちろえ @forksea2000

1の内容を採用すれば、いかに引きこもりニートといえど、たとえばネットを通じて他者と影響を与え合うことは十分に可能なわけであるから、この場合そのような境遇にある者とてやはり社会人であるという見方ができる。

2014-10-22 08:50:33
ちろえ @forksea2000

しかしながら「社会人」というフレーズが使われる局面を考えれば, これは2、多かれ少なかれ何らかの経済活動を伴う就業上の場としてニュアンスが込められたものとして 理解するのがより適切であるように考えられる。

2014-10-22 08:52:09
ちろえ @forksea2000

してみれば「社会人」というのは、むしろ「ビジネスマン」と言いかえられたほうが都合がいいかもしれない。 「社会人なら~できて当然」というのは「ビジネスマンなら云々」というフレーズに換言されるのである。

2014-10-22 08:53:49
ちろえ @forksea2000

だが「ビジネスマン」という名の資格、身分、職業はこの世には存在していない。 それは境界線が不鮮明な概念を指し示す名詞でしかないのだ。

2014-10-22 08:54:39
ちろえ @forksea2000

人間皆異なる職種上の、異なる会社に勤め、あるいは自営を行っているわけで そこには必ずその職場における固有のルールと常識が存在していることになり 同時にそれは他の職場においては非常識になりうることもまたあるはずだ。

2014-10-22 08:55:04
ちろえ @forksea2000

あるとき発達障害者は、「このメールの打ち方は、社会人としておかしい」という叱責を受けたことがあるが、 発達障害者はそれまでの経歴上メールのやり取りには多少詳しく、 またその書式は少なくとも以前の職場ではごく日常的に用いられていたものであった。

2014-10-22 08:56:38
ちろえ @forksea2000

加えてその際注意されたのは言葉遣いではなく、 単なる文字のレイアウト上の問題であって、 そんなものはもはや個人の嗜好ではないかと途方にくれた。

2014-10-22 08:57:13
ちろえ @forksea2000

こうなってしまうと、「社会人として当然」=「ビジネスマンとして当然」は もはや「俺のコントロール下の人員ならば当然」という次元にまで範囲を狭められるような気がしてしまう。

2014-10-22 08:58:12
ちろえ @forksea2000

実際彼らはいかに非常識な振る舞いをしていようが、それが直接的な目上の存在、あるいは生涯を通じて係わり合いを持つことのない あかの他人であれば、あえて「社会人云々」という苦言を呈することはない。

2014-10-22 08:58:44
ちろえ @forksea2000

そのような者たちを蔑視し、どれだけ陰口を叩こうが、 不思議とこの「社会人云々」は出てこないのである。したがって発達障害者が もし彼らの配下に収まる機会がなかったのならば、 彼らから「社会人云々」といわれる事は決してなかったであろう。

2014-10-22 09:00:17
ちろえ @forksea2000

その意味でこの場合の「社会」とは 自分の手が触れることができ、なおかつ自分の意のままにできる界隈ということになりはしないか?

2014-10-22 09:00:51
ちろえ @forksea2000

一つあるいは極めて少数の職場にとどまることのできる健常者ならいざ知らず、 無数の職場を首にされながら渡り歩かなければならない発達障害者としては

2014-10-22 09:01:20
ちろえ @forksea2000

その都度監督者によって変わる「社会人としての常識」の膨大さ、変幻自在さに舌を巻き、 「社会人」とは到底自分には達し得ない、何らかの生き字引の類ではないかという諦めの境地に達せざるを得なくなる。

2014-10-22 09:02:47
ちろえ @forksea2000

余談であるが経験則によると、「社会人」というワードを多用する人間には、 もののたとえとしてコンビニ店員を愚弄する者がかなり多い。

2014-10-22 09:03:09
ちろえ @forksea2000

「コンビニ店員じゃないんだからさ」 「コンビニ店員じゃなく、社会人ならそれくらいのことできるでしょ」 と平然と言ってのけるわけであるがなんと彼らにとってコンビニ店員は社会人ではなかったのである。

2014-10-22 09:03:27
ちろえ @forksea2000

これは辞書をどうひっくり返しても容易に出てくるとは思われない解釈の仕方であるといわざるを得ない。

2014-10-22 09:05:07
ちろえ @forksea2000

つまりコンビニ店員とは差別化されてしかるべき高貴な職業についている俺様の職種の俺様の会社の 俺様の監督下においては~するのは当然というのが、結局のところ「社会人なら云々」という言葉の正体なのである。

2014-10-22 09:05:46
ちろえ @forksea2000

これはもはや自らの価値観、生き様、教訓 あるいは自らがそれが当たり前であると叩き込まれてきた流儀の強要にほかならず のみならずそれのできない自分より立場の弱いものに対し、自己を正当化し、優越感と嗜虐心を満たすためのきめ台詞でしかないのではなかろうか?

2014-10-22 09:06:51