アニメ『ムーミン』が開拓したもの

うだうだ語ろういつものネタを。
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It happens sometimes @ElementaryGard

アニメの『ムーミン』がなぜ画期的だったのかというと、それまで日本のテレビアニメの海外売り込み先はアメリカだったのを、ヨーロッパに売ろうと企画したこと。実際には台湾ぐらいしか輸出されなかったようですが。

2014-10-26 14:57:23
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TCJで村田英憲と衝突し独立した高橋茂人の企画。kyoto-seika.ac.jp/researchlab/wp…  >日本で初めて海外の作者から映像使用権を得て製作した

2014-10-26 15:01:32
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>私は「サスケ」(1968-69)を企画し,原作者である白土三平氏の赤目プロと著作権交渉し内諾を受け,に提出,幸いに企画が通り,制作費500万(最終的に550万),周辺権利はが保持するという契約がだいたい成立した。

2014-10-26 15:02:33
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>一週間ほどすると,私の上司の映画部長の村田英憲氏(後のエイケン社長)が「おい,高橋,『サスケ』なあ,制作費を50万上げて600万で手を打ってきたよ。そのかわり,周辺権利はに,は現行通り制作契約にしたよ。どうだ,いい条件だろう」といってきた。

2014-10-26 15:03:08
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>今まで私が,映画部の今後をくどいほど説明し,プロダクションの自立性を説いたのに,いったい何を聞いていたのかと,口論する気も無くしたのを今でも明確に記憶している。

2014-10-26 15:03:38
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>また,アメリカのプロデューサー,アーサー・ランキンの仕事でディケンズ原作による「クリケット」を村田氏が受注した時,こちら側の納期についてのみ明確で,受注した側が一方的に不利になっている。

2014-10-26 15:04:21
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>こんななめられた契約はするべきではない,とつっぱね,以後タッチしなかった事など,村田氏に対する不信感が大きくなり,私がをやめる要因となった。

2014-10-26 15:04:38
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>―――その後,から独立して「ムーミン」(1969-70)の企画をたてられるのですね。

2014-10-26 15:05:21
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>。映画部がから切り離され,新会社エイケンとなったので,制作理念の違う村田氏とは仕事をするのが嫌なので,退職金70万円をもらってから独立したのです(注・それで「忍風カムイ外伝」(1969)はエイケン作品となった)。

2014-10-26 15:06:16
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アメリカへのアニメ番組の輸出は『マッハGoGoGo』を最後に途絶えた。あれの輸出は1967年でしたか。アメリカで独占禁止法の適用強化がされ、その余波で輸出チャンネルが閉じられたから。

2014-10-26 15:11:18
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高橋がヨーロッパへの輸出を思いついたきっかけは何だろう。CM制作の関係でよく出向いていた?

2014-10-26 15:11:55
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電通との太いコネがあったから。

2014-10-26 15:13:03
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これがやがてあの「世界名作劇場」枠に発展していく。『ハイジ』では企画準備中に高畑、小田部、宮崎、中島Pらが高橋社長に連れられてスイスを回り、徹底観察研究。

2014-10-26 15:15:26
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ヨーロッパでのテレビ普及は70年代に入ってからでした。

2014-10-26 15:16:52
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ヨーロッパの児童文学を原作にした日本製テレビアニメがヨーロッパで放映された。しかしながら市場を開拓したのはむしろ巨大ロボットもの。

2014-10-26 15:18:08
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アメリカへの輸出は、下請け制作ものを除けばほぼ10年途絶えた。その間にヨーロッパへの輸出チャンネルが開拓されていた。

2014-10-26 15:19:12
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『ハイジ』の成功でヨーロッパ児童文学路線が「世界名作劇場」の名で確立。あと日本国内での商品化の印税収入が莫大だった。これが火種となってズイヨー社内でクーデター勃発。高橋社長は放逐された。『ハイジ』の権利はしっかり握って。

2014-10-26 15:21:34
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このクーデターの背後にはフジテレビがいたと見ます。ただ今のところ裏が取れないでいます。

2014-10-26 15:22:19
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当時の関係者のひとりに取材を申し込んでも「お断りします」だったし。

2014-10-26 15:22:48
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裁判になったことまでは当時の週刊誌で確認できたのですが、法廷外和解らしくてその後何の手がかりもなし。もし法廷和解なら和解書が東京地裁で読める。事件番号を突き止められなかったのでお手上げです。

2014-10-26 15:24:17
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外貨と商品化印税。この二つが日本のテレビアニメを10年前倒しで始めさせた原動力。まず外貨が釣り餌となり、やがて商品化印税の旨みに気が付いていった。

2014-10-26 15:26:12
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台湾と韓国への外注方式も開拓されていった。1969年には東京ムービーが台湾に下請けスタジオを持っていた。現地指導は大塚康生、それに故・近藤喜文の奥方である浩子が行った。

2014-10-26 15:28:31
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ハリウッドアニメ界も同じようなことをすでにメキシコで行っていた。それがやがて東欧、オーストラリアに広がり、ついには台湾と韓国でもハリウッドアニメの下請けがまわりだした。日本のアニメスタジオによって開拓済だったので比較的スムーズにいったのではないかと想像します。

2014-10-26 15:30:11
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このぐらいのスケールで眺めないと日本の商業アニメ史は書けない。

2014-10-26 15:30:50